倉本聰ーーりてら1/31より転載
昨年、大ヒットを記録した帯ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日)。その続編となる作品『やすらぎの刻〜道』が来年4 月より放送されることが発表された。
『やすらぎの刻〜道』は、『やすらぎの郷』の主人公であった作家の菊村栄(石坂浩二)が書いたシナリオという設定で、昭和初期からはじまり、戦中、戦後、平成を生き抜く夫婦の生涯を描くものであるという。物語の前半は清野菜名が、後半は八千草薫が主演を務める予定となっている。
脚本を担当する倉本聰氏は〈昭和・戦中・戦後・平成、日本の豊饒への歴史を辿りながら、それに翻弄される一組の夫婦の“倖せ”への郷愁を探り、描くものである〉とコメントを出しているが、この物語を「戦中」から始めるのには確固たる意図があると思われる。
というのも、倉本氏は「サンデー毎日」(毎日新聞出版)2018年1月28日号のインタビューで、安倍首相についてこのように断じているからだ。
「真摯なんて言葉の意味をあの人は知らないんじゃないかしら」
言うまでもなく、これは「丁寧な説明」や「謙虚な姿勢で、真摯な政権運営に全力を尽くす」などと言っておきながら、強権的な姿勢は微塵も変わらず、森友・加計問題からも逃げ続ける安倍首相の態度のことを指している。さらに倉本氏は「国民はけっしてバカじゃないと思うんだけど、どうして安倍1強政治をこれだけ長持ちさせちゃうのか。原発問題、安保法制の問題といった重要議題を全部よそに置いて、景気、景気のアベノミクスに引っかかってるわけでしょ」とも語り、現在の日本が置かれている状況に危機感をつのらせる。
なぜ、倉本氏は安倍政権を批判するのか。そこには、1935年生まれで、先の戦争に関する記憶を鮮明にもっている世代だからこそ、安倍首相の姿勢が戦争を引き起こしかねないという思いがあるのだろう。倉本氏は同インタビューのなかで、「些細なことで戦争まで行っちゃうんですよ」とも語っている。
倉本氏は『やすらぎの郷』でも、作品のなかに自身の戦争体験を反映させることで、戦争の愚かさを伝えようとしていた。
たとえば、地元の暴走族にレイプされたハッピー(松岡茉優)の仇をとるため、高井秀次(藤竜也)らが不良のアジトに乗り込み、不良の股間を握りつぶしながら「覚えておきなさい、ケンカはね、戦争です。戦後生まれのあんたらは知らんだろうけども、戦争というのは、こういうもんです」と語るシーンがあったが、これは倉本氏の実体験をもとにしたうえで書かれたセリフである。
『やすらぎの郷』にも反映された、倉本聰の戦争体験
「本の旅人」(KADOKAWA)11年5月号のなかで倉本氏は、山形に疎開していた時期の担任だった柴田先生について思い出を語っている。倉本氏が生まれて初めて関わった演劇の指導をしていた柴田先生は、倉本氏の人生に大きな影響を与えた人物だが、彼は戦争中にも関わらず戦争に批判的な意見を表明する人だった。
柴田先生は、生徒たちに軍歌を歌わせるのではなく自らが作詞作曲した曲を歌わせたりと、当時バレたらクビになりかねないような指導を行う先生で、戦争についても「おまえたち、外では言うなよ」と前置きしながら、「大きな声じゃいえないけど、戦争っていうのは喧嘩のことだからな」と語ったり、生徒の前で「大東亜喧嘩っていうんだ」と皮肉を述べたりする気骨ある態度をとっていたという。
そして、柴田先生による「戦争っていうのは喧嘩のことだ」という言葉を、より強烈に印象づける出来事が戦後すぐにあった。倉本氏は前掲「サンデー毎日」のなかで、戦後すぐの闇市(そこは小学校に向かう通学路でもあった)で見かけた衝撃的な出来事について語っている。
「戦後すぐ、小学6年のときに、予科練帰りの男がヤクザたちになぶり殺しにされるのを目の前で見たんです。死体の目と耳、鼻と口から黒い血が地べたへ流れ、それは恐怖で立ちすくんだぼくの足先まで伸びてきた。疎開していたので戦時中に直接人の死を見たことがなかったぼくにとって、あの闇市での闘争と死はまさしくぼくの戦争体験だったんですよ。ケンカってこういうものかと思った。ケンカ、イコール戦争だと思った。だからぼくはケンカは怖くてできない」
このように戦争を知っている世代だからこそ、倉本氏は平和や憲法9条について強い思いをもっている。
倉本聰がくり返し語ってきた、憲法9条への思い
「財界」(財界研究所)14年6月10日号では、ノーベル平和賞の候補に日本国憲法第9条が選ばれたというニュースを受け、〈よもや受賞とはなるまいが、候補となっただけでワクワクする。万一受賞したら、もっとワクワクする。今9条を見直そうとしているこの国の識者がどんな顔をし、どんな発言、どんな行動をとるかを想像してしまうからである〉と皮肉をまぶしながら、このように平和への祈りを綴っている。
〈戦争放棄を憲法がうたった1946年11月3日。放棄することが本当にできるならそれは夢のような嬉しいことだが、本当にそんなことができるのだろうかと半信半疑で僕らは目をみはった。だがそれからの70年近く僕らは奇蹟的にそれを成してしまった。その軌跡は将に世界が認め、まちがいなくそれを評価している。 もはや時代にとり残されているとか、そんな国は他にはどこにもないなどと、今をネガティブに思考するのではなく、先人たちが固守してきたように、それを誇りとし、絶対的な座標軸として不戦の記録を更新すべきである〉
安倍政権は、3年前に集団的自衛権の行使を可能にする安保法制を強行成立させ、現在も9条改憲も目論み、“戦争できる国”づくりを着々と進めてきた。それがどんな結果を生むのか。倉本氏は15年に出版された『昭和からの遺言』(双葉社)でも〈この国は集団的自衛権を認め 他国の為に斗う気だという 国のトップがそう云っている だが実際に国のトップは 先頭に立って斗うのだろうか〉と綴っていたが、『やすらぎの刻〜道』は倉本氏の危機意識と怒りが直接的に反映されるものになるだろう。戦争への忌避感がどんどんなくなっているいま、倉本氏はどのようなカウンターを放つのだろうか。