生まれてくれてありがとう
産んでから初めてわかった、わが娘の重い障害。母親は、頼れる人のいない異国の地でもがき苦しみ、絶望の縁まで追い込まれた。しかし、それをも凌駕する喜びをもたらしてくれるのもまた、わが子にほかならない──それに気づき、前を向いて歩くことを選んだ家族の14年8か月の軌跡を追う。 「わが家には、長女の千璃(せり)が生まれた頃の写真はありません。千璃が生まれた瞬間、主治医に“NO!”とカメラを取り上げられてしまったのです」 愛娘誕生の瞬間をこう振り返るのは、ニューヨーク在住の倉本美香さん(48才)。千璃ちゃんには目がない。無眼球症という障害で、彼女のように両眼ともない症例は、12万人に1人といわれる。鼻や口蓋の奇形、心疾患や発達遅滞などの重い障害があり、このような重度の重複障害は、前例がない。 美香さんはこう話す。 「相模原の障害者施設で19名の尊い命が失われた事件は、米国にも衝撃的なニュースとして伝わって来ました。『障害者は世の中のお荷物、世の中からいなくなるべきだ』という容疑者の言葉に、震えました。体が大きくなって、介護が必要になった障害者を家族だけで世話をするには限界があります。施設に子どもを送り出す親御さん達は、やむなくその結論に達したのかもしれません。その送り出した先で、我が子が殺傷された気持ちを思うと、いたたまれませんでした。 『障害者は不幸を作ることしかできない』と容疑者は言ったけれど、千璃の存在は、私達にたくさんのものを与えてくれています。千璃が生まれてきて、たくさんの障害を持ってきたことで、私たちは本当に必要なものは何かを勉強できていると思います。千璃が存在してくれているだけで意味があります。千璃とは言葉でのコミュニケーションははかれないけれど、私はいつも彼女に『生まれて来てくれてありがとう。生きていてくれてありがとう』と言葉にして伝えています」 そんな美香さんが千璃ちゃんとの日々を綴った『生まれてくれてありがとう 目と鼻のない娘は14才になりました』(小学館)が出版された。そこには困難を極める子育ての様子が記録されている。 ◆「ああ、この子は生きたいんだ」 搾乳した母乳を与えるにも、5~10cc飲ませるのに何十分もかかった。睡眠を促すメラトニンの体内生成ができず、睡眠時間は長くて3時間。千璃ちゃんが泣いて起きるたびに、美香さんも起きて世話をした。「まさに不眠不休。生後4か月を迎えた頃には、先の見えない闘いに疲れ果て、千璃を連れてアパートの屋上から飛び降りようと思ったことがありました」(美香さん。以下「」内同じ) 死を覚悟した美香さんがドアを開けると、さっきまでとめどなく泣き叫んでいた千璃ちゃんが、音楽を聴いてキャッキャッと笑っていた。「ああ、この子は生きたいんだ」 この瞬間、美香さんに迷いはなくなった。目だけで30回を超えた手術代をまかなうためもあったが、周囲の一部に咎められても、好きだった仕事はやめなかった。2年後には長男が誕生。やがて子供は4人になった。 千璃ちゃんはその後、頭蓋骨を開けて骨を取り出して整え、また戻すという大手術などを経て、少しずつではあるが、着実に成長していった。
「わが家は3人の弟妹にとって、障害者と一緒にいるのが当たり前の環境です。次男はいつか研究者になって、千璃を治したいと言ってくれています。どの子も思いやりの深い子供に育ってくれています。千璃は決して、家族のお荷物などではない。それどころか、私たちにとっての希望の光なんです」
今では、成長記録の写真も増えた。千璃ちゃんの成長は、すべてが家族の喜びに変わるのだ。
女性セブン2017年12月14日号