公文書隠滅とは
戦後73年が経ち、今年も8月15日を迎えた。今夏も各メディアで戦争を振り返る企画が組まれているが、8月11日に放送された『報道特集』(TBS)の「戦争と記録 大量焼却のワケ」はまさに、現在につながる問題を鋭くえぐった特集だった。
第二次世界大戦における日本の加害事実や戦争責任について言及すると、歴史修正主義にまみれた安倍応援団やネトウヨは、アメリカやソ連の一方的な主張や資料に基づくでっちあげなどとがなり立てる。実際は日本兵の証言などもありそれ自体ウソなのだが、しかし日本の加害や戦争責任の全貌を見えづらくした要因は、日本にこそある。
それは、敗戦直前、日本政府や軍が責任逃れのために戦時資料の焼却処分を行ったからだ。
ポツダム宣言受諾後の8月14日に閣議決定された焼却命令は、東京だけではなく、地方にまでおよんだ。『報道特集』ではその一例として、広島県福山市に残されていた8月17日に焼却された書類を記したリストを紹介。そこには、徴兵関係や日中戦争に関する書類が焼却されたと記されており、また、番組では軍人名簿が焼かれたことで、恩給の給付に支障をきたした地方自治体があるとも紹介されていた。
『報道特集』は加えて、実際に焼却に携わった人からの証言も複数紹介している。
まず、逓信省航空局で暗号を翻訳する業務についていた前沢正己氏は、上司の命令によりありとあらゆる資料を防空壕のなかに入れて焼却処分したと語る。それは電話帳まで燃やすという徹底ぶりで、焼却には2日ほどの時間をかけ、防空壕のなかの空気が足りなくなってなかなか燃えずに大変だったと振り返る。
戦争に関係する書類を燃やしていたのは、役所だけでなくメディアも同様だった。同盟通信の写真部に勤めていた渡辺清氏は、上司からの命令があり、日比谷公園で書類を焼却するよう言われたと証言している。ちなみに、焼却する理由について上司から説明はなかったという。
終戦当時内務省の官僚だった故・奥野誠亮元法相は後年、公文書焼却の指示についてこう明かしている。
「ポツダム宣言は「戦犯の処罰」を書いていて、戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ。会議では私が「証拠にされるような公文書は全部焼かせてしまおう」と言った。犯罪人を出さないためにね。会議を終え、公文書焼却の指令書を書いた」(読売新聞2015年8月11日)
番組でも「戦犯処理されたら気の毒だから、犯罪人を出さないようにするために公文書を焼けと言った」と会見で語る奥野の映像を紹介している。
ようするに、終戦直後に各所で急きょ書類が燃やされたのは、戦争責任の追及を免れるためであり、戦争犯罪に関する証拠を隠ぺいしようとする意図からだった(1946年1月3日にはGHQから復元命令を出されている)。
ノンフィクション作家の保阪正康氏は番組内のVTRに出演し、終戦直後に行われた公文書の焼却は、自らの保身や責任逃れのために行われた「後世の人間に対する侮辱」とこう評価した。「後世の人間に対して、この戦争を客観的に検証しろということの放棄。私たちの世代への侮辱だと私は思っています。次の世代への侮辱ですね。次の世代は、戦争について歴史的な検証をする必要がありますね。そこから逃げたわけですね。僕はこの罪のほうが大きいと思う」
安倍政権の公文書改ざんと歴史修正主義は同根でつながっている
現在82歳で、戦争を知る世代の毒蝮三太夫氏も怒りを滲ませた。戦争に関する資料が隠ぺいされたことにより、子孫たちに正しい歴史を伝えることができなくなったからだ。
「戦争っていうのはこんなに悲惨で、こんなにむごいもので、狂ったように相手を殺すんだということをね、いま我々は言っていかないと。運が良かっただけですよ、知らなかったのは。自分の歴史というのを糧として生きてるんだもんね。だから、書き残すとか振り返るというのはとっても大事ですよね。それが正しくなければ、非常にゆがんだ報告が残るわけでしょ」
まさに、この廃棄処分が歴史を歪め、歴史修正主義を生み出す温床となっている。実際は、日本軍の残虐な行為を証明する旧日本軍兵士の証言や、戦時記録も僅かに存在するが(たとえば、中曽根康弘や故・鹿内信隆元産経新聞社長の日本軍による慰安所運営に関する証言など)、公文書がほとんど残されていないのをいいことに、歴史修正主義者たちは「証拠がない」などと主張しているのだ。
繰り返しになるが、日本の戦争責任や加害の実態の全貌を見えづらくしている最大の要因は、責任から逃れるために公文書という一級の第一次資料を破棄するという、日本のあまりに卑怯な行為だ。
しかも、この都合の悪いものは捨ててしまえという卑怯なやり口は、現在にもつながっている。毒蝮氏は先の発言のあと、こう付け加えていた。
「改ざん。よくいま平気でやるような時代になった。怖いね」
毒蝮氏が指摘している通り、安倍政権下の日本では、終戦前後の日本で行われたことと、そっくりな文書破棄や改ざんが次々と起きている。自衛隊の日報隠ぺいや森友学園に関する決裁文書の改ざんなど、公文書に関する前代未聞の不正行為が発覚している。
また、終戦直後の日本と現在の日本とでは、上に立つ人間が自らの保身や責任逃れのために公的文書を不正に扱うという点以外にも、もうひとつ共通点がある。TBS報道局の金平茂紀氏は、実際に公的書類焼却の現場に立たされたのは、組織のなかでも下のほうにいた人間であったことを指摘しながらこのように語った。
「破棄に関わっていた人たちが自分たちのことを『下っ端、下っ端』って言ってたでしょ。上の人が下の人に対して汚いことを押し付けるという構造は、まったくいまと同じ構造だと思うんですよね。森友のときも自殺した人というのは、いちばん現場に近い人だったんですよね」
公文書は言うまでもなく、為政者の私物などではなく市民の共有財産だ。それが改ざんされたり、破棄されるということは、同時代の社会の根幹を揺るがす問題であると同時に、さらに後の世代がのちに振り返って事実を検証することを阻害するものであり、これは人類史において多大な損害だ。そう考えると、安倍政権の公文書改ざんと歴史修正主義は根っこのところでつながっている。
安倍政権によっていまも現在進行形で“歴史の改ざん”が行われているという事実。戦争責任から逃れるために戦争の記録を焼き捨てたという事実。この2つの事実を私たちはもっと重く受け止めるべきだろう。
(リテラ8/15編集部)