前生の記憶
ヒプノサイコロジー⑲ーー前世の記憶 december11, 2016
2000年9月、会社員のブルース・レイニンガーさんは、妻のアンドレアと息子のジェームズ(2歳)と、ルイジアナ州ラファイエットに引っ越してきた。するとジェームズが毎晩夜になると悪夢にうなされるようになった。それはまるで映画「エクソシスト」のように激しいものだった。 時間が経てば治るのではないかと両親は思っていたが、症状は次第に悪化し、眠れない夜を過ごすことになった。ジェームズはいつも苦しそうに「落ちるぞ」「体が焼ける」「脱出できない、もうダメなのか」などという言葉を口にしていた。 両親は今まで以上にジェームズの行動を熱心に観察するようになった。夜にうなされると、翌朝にはどんな夢を見たのか聞いてみるようにした。 するとジェームズは、自分が飛行機に乗っている夢を見ているがすぐに落ちちゃうんだ、と話した。飛行機に乗ったこともないのに落ちるという発想をすることが、ブルースには不思議だった。 何か解決の糸口になるかと思い航空博物館にジェームズを連れて行くと、彼は戦闘機に異常なほど興味を示し、その後は飛行機のおもちゃでばかり遊ぶようになった。さらにそれまでおとなしかったジェームズが、飛行機のおもちゃを持つと態度が乱暴になるようになった。 またある日、飛行機の絵を描いていたジェームズは自分の名前の横に数字の「3」を書いていた。なぜかと聞くと「僕は3番目だからだよ」と答えた。その頃ジェームズは3歳になっていたので、両親はそれを言っているのかと思っていた。だがその後も不思議な言動は続いた。 ジェームズはG.I.ジョーの人形に「レオン」「ウォルター」「ビリー」という名前をつけて、戦闘時のような会話をさせて遊んでいた。この頃は、両親が積極的にジェームズの話に耳を傾けた効果が少しずつ現れていると思われた。 ところがその矢先、母親が初めて作ったミートローフを見てジェームズが「なつかしいな」と話した。また、夢の話をすると「ナトマ」や「コルセア」という言葉が出てきた。みんなナトマから出て行く、コルセアは世話が焼けるんだ、と言う。すぐにパンクして左に傾くのだそうだ。父親には息子の言う言葉の意味がわからなかったが、さらに衝撃的な言葉を耳にすることになる。 ジェームズが突然「昔アメリカは日本と喧嘩をしていたんでしょ?そして大勢の人が死んだんだよね?」と聞いてきたのだ。そしてその時ブルースが読んでいた本の中にあった日本の地図を指差し、「僕は一度ここで死んだんだよ」と話したのだ。 その後ジェームズは友達に嘘つきだとからかわれるようになった。心配した両親が再びキャロルの元を訪れると、彼女はジェームズの場合は夢ではなくて、前世の記憶が宿っているのではないかと驚くようなことを言った。 前世の話をする子供の特徴として「突然の口調変化」「話す内容の一貫性」「経験を超えた知識」が挙げられるという。この特徴にジェームズの言動は一致していた。 両親はにわかには信じがたいことだと思ったが、自分たちだけでもジェームズを信じて何を訴えたいのか知ろうと思った。そこで始めに、ジェームズに前世の記憶があるのなら、それが誰なのかを突き止めようと思った。 ブルースはジェームズに、夢の話を詳しく聞いた。夢には「ジェームズ」「ジャック・ラーセン」という人物が出てくるらしい。ジェームズというのは、息子ジェームズ自身と思われた。そしてジャック・ラーセンは「僕の前の人だよ」という。これが彼の前世の名前だと思われた。 ブルースはジェームズの言葉を一つずつ確かめる事にした。コルセアとは第二次世界大戦時に使用されたアメリカ軍の戦闘機で、ナトマも大戦時に太平洋に配備された航空母艦ナトマ・ベイのことだった。小型のために一般にはあまり知られていなかった。ブルースには従軍経験がなく、知識も興味もなかったので知らなかったのだ。 さらに調べていると、海軍ではミートローフが定期的に出されていたこともわかった。ジェームズはあの時代を知っている、そう両親は思った。 そこで次に、アメリカ政府が運営している戦没者のデータベースを調べた。そこには「ジャック・ラーセン」という人物が存在した。 さらにジャック・ラーセンを調べていると、数日後に「ナトマベイ・アソシエーション」という元ナトマ乗組員で構成された戦友会があることを突き止めた。戦争当時、ナトマで元通信技師をしていて今はその代表を勤めるレオ・パイロットという人物に連絡をすると、ジャック・ラーセンというパイロットがいたと思うと証言した。 