サイコロジー講座「子供の発達障害」
2学期に入り、我が子の成長が気になる頃では。「発達障害」について、信州大付属病院子どものこころ診療部部長の本田秀夫さんに聞きます。(聞き手・松本航介)
発達障害とは、子どもの頃から行動に特記すべき異常があることを言います。異常は乳幼児期からみられ、成人後も残ります。そして、それが要因となり、何らかの形で生活に支障を来します。 「異常」というと、「正常」の反対のように聞こえますが、私は、「通常」の反対だと思っています。 例えば、左利きの人は人口の10%ほどいます。「通常」ではないという意味では「異常」です。昔は左利きの子は「右で書きなさい」と矯正されましたけど、今ではそういうことはあまりしません。つまり、かつては「正常でない」と思われていた左利きも、最近は「通常でない人たち」というふうに見てもらえるようになっています。 発達障害もそれと同じ。少数派の物の考え方をする人たち、少数派の感じ方をする人たち、そういうふうに考えてあげてください。 では、異常はどんな形で表れるでしょうか。大きく三つのパターンがあります。 まず、「何かをやらない異常」。みんなはやっているけど、その子だけやらないというものです。周りが教科書を開いて勉強しているのに、教科書を見ようともしないような子。「やりたくない」という場合もあれば、「やらなければいけない」と気づいていない場合もあるでしょう。 「何かをやる異常」もあります。みんな着席しているのに一人だけ走り回っている子。やってはいけないとわかっていないのかもしれません。わかっていても、やってしまう子もいるでしょう。
突然耐えられなくなり、学校に行かなくなってしまうことも…
そしてもう一つ。見逃されがちなのが「目に見えない異常」です。 一見すると、みんなと同じように振る舞っているのに、みんなが考えていないようなことを考えている子がいます。これが「目に見えない異常」です。 例えば授業中。みんなが授業を聞いている。その中で、実は「今日の晩ご飯はなにかな」と、授業とは別のことばかり考えている子がいる。だけど行動として表れないから、見た目には分かりませんよね。 先生の話に興味がないのだけど仕方なく聞いている。本当は聞くのがつらいけど嫌とは言えない。そんな子がいるのです。 先生に言われたことをよく理解できていないのに、周りの子がするのを見て見よう見まねでまねている子もいます。先生から見ると、みんなと同じ行動が取れているので、「あの子、わかってるから大丈夫」と勘違いしてしまいます。 親御さんは、よその子と比べて自分の子が何かをやらないという「何かをやらない異常」を気にします。幼稚園や学校の先生は、他の子がやらないのに何かをやらかしてしまう子、「何かをやる異常」に注意を向けます。 しかし、見逃されて手遅れになりやすいのは、実は、「目に見えない異常」なのです。そういう子はつらさを感じていても黙って我慢してしまうから、後で大変なことになる。ずっと耐えていたけど、ある時期突然耐えられなくなり、学校に行かなくなってしまうということもあります。 不登校や引きこもりの子は、実は小さい頃、何の問題もないと思われていた人が意外と多い。これは、何の問題もないように見えていただけで、心の中では色んなことに耐えていたのかもしれないのです。
「ごっこ遊び」つらい女の子 そ
の子は5歳の女の子でした。お母さんが「この子は発達障害じゃないかしら」と心配して、相談に来られました。 女の子が通っていた保育園の先生は、その子に何も問題を感じていなかったそうです。でも、その子から話を聞いてみると、心の中でいろんなことを考えていました。 まず、保育園の昼食時に騒がしいと頭が痛くなってイライラするというのです。昼食の時間にみんなでワイワイと食べるのは楽しいですよね。その子はそれが苦痛だったのです。 それから、友達から「ごっこ遊び」に誘われるのが嫌だと言いました。5歳の女の子がごっこ遊びをするのはごく普通です。ところが、それが嫌なのです。 しかも「5歳の女の子はごっこ遊びをしなきゃいけないから、みんなも嫌だけど我慢してやっている」と言うのです。みんな楽しくてやってるのに、「みんなも我慢してる」と思い込み、一人だけ我慢していたのです。かわいそうですよね。
ほかにも、驚かされるのが嫌。クレヨンのにおいが嫌。誰かが一度触れた物にはさわりたくない。こんなふうに感じながら保育園に通うのはつらいですよね。行きたくなくなってもおかしくない。でも、頑張って通っていたのです。 こういうことを続けていると、いつかばててしまい、行けなくなる。
最近、不登校の子どもの中に発達障害の子が多いと言われますが、こんな理由の場合もあるのです。 発達障害の人というのは、ものの考え方や感じ方が少数派の人たちです。多数派向けの社会になじめないことも多いのです。我慢に我慢を重ねた結果、「やっぱりもう無理」と、ばててしまう。そういう子がいることを知ってほしいと思います。
「リンゴとミカンは足せないでしょ」
足し算に悩み もう一人、別の男の子の例を紹介します。とても知能が高く、幼稚園の年少の頃には簡単な足し算引き算ぐらいはできるような子でした。 ところが、小学校に入り、算数の授業が始まった初日に、すごく暗い顔をして家に帰ってきたのです。そして、「小学校の算数って難しい」と言ったそうです。お母さんが不思議に思って「何が難しかったの?」と尋ねたら、こう答えました。 「それがね、小学校ではリンゴ3個とミカン2個を足せって言うんだよ」 ふつう、リンゴ3個とミカン2個を合わせていくつ?と問われたら、ほとんどの人は「5個」と答えますが、この子は「リンゴとミカンは足せないでしょ」と考えたのです。 ごもっともですよね。逆に、「なんで足すの?」って話ですよね。
よくよく考えてみると、例えば、ビル3棟とチョコレート2個を合わせていくつ?と問われた時に、これを「5個」と考えるのは、発達障害じゃない人でもなかなか抵抗があるわけです。 ビルとチョコを足してはいけないのに、なぜリンゴとミカンは足していいのでしょう? この疑問に、誰もが納得できるように論理的に説明できますか? 難しいですよね。 論理的に考えると、本当はこの男の子の方が合っているのです。ところが、何となくそれで納得してしまう人が大勢いるもんだから、そちらの方が正しいのだとみんなが思ってしまい、「リンゴとミカンぐらい足してもいいでしょ」ということになるわけです。 こんなところで引っかかってしまうのが発達障害の人たちの悩みなんです。こういう気持ちをぜひわかってあげてください。
本田・ひでお)1964年、大阪府豊中市生まれ。精神科医。信州大医学部付属病院子どものこころ診療部部長・診療教授。日本自閉症協会理事。著書に「自閉症スペクトラム」など。