アホ百田の「ジェンダー」
「LGBT後進国」である日本で、ようやくひとつの改善の動きがあった。国立大学であるお茶の水女子大学が9日、記者会見を開き、トランスジェンダーの学生の入学を2020年度から受け入れることを表明したのだ。
ところが、だ。そんな動きに下品なツイートで冷や水を浴びせかけた輩がいる。安倍首相の“お友だち”で作家の百田尚樹だ。
百田は5日、お茶の水大のトランスジェンダー学生受け入れ決定を伝えるNHK報道について、Twitterへこのように投稿した。
〈よーし、今から受験勉強に挑戦して、2020年にお茶の水女子大学に入学を目指すぞ!〉
このツイートにはユーザーから批判が殺到。百田に対し、〈冗談で言ってるんだろうけど無神経過ぎるな〉〈ただただ不快〉〈こういうことを簡単言い放つ性格って人間性が欠けている。結局女性とトランスジェンダーへの差別をあおって、バカにしている発言にすぎない〉などのツイートが多数なされている。
当然だ。後述するがこの男には、これまでLGBTの人々に対する差別を垂れ流してきた経緯がある。百田は明らかに、今回もトランスジェンダーの女子大入学を茶化すことで、性的マイノリティへの差別を煽っているのだ。
百田の発言のひどさ、差別性を具体的に指摘する前に、まず、今回のお茶の水女子大のトランスジェンダー受け入れの意義について解説しておこう。
トランスジェンダーとは、一般に、生まれたときの性と自認する性が異なる人々を指す言葉だ。お茶の水大はこれまで学生の出願資格を戸籍上の女性に限っていたが、2020年度より「戸籍、または性自認が女子の場合」へ変更するという。これによって、戸籍上の性が男性であっても性自認が女性である学生が入学することが可能となる。
お茶の水大の室伏きみ子学長は、記者会見で「今後、固定的な性別意識にとらわれず、ひとりひとりが人間としてその個性と能力を十分に発揮し、多様な女性があらゆる分野に参画できる社会につながっていくことを期待する」と語るとともに、トランスジェンダーの学生の受け入れを「多様性を包摂する社会の対応として当然のこと」と述べた。
そもそも、女性のみの入学を認める学校(女子校)については、「男女共学」が主流となった現在における存在意義についての議論があり、戦前の家制度を下敷きとするいわゆる“良妻賢母教育”からくる批判もあった。
しかし、近年の女子大の多くは、良妻賢母主義や旧来的家政学から脱却し、自立的な教育方針を掲げている。さらに、戦前は女性の大学入学がほとんど不可能であり、女子英学塾(現在の津田塾大)などがその受け皿を担ったという歴史も踏まえる必要がある。
そして、言うまでもなく、日本社会ではいまだ女性差別が根強いことに加え、トランスジェンダーに対する理解は決して進んでいない。
そうした状況のなかで、性自認を女性とする人々が女子大への入学を希望することは、当然、個人の選択肢のひとつとして認められるべきだ。その意味でも、お茶の水大をはじめとする入学資格改善の動きは素直に喜ばしいものと言える。
こうした動きは、これから全国の女子大にも波及していくだろう。たとえばすでに私立の津田塾大学も2017年度に学内で委員会をつくり、トランスジェンダーの学生らの受け入れの検討を具体的にスタートさせている。奈良女子大学や東京女子大学、日本女子大学でも同様の取り組みが始まっているという。
ところが、百田はこの動きに対して前述したように〈よーし、今から受験勉強に挑戦して、2020年にお茶の水女子大学に入学を目指すぞ!〉とツイートしたのだ。
百田のツイートは単なる“お寒い冗談”ではない。なぜならば、性自認を男性と公言している百田が「女子大を目指すぞ!」と宣言することは、明らかに「自分の性自認を偽って女子大に入り込む不逞な輩がいるかもしれない」「トランスジェンダーの人は性自認を偽っているのではないか」という偏見を助長するからだ。
しかも、百田は続けてこのようにツイートしている。
〈ふと思うんだが、女性同士でも愛し合うカップルがいる。ということは、体は男性だけど心は女性という人が、女性と愛し合うことがあっても不思議ではない。しかし、それって、外から見てると、ふつうに男と女のカップルに見えるよなあ。〉
あまりにひどいので念のため正しておくと、どの性別を恋愛・性愛対象とするか(性的指向)と性自認(自分の性をどう自覚しているか)はまったく別の話だ。トランスジェンダーの人もそうではない人も、異性愛者であるか同性愛者であるか、あるいはバイセクシャル、パンセクシャル、アセクシャルであるかといったように、性的指向は個人によって様々だ。また、自分の性的嗜好がわからずに苦しんでいる人たちも大勢いる。
戸籍上は男性だが心は女性で男性を愛するという人もいれば、戸籍上は男性だが心は女性で「女性として女性を愛する」という人もいるだろう。それは「男性が男性として女性を愛する」こととは違う。そもそも百田の言っている「外から見てると、ふつうに男と女のカップル」という意味がよくわからないが、街で男性っぽい人と女性っぽい人が2人でいたからといって、「ふつうに男と女のカップル」としか考えられないというのは、作家とは思えないあまりに貧困な想像力だ。
ようするに、百田は「ふつうに男と女のカップル」などと言って、旧来的な「男」「女」のジェンダー役割や「異性愛がふつう」という偏見をすべての人に強要・喧伝し、そこにはまらない多様な性のありようや繊細な機微など取るに足らないこととして切って捨てているのだ。これは性的マイノリティ排除、差別以外の何ものでもない。
3年前にも同性愛を「変態と思うのは自由」と差別ツイートしていた百田
さらに、百田のツイートからは「(戸籍上は)男性なのに女子大に入学できるのはズルイ、特権的だ」という主張すら垣間見える。いわゆる「在日特権」デマや生活保護バッシング、女性専用車両への男性乗り込み問題をみても明らかなように、実際には特権でもなんでもない偽の「特権性」をあげつらうのは、近年マイノリティへの差別と排除を正当化しようとするレイシストの常套手段となっており、その先に引き起こされるのがヘイトクライムだ。
ようするに、百田のツイートは愚劣であるのみならず、差別やヘイトクライムを煽り立てる最悪のものなのである。しかも、百田は悪ふざけで言っただけだと嘯くかもしれないが、そこにグロテスクな悪意があることは間違いない。
百田は2015年3月にもTwitterに〈同性とセックスしたいという願望を持つのは自由だと思うが、そういう人たちを変態と思うのも自由だと思う〉とむき出しの同性愛差別を書き込んでいた。多くの批判を受けて削除したが、そのころから百田のLGBTに対する差別的視線は何も変わっていないということだろう。
LGBT差別を扇動している人間が、〈よーし、今から受験勉強に挑戦して、2020年にお茶の水女子大学に入学を目指すぞ!〉と公に叫んだのだ。これは女子大に入学を希望するトランスジェンダーの人たちの尊厳を傷つけるものであり、さらに、決してそうあってほしくはないが、学生たちにLGBTに対する猜疑心や恐怖心を植えこむ可能性だってある。
本サイトは常々言っていることだが、百田尚樹の発言を「どうせいつもの放言」「バカのたわごと」と野放しにしてはだめだ。それがいかに差別と偏見を助長するものであるかを徹底して指摘し、批判せねば、この社会はますます生きづらいものになっていく。ーーリテラ7/14より転載