それ以上の情報はなかったのだが、ブルースはナトマに関する情報や記録を何でもいいから送って欲しいと頼んだ。しかし送られてきた資料にはラーセンに関するものは何もなかった。だが乗組員のいくつかの連絡先が書かれていたので電話をしてみたのだが、ジェームズの前世の話をすると誰もが関わることを嫌った。誰も前世を信じる人はいなかったのだ。 ブルースも、息子の話でなかったら信じられないので仕方がない、と思った。そこでずるいとは思いながらもジェームズのためと割り切り、ナトマの本を書いているという名目でコンタクトを取ることにした。 するとアル・アルコンというナトマで甲板作業をしていた元水兵の男性が、ナトマの同窓会に招待してくれると申し出てくれた。ラーセンのことは知らなかったが、ブルースの熱意と共通する南部なまりに親しみを感じたのだ。 同窓会は1960年代から2年ごとに行われていて、2002年8月はカリフォルニア州サンディエゴで行われた。ここにブルースは招待してもらったのだ。 ブルースはアルコンに案内されて、多くの人に話を聞くことができたのだが、ここで思いがけないことが起こった。さっきまでジャック・ラーセンは出席していたのだが用事があって帰ったというのだ。 実はブルースが見つけた戦没者ジャック・ラーセンは同姓同名の別人で、ジェームズが前世と語っていて、ナトマに乗鑑していたジャック・ラーセンは生きていたのだ。 ブルースは真相を知りたいと、アーカンソー州スプリングデールに住むジャック・ラーセンを訪ねることにした。彼の話は、ジェームズの前世の謎を解き明かす鍵を握る重要なものだった。 ジャック・ラーセンはVC-81部隊に所属するパイロットで、ナトマから硫黄島の戦いに参戦していた。硫黄島は東京の南およそ1200kmに位置し、太平洋戦争末期に日本軍と米軍が激戦を繰り広げた。米軍は本土攻撃にあたり、硫黄島確保が絶対条件だった。ラーセンの所属したVC-81部隊では、若い3人のパイロットが命を落としていた。その名前はレオン中尉、ウォルター少尉、ビリー少尉だった。そう、ジェームズがG.I.ジョーにつけていた名前と同じだ。 運命の1945年3月3日、ナトマは硫黄島南西80kmの位置に停泊し、ここからVC-81部隊が25機の編隊を組んで硫黄島の北東250km離れた父島に向かった。父島には当時陸海軍合わせておよそ1万5千人もの日本兵が駐留しており、守りが非常に固く、この日VC-81部隊は撤退を余儀なくされる。その際、一人のパイロットが日本兵に撃ち落とされた。彼は部隊の一番後方を飛んでいたため、撃墜されたことに仲間達が気づいたのはナトマに引き返した後だった。 父島で撃墜され、この日ナトマに唯一帰還できなかったパイロットの名前は、奇しくも息子と同じ名前のジェームズ・ヒューストンといった。 息子が夢のことを語った時の「ジェームズ」とは、彼自身のことではなく、ジェームズ・ヒューストンのことだったのだ。 さらにラーセンは、ジェームズが生前「僕は祖父と父の名前を受け継いだんだ。だから僕の名前はジェームズ3なんだ」と語っていたと証言した。ジェームズも飛行機の絵の横に「ジェームズ3」と書いていた。 次々と符号する事実に、ブルースは驚きを隠せなかった。そして、ヒューストンの遺族を探すことにしたのだ。
ジェームズの話は、彼が戦死したジェームズ・ヒューストンというパイロットであったことを示すものだった。しかし一つ、合致しないことがあった。ヒューストンはワイルドキャットという戦闘機に乗っていたからだ。 この真相を知るため、ブルースはヒューストンの遺族を探した。彼の父親が新聞記者だったことを突き止め、両親は片っ端から新聞社に連絡をしてようやくジェームズ・ヒューストンの4歳年上の姉が生きていることを知った。 アン・ヒューストン・バロンはカリフォルニア州ロス・ガトスで暮らしていた。バロンの存在を知ったブルースは、その後電話やメールで連絡を取り合うようになった。そして数ヶ月後、今まで黙っていたジェームズのことについて打ち明けた。自分の弟の生まれ変わりがいる、という話に最初は半信半疑だったが、バロンは次第に会いたいと思うようになった。そして、次のナトマの同窓会に招待してくれることになった。 テキサス州サンアントニオで行われた2004年8月の同窓会に、ブルースとアンドレアとジェームズは家族揃って出席した。