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「長崎の日に考えた」-南世論投稿


長崎追悼の日に考えたーー南日本へ10日投稿しました(60字ほどオーバー、さて)

  長崎追悼の日、鹿屋市での大隅市民の会の平和集会に参加して考えた、核なき社会はいつ実現するのだろうかと。「核禁止条約に参加せず核軍縮の機運は高める」と語る総理の言は理解できない。二年前、米国オバマ政権が核の先制攻撃不使用を検討した際、明確に反対の意思を米政府に伝えたからである。

 イージスアショアの配備も不可解である。萩市と秋田市に二機を予定しているが、北朝鮮のミサイル基地と二市の延長線上にあるのはグアムとハワイの米基地なのだ。米軍防衛の為の配置ではないか、二機で六千億もの費用をかけて六年後の配備が必要なのかと疑問に思う。

 もう一つは次期防衛力整備計画の中に予定される電子攻撃機である。妨害電波で敵レーダーや通信網を不能にする戦術は先制攻撃に他ならず、もはや防衛を超えた挑発とも言える。

 「二千二十年には米国の超大国時代は不確実になる」とアーミテージ元国務副長官は予言し、超大国化する中国に対し「オフ・ショアー・バランサー」戦略の主張も米国知識人に見られ始めている。「米国は東アジアの覇権を放棄して中国とのバランスを保て」と言うものである。世界は変動している。

 「核の傘」論より、長崎集会で国連事務総長が訴えた「思いやりと尊敬」の精神を持っての外交努力こそ憲法の精神に繋がる平和外交と考える。

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