ムハンマド・アリーー追悼
ボクシングファンならアリの旧姓カシアスクレイを知っていることだろう。彼はイスラムに改宗してアリを名乗った。
「自分が戦うべきはベトコンでなく 、アメリカだ」と兵役拒否をして王者ベルトはく奪され、試合停止処分を受けるのたが、その処分が停止されたのは米国内に高まったベトナム戦争に対する反戦気分だったといわれる。同じ頃、反戦の米国軍人を国外亡命させたのは我が国の「ベ平連」である。私は今、鹿児島ベ平連を近作「夢でありましたか」に少し書き入れたところだったのでアリに連帯感を持って追悼することにした次第。その後もアリはひるまず黒人の権利獲得運動をつづけたところが世界各国で認められている。追悼文なので思い出を少し書く。1976年6月26日、土曜だった。対猪木の異種格闘技戦を見るべく急ぎ勤務先から戻って買ったばかりのテレビの前に座り込んだ。録画機はまだ無かった。寝てばかりの猪木との試合は酷評されたらしいが、一流の武者試合は一撃必殺なわけだからこんなものだろうと思ったよ。
猪木の引退セレモニーに病気をおしてアリは米国からやってきている。そして猪木の入場曲「猪木ボンバイエ」はアリから贈られたものである。彼の戦いの一生が黒人初大統領オバマの誕生に寄与したものは大きかった、と私はここに記しておく、まだ誰も言っていないが。