ジェームズはバロンを見つけると「アニー」と呼びかけた。バロンはジェームズが弟の小さかった頃によく似ていると写真を見せてくれた。本当に二人はよく似ていた。 だがバロンが驚いたのは顔が似ていたことだけではなく、60年前と同じように「アニー」と呼んだことだった。またこの同窓会は、さらなる奇跡を呼び起こした。一人の男性の声を聞いたジェームズが「グリーンウォルトでしょ?ずいぶん年を取っちゃったね。でも声は変わってないね」と話したのだ。 彼の名はボブ・グリーンウォルトといい、ヒューストンと同じVC-81部隊に所属し、あの日も同じミッションに参加していた。初対面の日にこんなに小さな男の子が自分の名前を知っていることにとても驚いたという。 この日、バロンとグリーンウォルトは初めて会って、ヒューストンの写真を見ながら彼の思い出話をしていた。この時、一枚の写真にコルセアの前に立つヒューストンが写っていた。今までヒューストンがコルセアに乗っていた事実は掴めなかった。 実はグリーンウォルトとヒューストンはVC-81部隊だけでなく、その前に所属していたVF-301部隊でも一緒で、その時にコルセアに乗っていたというのだ。VF-301部隊は飛行技術の優れた者が集まるエリート部隊で、ここではコルセア機のテスト飛行が行われていた。だが8ヶ月という短い任務期間だったため、当時必須とされていた年間記録にも残されていなかったのだ。 彼らはテスト飛行を繰り返してコルセアの特徴を見つけた。タイヤがパンクしやすく、機体がすぐに左に傾いたという。グリーンウォルトの話は、ジェームズが話したコルセアの話と一致していた。 ではなぜ前世の記憶が悪夢として蘇ったのだろうか。それはヒューストンの最期にあるのではないかとブルースは思ったが、彼の最期を目撃した人は誰も同窓会の場にはいなかった。 ブルースは父島に関するウェブサイトを見つけると、ヒューストンの最期について情報提供を求めるメッセージを掲載した。60年以上も昔のことで、どの戦時記録にも記されていないことだったため、返信は諦めかけていた時だった。ジャック・ダラムという人物からメールが届いたのだ。 彼はVC-83部隊のパイロットをしていて、その日はヒューストンのVC-81部隊が飛び立った直後に、別の空母から援護のために父島に向かっていた。VC-81部隊が攻撃を諦めてナトマに引き返そうとした時、対空機関砲によって一斉射撃を受け、ダラムは砲弾が最後尾の機体に命中するのを目撃した。 悪夢の中でジェームズが苦しんでいたのは、エンジン部分から火が出て機体が傾き、墜落する時の記憶だったと思われる。機体はあっという間に火だるまになり、二見港に墜落したとダラムは語る。ジェームズがジャック・ラーセンを「僕の前の人」と話していたのは、編隊での位置を言っていたのだ。 さらにブルースはこの時、悲しい真実を知った。ヒューストンは父島のミッションが最後のミッションで、あれがなければ家族の元に帰れる予定だったというのだ。 ヒューストンの壮絶な最期を知り、なぜ息子が悪夢にうなされたのか、ラーセンの名前を口にしたのか両親にはわかったような気がした。ヒューストンの無念が、強く残っていたのだろう。 現在8歳になるジェームズ君は、前世について話すことはほとんどなくなってきた。それを複雑な気持ちで見守ってきた両親は、今こそ父島に行く意味があると思った。 2006年9月、ジェームズの一家はバロンのためにも、そしてヒューストンのためにも、小笠原諸島・父島に行って鎮魂の意を捧げることにした。 年間2万5千人の観光客が訪れる海の美しい父島だが、今でもあの戦争の爪痕は島に色濃く残っていた。一家はヒューストンの眠る父島の海に出た。それまでの調べで墜落地点を把握していたのだが、そこに着くとジェームズは突然泣き出した。彼にしかわからない感情が溢れ出したのだろう。そして「僕は絶対に忘れないよ」とつぶやきながら花束を海に投げた。 こうして家族の6年に渡る旅は終わった。一人の青年の壮絶な最期、そして子供に宿った前世の記憶。それは未来に託された、あの悲劇を二度と繰り返してはならないというメッセージだったのかもしれない。 父島の旅についてビデオを見ながら話を聞いたバロンさんは一家に感謝し、弟が美しい海で安らかに眠っているだろうと話した。ジェームズ君は将来、ヒューストンのようなパイロットになりたいと話している。
〈この内容はてれび「アンビリバボー」で放映されたものですーー橋〉