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井上ひさしの真実

  • 2017年5月5日
  • 読了時間: 6分

故井上ひさし氏は敬愛する作家です。前日本ペンの会長です。ペン大会で拝見したことあります。左記の言葉は自分が書くときの姿勢にさせて貰っています〈姿勢だけです。できたとは言ってませんからネ。〉彼の著作は「文章読本」はじめ七割以上よんでいるような。戯曲「十一匹の猫」は生徒が上演したこともあります。拙作「レクイエム」は「猫」のパロディ版です。彼は「九条の会」発起人の一人です。

で、彼の「九条論」を転載します。

彼がライフワークとしていたのが日本国憲法と平和についてメッセージを発信し続けることだった。たとえば、湾岸戦争とそれに対応する日本政府の動きに危機感を覚えた彼は「週刊プレイボーイ」(集英社)1991年3月26日号のインタビューでこのように語っている。

「今、憲法の論議を深める必要があると思います。今の憲法の成立から我々は考えなくてはいけない。僕自身もこれを自分のこれからの一生の仕事にしようと決めています。僕らが少年の頃にどれだけ憲法に思いを託したか、やっていきたいんです」

「日本国憲法より教育勅語のほうがよほど古い」

そういった仕事のひとつが『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』(講談社)だ。

 この本はタイトル通り、日本国憲法が生まれた経緯や、その憲法の意義について子どもでも理解しやすい平易な言葉で書かれている。『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』は2006年に出版されたものだが、そのなかには、まさに2017年のいまだからこそ思い返されるべきこんな言葉がある。

〈このごろ「この憲法は古い」と言う人がふえてきました。そう主張する人は他方で、「明治の教育勅語はすばらしい」と言ったりしますから、なにがなんだかわからない。古いというなら、日本国憲法より、教育勅語のほうがよっぽど古いではありませんか。  いったい、もめごとがあっても武力でではなく話し合いで解決しようという考え方のどこが古いのでしょうか〉

 前出「週刊プレイボーイ」のインタビューで彼は「僕らが少年の頃にどれだけ憲法に思いを託したか」と語っているが、『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』では、この憲法に書いてあることがそれまでの自分の人生観をひっくり返したと書かれている。

それまで学校では「兵士となって戦地へ行くのか、防衛戦士として本土で戦うのか、それはわからないが、とにかく二十歳前後というのが、きみたちの寿命だ」と先生から言い聞かされてきた。それが終戦を機に180度変わったのである。戦争のせいで若くして死ぬという可能性はなくなったのだ。

〈敗戦の翌年、日本国憲法が公布されたときです。「きみたちは長くは生きられまい」と悲しそうにしていた先生が、こんどはとても朗らかな口調で「これから先の生きていく目安が、すべてこの百と三つの条文に書いてあります」とおっしゃった。とりわけ、日本はもう二度と戦争で自分の言い分を通すことはしないという覚悟に、体がふるえてきました〉

「日本国憲法を捨ててはならない」

戦争のせいで夢や幸せを諦めなくてもいい。なぜなら、日本はもう二度と戦争はしないから。それは井上少年にとって〈頭の上から重石がとれたよう〉な出来事だったが、同時に、とても難しい生き方を強いられることでもあることを悟る。

〈二度と武器では戦わない。──これは途方もない生き方ではないか。勇気のいる生き方ではないか。日本刀をかざして敵陣へ斬り込むより、もっとずっと雄々しい生き方ではないか。度胸もいるし、智慧もいるし、とてもむずかしい生き方ではないか。そのころの私たちは、ほとんどの剣豪伝を諳んじていましたが、武芸の名人達人たちがいつもきまって山中に隠れたり政治を志したりする理由が、これでわかったと思いました。剣より強いものがあって、それは戦わずに生きること。このことを剣豪たちはその生涯の後半で知るが、いま、私たちはそれと同じ境地に立っている。なんて誇らしくて、いい気分だろう〉(『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』)

 彼のこの考えに対し、ネットを中心に蔓延る“自称”リアリストたちは「何を甘いことを言っているんだ」「脳内お花畑」といった言葉を浴びせるかもしれない。しかし、長期的視点で見れば甘いことを言っているのはどちらなのだろう? 

「自分たちを守るため」という大義名分で武力行使したことで世の中はどうなったか? 歴史をひもとけば、そのような行為が新たな憎しみしか生まないことは自明だ。

〈人間には残虐な面があることはたしかですが、言葉をもち、その言葉で気持ちや考え方を交換し合う能力があります。むだな争いをやめて、なかよく生きることもできるはず。ちかごろ、この第九条の中身が古いという人たちがいます。「平和主義」という考え方は古いでしょうか。問題が起こっても、戦争をせず、話し合いを重ねて解決していく。その考え方が古くなったとは、私にはけっして思えません。むしろ、このやり方はこれからの人類にとっての課題ですから、第九条は、新しいものだといっていい。日本は正しいことを、ほかの国より先に行っているのです。「平和主義」という考え方は、人類にとっての理想的な未来を先取りしたものだといえます。その考え方が戦争をふせぐ最良の方法だと注目している人は、外国にもたくさんいます。第九条は、世界の人々のあこがれでもあるわけですから、なんとしても、その精神をつらぬいていきたいものです〉(『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』)

安倍首相をはじめ、憲法改正に向けてひた走る人々はしばしば「愛国心」という言葉を用いる。しかし、それは本当に「国を愛する」という意味の言葉なのか? 「週刊現代」2006年8月19日・26日合併号に掲載された藤原紀香との対談のなかで井上は、為政者が喧伝する「愛国心」の真の姿をこのように断じている。

「自分が住む土地の自然や文化・生活、家族が好きだという愛国心です。ところが、その愛国心は政治家に利用されてしまうことがあるんです。  第二次世界大戦で日本は、「愛する国のために戦え」と国民を戦争に送り込み、純真な子どもたちを軍国少年に仕立て上げた。小泉首相もさかんに「国を愛する心」なんて言うけど、彼が押しつける愛国心は、「自分が行う政治を愛せ」という意味でしかないですね」

 この「小泉首相」を「安倍首相」に代入しても、そっくりそのまま通じることは言うまでもない。

 1945年8月15日から2017年5月3日の今日まで、この国はどうにかこうにか、戦争によって誰も殺されず、また殺さずに済んできた。70年以上にわたって続いてきたその歴史が、いま、変えさせられようとしている。本当にそれでいいのか? 国民ひとりひとりがもう一度よく考えるべきだ。『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』からこの言葉を引いて本稿を閉じたい。

〈この六十年にわたって、私たちは目先のことに惑わされて、いろんなものを簡単に捨ててきました。日本にあるものはたいていつまらないものばかりだから捨ててしまってもかまわないという考え方は、日本にあるものはすべて尊いとする考え方と同じように、まちがいだと私は思います。捨ててよいものもあれば捨ててはいけないものもあって、後者の代表が日本国憲法ではないでしょうか〉

(編集部)  リテラ5/4号

 
 
 

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