「尖閣問題」
いわゆる「尖閣諸島」については、日、中、台湾政府が領有権を主張している。私は我が国の領土論に立つのであるが、台湾政府はさておき、現在の日中間の「領有権」帰属問題を複雑かつ緊張関係に導いたのは石原東京愚政の「東京都の所有宣言に端を発すると考えている。日中間の歴史をおさらいする。
米国は尖閣諸島が日本の実効支配化=施政下にあることを認め、尖閣諸島が日米安全保障条約第五条を適用される地域であることを認めているが、日本の領有権は認めていない。
尖閣諸島については日本が領有権を主張する一方、中国も領有権を主張している。
この点への認識があったから、1972年の日中国交正常化の時点、および、1978年の日中平和友好条約締結時点で、この問題を「棚上げ」することで日中両国政府が合意した。
このことについては、1979年5月31日付の読売新聞が社説で次のように記述していることから見ても、間違いのない事実であると考えられる。
「尖閣諸島の領有権問題は、一九七二年の国交正常化の時も、昨年夏の二中平和友好条約の調印の際にも問題になったが、いわゆる「触れないでおこう」方式で処理されてきた。
つまり、日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が“存在”することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。
それは共同声明や条約上の文書にはなっていないが、政府対政府のれっきとした“約束ごと”であることは間違いない。約束した以上は、これを順守するのが筋道である。
鄧小平首相は、日中条約の批准書交換のため来日した際にも、尖閣諸島は「後の世代の知恵にゆだねよう」と言った。
日本としても、領有権をあくまで主張しながら、時間をかけてじっくり中国の理解と承認を求めて行く姿勢が必要だと思う。」
読売新聞が、尖閣領有権問題について、
「問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた」
ことを明記している。これを表現する言葉が「「棚上げ」合意」である。
しかも、読売新聞は、この「棚上げ合意」に対して日本が取るべき対応として、
「共同声明や条約上の文書にはなっていないが、政府対政府のれっきとした“約束ごと”であることは間違いない。約束した以上は、これを順守するのが筋道である」
との主張を示したのである。(以上、植草論考より)
(橋評ーー合意後に「ケンカはすみましたか」との毛沢東氏の言葉も強く印象に残っている。「棚上げは大人の流儀である、若い人たちはしっかり学んで日中友好に尽くしてほしい」と現役時代、社会科教師としてずっと訴え続けてきた。敵対する現状が残念でならない)