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「胎内記憶批判」論。後


「子どもは親を選んで生まれてくる」「生まれる前の記憶を持って、この世に誕生する子どもがいる」そんな不思議なお説のモトネタである〈胎内記憶〉は、〈親学推進協会〉の特別委員を務める産婦人科医・池川明氏が提唱しているお説。さまざまな分野でその考えに賛同する人は少なくなく、「あたしおかあさんだから」で炎上した絵本作家のぶみも絵本のテーマに採用、〈累計10万部シリーズ〉と謳われる服部みれいの新刊『うつくしい自分になる本』(筑摩書房)でも、うつくしい物語風味に紹介されていました。

 巷ではそんなノリで、〈胎内記憶は夢のある心あたたまるほっこり思想!〉として好意的に取り上げられがちですが、元ネタとなるお説は唖然とさせられる、ディープなトンデモ界。前篇ではそんな話を紹介しつつ、異なるジャンルの医師2名に「科学的にも無理がある」ことを指摘していただきました。

 後篇でも引きつづき、精神科医の松本俊彦医師と産婦人科医の太田寛医師にご登場いただきながら、さらに詳しくツッコみを入れていきましょう。

子が親を選ぶ、という自己責任論

魂やら前世やら神様やら。実証できない世界の単語が続々と登場する胎内記憶ですから、「スピリチュアルな話にそんな目くじらたてなくても~」と思う人も多いはず。でも、スピリチュアルなら何を言ってもいいのでしょうか? 池川医師のお説では、「子どもが親を選ぶ」「親を幸せにするために産まれてくる」という考え方ゆえ、「虐待する親」や「障害」も子ども自らが選んでいるという、呆れた主張が登場するのです。

インターネット上の池川医師の連載「池川明の胎内記憶」内の記事「赤ちゃんが『お母さんを選ぶ』意味」では、子どもが「虐待も承知で生まれてくる」と話したというエピソードを引き合いに、「あえて虐待する親を選び、親の成長を祈ってやってきた」という解釈が発信されています。

 さてこの考え方が広まると、何が起こるのか? それは「ただでさえ逃げることが難しい精神状態の子どもが、さらに逃げられなくなる」ことでしょう。

松本「虐待を受けた子どもにかぎって、親が大好きなんですよ。だから殴られるのは自分が悪いからと考えてしまいがちです」

 当連載の記事「自称セラピストに転身した親友から『毒親を愛せ、許せ』と詰め寄られた女性の苦悩」に登場した〈自分が虐待されたのは、発達障害で育てにくい子どもだったからで、親のせいではない〉と語った人物の話は、まさにそれ。

松本「そんな状況で、母子の絆を強調するような胎内記憶の作り話を信じたら、ますます逃げられなくなるでしょう。本当に我々が子ども伝えなくてはいけないことは、〈大人だって間違えることもあるし、親だって正しくないこともある〉ということ。そして『ヤバい!』と思ったら相手が親でもとにかく逃げてほしいということ

虐待する親も、肯定される

松本「「ところが〈子どもが親を選んだ〉という話が流布していくとますます、自分はもっと殴られなくちゃいけないなんて思いかねない。虐待というのは、人生の長きにわたって悪影響を及ぼします。胎内記憶の話によって虐待する親から逃げられなくなれば、その後の人生が大きく歪んでしまいかねません」

 虐待における最悪のケースは、子どもが命を落とすこと。それすらも、池川氏は「子どもは納得の上」「親の魂を成長させるため」と語ります。厚木5歳児白骨死体事件や3才女児顔面熱湯放置死事件などの凄惨な虐待死事件が報道される昨今でも自説を曲げない姿勢には、「弱者を無視できるお人柄なんですね」としか言いようが……。池川医師は「胎内記憶を認めることは、胎児を一人前の存在として尊重することにつながります」と主張しますが、その実は真逆。大人の自己満足優先で、子どもの命を軽視しているとしか思えません。

 さらに、胎内記憶の身勝手な解釈は、子どもだけでなく大人にも悪影響を及ぼしています。

松本「多くの虐待する親は、葛藤していることが多いものですが、胎内記憶の話によって虐待を肯定する理屈として受け取られると、ますます危険な状況になると言えるでしょう」

今回は、新たに注目していきたい池川医師の主張があります。そのキーワードは〈語ること〉を意味する言葉、〈ナラティブ〉。

 池川医師曰く、「これからの産科医療においてはエビデンスがすべてではなく意識改革が必要であり、次世代の分娩・育児のあり方の参考にするべきは『ナラティブで主観的な社会的物語に基づく診断・治療(Narative Based Medicine:NBM)』という考えが重要」だと言うのです。『胎内記憶 命の起源にトラウマが潜んでいる』(角川SSC新書)では、こう語られています。

