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哲学者論①「ソクラテス」


〈ご飯論法〉という新語が生まれました。朝ごはんは食べましたか?との問いに「食べませんでした」と答える。そうか朝食抜きなんだと思ったら実際はパンを食べていた。パンだからご飯は食べていないと答えたのだとすり替える論法です。法政大教授の命名ですが、池上彰氏はこれが安倍政権の論理だと喝破しました。「加計学園理事長とゴルフした事ないですか」に対し「テニスとか将棋だったらいいの?」と逆質問で返したり、「森友に私や妻が関わっていたら、総理も議員も辞めます」が、後に「関わるとは刑法上の関わりです」と言い直したり、最近では「募ったが募集はしてない」など、どうですかね。

 ソクラテス論に入る。生誕は紀元前四七〇年頃とされ、〈女の平和〉を書いた作家アリストファネスとほぼ同時代で、アテネは一応民主制を採っていたが制度は形骸化していた。デモクラシーの語は、古代ギリシャ語のデモスクラシア〈民衆の力〉が語源となる。が、一応と書いたのは多くのデマゴーガ〈大衆扇動家〉が横行していたからである。デマ〈嘘〉をつく人々の下地に、ソフィスト〈知恵ある者〉と呼ばれていた人達がいて、有料で弁論術を教えていた。教えとはこうである。「絶対の真実なんてない。例えば今日が温かいのか涼しいのか人によって判断は異なる。だから、弁論で勝ちさえすればいいのだ」など。真実の知識を習得するより弁が立ちさえすればいいんだという考えが流行していたのがソクラテスの育った時代だったのである。彼はある時、デルフォイで神託を聞く。「ソクラテス以上の知者はいない」というものだった。ソフィスト達が数多いる中で自分が一番の知者だと? 彼は真偽を確かめるべくソフィストに問答を仕掛け、気づく。彼らは本当の事を何も知らない。比べて、無知を自覚している(無知の知)自分の方が秀でているのではないか、と。後は、真の知識を追求する事もせず弁論にかまけている街の青年達に、対話を仕掛けて無知を自覚させ、共に真の知を見つけようと誘えばいいと考えたのである。無知だと最初から決めつけるのでなく、本人に気付かせる技法だった。

 さて全ての物には利点〈長所〉がある。刀は切れる、が利点〈アルへー〉であるなら、人間のアルヘーは魂である。魂を磨いて〈良く生きる〉事こそ人間の徳としたのである。だが彼はソフィスト達によって妬まれ、裁判となる。罪状に「青年を惑わす」というのがあった。対して彼は、自分の行いを誤りと認めず、死刑判決を受け入れる。脱走を勧める弟子達には「悪法も法なり」と諭す。悪法だから従わないというのでは、〈天気も同じく、真理も人それぞれの解釈でよい〉として批判してきたソフィストの論理・詭弁と同じになるとして悠然と死を受け入れたのだった。

彼なりの一つの責任の取り方だったと思う。「責任は自分にある」と言うだけでは済まされない。「責任」というものは「どうとったか」で始めて処理したと考えるからである。

     --南九州新聞コラム5日掲載

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