武田鉄矢をくさす・中原昌也
以前、武田鉄矢批判をアップした事がありますが、作家中原昌也氏ののが痛快でしたので、以下リテラより転載です
「文藝」(河出書房新社)2018年夏季号に掲載された中原昌也の短編小説『あの農場には二度と』のなかで書かれている武田鉄矢に関する描写が思わず笑わずにはいられないすごいものだったのだ。
小説の本編は武田鉄矢とはなんの関係もない。〈日々の不毛な仕事の連続に疲れていた〉と描かれる主人公の「わたし」が、馬との触れ合いを求めて人里離れた場所まで出かけていくところから物語は始まる。武田鉄矢が登場するのは、物語の終盤、馬を所有している牧場の牧場主が「武田」という名前であることが判明すると〈あのタレントの武田鉄矢そっくりに思えてきた〉と書かれるところからだ。
そして、語り手の「わたし」は、いきなり〈本人にしか見えなくなるにしたがって、その人間的な信用も嘘のように消えた〉と切り出し、そこから話は脱線。〈私は芸能人の武田鉄矢という男に対して、相当な偏見を持っており、直接何かされたわけでもないのに印象はとてつもなく強烈に悪い。あの男の声を聞くのも不快なので、テレビに登場すれば、即チャンネルを変える〉と、小説のストーリーの流れはどこかへ消え去り、そこから長尺で武田鉄矢への悪口が続いていくのだ。
〈もし鉄矢の身の上に何か困ったことが起きても、何もしてやらないし、話も聞いてやらない。もし鉄矢が河で溺れているところに偶然通りかかっても、絶対に見て見ぬ振り。怪我して倒れていても、救急車を呼ぶこともない。小さな鉄矢が必死にゴミ箱の中から這い上がろうとしたならば、そっとフタを閉め、その上に重い物を載せて立ち去る。近所の壁に鉄矢の似顔絵が大きく描かれていれば、自腹で洗剤や掃除道具などを買い込み、必死で消す。買う金がなければ、小便をかけて消す〉
思わず笑ってしまうほどの悪口のオンパレードで、〈小さな鉄矢〉に対する執拗なまでの描写などさすが中原昌也と言いたくなる書きっぷり。作者である中原自身が武田鉄矢を嫌いで嫌いで仕方ないとしか思えない。
でも、なぜ武田鉄矢なのか。中原の小説なのでもちろんわかりやすいベタな物語などでないのは当然だが、それにしてもあまりに唐突だ。
そう首をひねりながら、読み進めているううちに、この武田disはもしかして、前述した武田の安倍応援団化、ネトウヨ化への中原の嫌悪感が書かせたものではないか、という推理が頭をもたけてきた。
というのは、この武田鉄矢のくだりと次の場面とのあいだに、これまた唐突に、誰のものとも判然としないこんなセリフが差し挟まれていたからだだ。
「誰とメシ食おうといいじゃないですか!」
実はこれ、冒頭で紹介した昨年12月24日放送『ワイドナショー』にゲスト出演した際、武田鉄矢が放った言葉である。
この日の『ワイドナショー』では、同月15日に松本人志、指原莉乃、古市憲寿、東野幸治の『ワイドナショー』メンバーが安倍首相と四谷の焼肉店「龍月園」で食事をしたことに対して批判の声が起きていることを取り上げた。そこで武田鉄矢はこのようにコメントをしたのだ。
「誰と飯食おうといいじゃないですかね。あの人とは食べちゃいけない、この人とは……って。なんかみんな、やたら、反権力とか、政治を批判したり、それから首相に向かってバカと言ったりなんかすると、ちょっとかっこよがるっていう、なんかそういう風潮ありますよね。政治を批判する方たくさんいらっしゃいますよ、職業としてね。それは大事なことなんでしょうけど、相手が殴り返してこないことを見てて『かかってこい』と言う人いますよね。それはずるいと思うんだよね。誰とでも飯を食うというのは、とても大事な人間のある部分じゃないかな」
ご存知の通り、そもそもこの日、安倍首相は米軍ヘリ部品落下事故の件で上京していた翁長雄志沖縄県知事と会談せずに、自分の「オトモダチ」でいてくれるタレントとの会食を優先。首相としての姿勢そのものを疑わざるを得ないものだった。
また、たとえ、そのような事情がなかったとしても、「誰と飯食おうといいじゃないですかね」ということはない。松本人志の『ワイドナショー』は政治問題も扱う一種の「報道番組」だ。そのような番組をもっている以上、権力とは常に一定の距離感を保ち続けなくてはならない。だから、多くの人に批判されているのである。武田鉄矢はそういった基本的なところがまったくわかっていない。
『あの農場には二度と』で武田鉄矢がコテンパンに描かれている真の理由が『ワイドナショー』での一連の言動にあるのかどうかはわからない。ただ、これは明らかに武田の言葉から引いてものであり、少なくとも中原はこうした武田鉄矢の政権擁護発言や政治的スタンスを意識しているということは間違いない。
そして、もうひとつ重要なのは、中原昌也という作家が、最近、安倍政権の独裁的体質に対して猛烈な拒否感を示し続けているということだ。
彼は「SPA!」(扶桑社)17年10月10日・17日号に掲載された評論家の坪内祐三との対談で「安倍を支持している人たちがあまりにも下世話で耐えられない」とまで語っている。
「何だろう、別に思想的なことを言いたいわけじゃないんですよ。ただ、安倍を支持している人たちがあまりにも下世話で耐えられないってだけなんですよ」
中原が批判するのは安倍信者だけではない。安倍首相本人に対しては「繊細さに欠ける」と切り捨て、そして、安倍首相も含めた権力者に対しては「言葉がわからない外国の人たちの気持ちのほうがわかる」とまで徹底的にこきおろすのだ。
「政治家になりたい人のマインドがそもそもわからないってこともあるんですよ。ただ、安倍は酷すぎる。あんなにも繊細さに欠ける人が総理大臣になるってことは、そういう時代なのかもしれないですね」 「安倍たちに比べたら、言葉がわからない外国の人たちの気持ちのほうがわかる気がする。言葉が通じなくても、まだその人たちの気持ちのほうがわかるなって感じですね」(前掲「SPA!」17年10月10日・17日号)
「SPA!」17年9月19日・26日号に掲載された坪内との対談では、「本当に堪え難いです。道徳的とかってことを超えて、権力があれば何を言ってもいいだろうという、あの驕りが嫌ですね」と、安倍政権の強権的な姿勢も喝破していた。
もちろん今回の小説には安倍首相や政治を思わせるような表現はまったくないし、武田鉄矢のくだりにしても単純でベタな武田鉄矢批判などではない。それでも、あの面白すぎる悪口を読んでいると、安倍をとりまく応援団の言動に対して「下世話で堪えられない」という中原の嫌悪感が漏れ出たのではないかという気がしてならないのだ。
中原昌也はかつて、『待望の短篇は忘却の彼方に』(河出書房新社)におさめられた『お金をあげるからもう書かないで、と言われればよろこんで』のなかで、当時東京都知事だった石原慎太郎に対する猛烈な皮肉を浴びせていた。今回、『あの農場には二度と』で出てきた武田鉄矢への悪口の乱打はそれを思い起こさせるものがある。中原はツイッター上で安倍首相や安倍応援団のネトウヨに対する猛烈な怒りが書き込み続けているが、こちらも、なんらかのかたちで作品にしてほしい。期待は募る。
(編集部)
橋ーー全く中原論は拍手ものです