芥川賞「迎え火」読後感
「迎え火」なんてタイトルより、「暗い森」でよかったのでは
〇まずは選者評
〇は私が評価したもの ×は評価せず △は中間
●文最後の「と」は否定のいみです
×小川――理不尽な暴力によって世界を炙りだす。「豊かな沈黙」だと!
×山田ーー院残なエピソードの合間にある自然などの色彩が印象的、だと
×島田ーー言葉が誌的躍動感をもち、陰惨な光景を墓の下から見てるようだっただと
×川上ーー「連れてゆかれる」感になった。「どこに」って問わない、だと
×宮本―ディテール(状況描写)の濃密さは誰もまねできない、だと
△吉田――どこにも居場所のない作者は、そこから立ち去りたいのではないか
×堀江――転校生の「つかず離れず」の処世術が弱者にとって最も隠微な暴力になっていた。その後に何があるかを問う事の意味はない、だと。
ひとつ共感したのは、受賞に反対した「高木のぶ子」氏の評です
◎文学が読者を不快にしてもかまわない、その必要があるかだ。で、この作品は読後「それで何?」と。この答えがない。
橋読後感――青春ものの主人公を書くなら、視点は少年で貫かねばならない。本作は、時々、少年らしからぬ大人の視点になる。ズルイ、狡猾なともいえる、そこから少年の方向付けをする。出世思考の父の影響からか、居心地よい家庭のせいか、それは少年の「処世術」以上のものである。「考えてみれば,十五の少年なら、好奇心で万引きくらいするだろう」という自己納得のしかたよ!
◎藤間が嘔吐し、救急搬送された病院で、病理検査して原因を突き止めないなんてありえない。見逃す担任もそして口をつぐんだ主人公も「スパイ同志だね」と他の教師に揶揄されても仕方ない。
〇祭りの夜、六人は暴走族と思われる上級集団に呼び出されるる 。
うちの一人を見せしめにして残酷な遊びを楽しもうとするその標的になった主人公は、所持金3000円を差し出し、見逃して貰う。代わりに標的になった虐められ役の稔は、処刑を受けながら途中ナイフを取り出してあたりかまわず切りつける。切るれそうになった主人公は「僕は(お前が狙う相手のいじめっこの)晃じゃない」と叫ぶ。それに対し「わだっきゃ最初から、おめえが一番ムがついていたじゃ」とナイフは振り下ろされてくる。橋――稔少年の心情がよく理解できますね、私は。
◎以下は拙作「共業――実存ヒプノ四(三年前発表)」からの転載です
それだ、ブンタロー。蛇の呪いって聞いた事は無いか」「無い」
「蛇は殺した当人より拱手(きょうしゅ)を憎む、ってやつだ」「拱手って何だ」
「腕組みしながら俺が殺(ヤ)られるのを見てたヤツらよ、傍観者達」
「何を言いたい」
「傍観者なるは加害者と同罪だ。戦争犯罪しかり、いじめもしかり」
「戦争は遠い他国の空の下だ。傍観は無いだろ、知りようが無い」
「否、知ろうとしていないだけで知らんフリしているのだ」.
最後は自己宣伝になりました。作品集からご笑覧を