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息衝くーーこんな映画があるとは!


日刊サイゾー 2/23

東京の西郊外にぽつんと建つ田無タワーは、明日の天気を予報することで知られている。日没後にライトアップされたタワーが青色だと雨、黄緑だと曇り、紫色だと晴れになる。木村文洋監督の映画『息衝く(いきづく)』には、田無タワーが度々映し出される。タワーを見上げれば、少なくとも明日の空模様だけは知ることができる。寄る辺なき者たちの不安げな心情が、そこには感じられる。いつまでも続く経済不況に加え、震災や原発事故、そして右傾化する社会……。『息衝く』は明るい未来を予測することができずにいる今の社会状況を、政治、宗教、家族など様々な視点から見つめたドラマとなっている。

今の日本の政治を、多くの人はおかしなものだと感じている。震災後、自滅していった民主党政権に代わって、再び自民党が与党となり、安倍内閣による長期政権が続いている。だが、その政権を支えているのは選挙で安定した強さを発揮する公明党であり、その公明党は巨大な宗教組織「創価学会」によって支えられている。かつて野党時代の公明党は福祉政策や世界平和を訴えていたが、与党となったことで立場が大きく変わってしまった。自民党も公明党も学会員も含め、みんな違和感を感じながらも、走り出した列車を誰も止めることができずにいる。今さら口を出すことも憚れる、裸の王さま状態の政権に将来を委ねなくてはならない日本社会の不透明さ、変えようのない現実に対するジレンマが、『息衝く』のモチーフとなっている。

 物語は1989年から始まる。核燃料再処理工場の誘致が決まった青森県六ヶ所村から母親に連れられて上京してきた少年・則夫は、最初に声を掛けてきた2歳年上の大和、大和と幼なじみの慈と仲良くなり、完成したばかりの田無タワーを眺めていた。3人の子どもたちのことを、父親代わりの森山(寺十吾)がいつも見守ってくれていた。大和は「よだかの星は、ここから見えますか?」と森山に尋ねる。童話『よだかの星』を書いた宮沢賢治が熱心な法華経の信者だったように、森山や3人の子どもたちも法華経の信者だった。彼らは宗教団体「種子の会」に所属していた。「よだかの星を一緒に探そうか」という森山の返事に、子どもたちは嬉しそうにうなずいた。

 それから25年の歳月が流れた。則夫(柳沢茂樹)と大和(古屋隆太)は「種子の会」の信者として過ごしていたが、世の中はずいぶんと変わった。「種子の会」を母体にした政治団体「種子党」は与党政権に付いていたが、すでに独自色は失われ、政権にしがみつく存在となっていた。信者たちの間でカリスマ的な人気を誇った森山は国会議員として活躍したものの、10年前の自衛隊派遣問題をきっかけに政界を辞め、則夫たちの前からも姿を消していた。大和も則夫も父親のように慕っていた森山が失踪したことにショックを受けたが、「種子党」幹事長の金田(川瀬陽太)は次の選挙に協力するよう大和、則夫に要求する。家族や職場のことで悩みを抱える大和と則夫は、自分たちの手で社会を変えようと選挙運動に尽力するが、選挙終了後、彼らはさらに厳しい現実を直視するはめに陥る──。

 青森県出身の木村文洋監督は、六ヶ所村の核燃料再処理工場で働く青年とその婚約者を主人公にした社会派ドラマ『へばの』(08)で長編監督デビューを飾った。その後、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の幹部・平田と女性信者との逃亡生活にインスパイアされた『愛のゆくえ(仮)』(12)も撮っている。今回の『息衝く』は、青森ロケを敢行した『へばの』を公開した直後に「原発関連の施設のある地元だけの問題で終わらせずに、加害者であり、また被害者でもある日本人全体の立場から作品を撮らなくては」と思い立った企画だ。途中、東日本大震災が起こり、完成するまで10年近い歳月を要した。木村監督も含めて5人の脚本家たちによる共同作業を経て、様々な視点を盛り込んだ群像劇となっている。「種子の会」の強い繋がりや、選挙の投票日に会員たちがみんなで懸命に祈祷する様子などは、木村監督自身が大学時代に「創価学会」に入っていたときの体験をもとにしたものだ。

木村監督「もともと宗教に関心があり、青森から京都大学に進学した際に知人に勧められて創価学会に入会したんです。投票日にみんなで祈祷しているシーンは、僕が学生時代に見た光景です。選挙での獲得票数が信仰心のあつさと比例するという考え方は多分、今も続いているはずです。僕は映画サークルの活動が次第に忙しくなったこともあって、1年で集まりには参加しないようになりましたが、孤独な人間にとって居場所が用意されていることはすごく心地のよいこと。僕が入信した1990年代はもうそれほどではなかったと思いますが、創価学会が信者数を大きく増やした60年代や70年代は、地方から都会に上京してきた次男や三男、頼る相手のいない出稼ぎ労働者たちにとっては大切なコミュニティとして機能していたはずです。学会員の知人との交流は今も続いていますし、マジメに宗教活動している学会員も少なくないと思います。でも、マジメに活動している人ほど、今の政治状況には悩んでいるように感じるんです」

 劇中で描かれている「種子の会」「種子党」は、創価学会と公明党をモデルにしたものだが、本作は宗教&政治タブーを扱うことで安直に話題づくりを狙ったものにはなっていない。大きな矛盾を抱え、葛藤しながらも、前へ進まざるをえない今の日本の社会状況を象徴する存在として描かれている。

木村監督「原発が経済的にも非合理なものであることはすでにみんな気づいているのに、日本では地方の独占企業である電力会社の力が強く、また中央の人間も原発を止めたがらない。こういった状況を変えるには、従来とは異なる価値観を持った人たちが増え、声を上げていくことが重要だと思うんです。異なる価値観をつくるために、宗教関係者にも、脱会者にも、何より自分の帰属体が分からない人にこそ、そこを考えてほしいんです。この映画が公開されることで、政治や宗教についてもっと普通に話し合えるような空気になればいいなと思うんです」

 物語のなかば、則夫と大和はシングルマザーとなっていた慈(長尾奈奈)と再会する。やがて3人は、子どもの頃のように「よだかの星」を探す旅に向かう。そして、3人は変わり果てた「よだか」と遭遇することになる。カリスマ的指導者に依存することなく、どうすれば明日を信じることができるのか。田無タワーが告げる天気予報と違い、この映画が投げ掛ける問いの答えは容易には見つからない。 (文=長野辰次)

橋ーー私どもの作品も私小説を踏み出して社会的でなければ、と強く思いますね

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