・医療は、多種多様な人間を扱うため、一定の条件ではこうだ、と述べることはできても、あらゆる状況ですべての人間に当てはまる「正しい方法」があるわけではない。

・医療においては、数値化されずエビデンスも伴わないが存在すると推定できる、「ナラティブ(Narative)で主観的な社会的物語」が重要な役目を果たす。

・医療の現場では、これを「客観的な科学的根拠に基づく診断・治療(EBM)に対して「ナラティブで主観的な社会的物語に基づく診断・治療」と呼んでいます。子どもたちの語る「出生前後の記憶」は、まさにこのナラティブで主観的な社会的物語」に相当する!

 それっぽく語られると、一瞬「今の時代は、これが新しいのか?」なんて錯覚しそうですが、この点に対しても、太田医師、松本医師ともにバッサリ否定。

松本「ナラティブ(Narative Based Medicine:NBM)というのは、たとえばその人が前に進むために、病気を持ったのはこういう意味があって必要だったなど、納得したりするそれですよね。でもそれはあくまで、特定の個人にだけ意味を持つ主観的な物語です。個々の話をアンケートにまとめ、これが真実ですというような一般論で話すようなものでは決してありません」

医療としてありえない

松本「さらに親を選んで生まれてきたと言う説を採用すると、不幸も自己選択になりますし、難しい病気なども事前決定されている運命論みたいな感じになってしまう。〈運命〉という言葉に一本化されると、貧困や格差、福祉サービスの至らなさなどの問題が、全部覆い隠されてしまいます。また、この物語が『子どもたちにどう聞こえるのか』という点も気になりますね。胎内記憶は大人たちが用意した大人目線の物語で、大人に都合のいいように作られているように思えます。ナラティブベースドメディスンと言いながら、実は自分のナラティブを子どもに押しつけている。それはただの暴力です」

 産婦人科医の立場からは「エビデンスが全てではないということ」は共感できる部分もあるといいます。

太田「産婦人科という領域は実験できないものが多いため、どちらかと言えばエビデンスに弱いジャンルであるのは確かです。ですから案外、意味がないとわかっていても、おまじない的なことをやることもあるんですよ。しかし、ナラティブベースドメディスンは、ある程度エビデンスがあるものを土台にして、さらにそこから補完するためのもの。それなのに、主観的に語られる部分〈だけ〉をクローズアップして……というのは、医療としてありえないし、そもそもきりがない。それはもはやナラティブベースドメディスンではありません」

胎内記憶を広める危険性

 池川医師は、胎内記憶を広めるメリットを「マタニティ期から母子の絆を深めることができる」「母子関係にとって健やかなスタートとなれば、その後の育児困難も軽減される」と謳っていますが、そもそも今の日本で、本当に母親たちを救いたいのであれば、保育園や就労環境など、公共政策の改善が山とあるハズ。「子どもが見ているから正しい親でなくてはならない」「子どもに選ばれたのだから、がんばろう」という精神論だけの励ましが本当に子育てに役立つと考えているのであれば、今の日本の育児現場をまったく理解していないうえに、もはや自分のファンタジー世界で暮らす、俗世とは別の時間を生きている存在と解釈するほかないでしょう。

「胎内記憶」にまつわるエピソードは、一見ハートウォーミングであり、ダイレクトな健康被害には結びつきにくいため、カジュアルなノリで拡散されがち。しかし改めて提唱者の主張を整理してみても、やはり都市伝説レベルのうさんくささしかありません。

 虐待、障害、流産などには触れないライトなノリの記事であっても、拡散に加担すれば子どもたちを傷つけるお説の流布にもひと役買うことは間違いなし。シェアしたり、ましてや前回の記事「自称セラピストに転身した親友から『毒親を愛せ、許せ』と詰め寄られた女性の苦悩」で紹介したナギさんの友人のように〈セラピストもどき〉がそれを安易に押しつければ、傷ついた人たちへの直接的な暴力です。しかも〈世の親子のために、いいことをしてあげている〉という、自己満足に包まれているのですから、タチの悪さは横綱級。

 さて育児情報を発信する関係者のみなさま~、これでも胎内記憶を広めますか?

橋ーーこの論は理解できます。自分の立場は長くなるのでいずれ表明します

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