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目指すのは金星でなく一番星よ
-実存ヒプノ16-


                                                                                                           橋 てつと
「新玉貰っていいか、ブン」。
畑のオレに声をかけて来たのは、元学生運動仲間のモモジローだ。
「おう、好きなだけ抜いて行け。玉葱は葉付きのままが、ぶら下げての保存にはいいぞ」。
「解ってるって。ところでブン、お前ロシアのウクライナ侵攻をどう見る」「おいおい、畑の合間にここでする話か。今度ゆっくり語ろうぜ」「そうだな。しかし、俺は思ってたのさ。お前が秘かに戦争の拡大を望んでいるんじゃないかとな」「ヌカシヤガレ。月一の反戦・反原発街頭集会を皆勤の俺だ、そんなの思う訳がないだろ。死の商人じゃあるまいし、どうしてだ」「〈戦争に強い農業をやってます〉が、お前の婚活のキャッチコピーだと前に言わなかったか。小麦粉や麺など食糧高騰の折に、無農薬野菜を意中の女に送り付けてたら効果覿面じゃろう」「効果無いね」「撒き餌虚しという訳か」「ああ」「ならばお前の〈四低〉よ、低姿勢に低依存、低リスク、低燃費と言う女の望む時流にかろうじて乗った姿勢は評価が上がったんじゃないか」「時流に乗っただと。サーフィンじゃあるまいし。一向に」「なら自分が思っているほど優良債権じゃ無かったという訳だ」「優良債権じゃないだと」「おう、要管理債権だな」「解りやすく言え、モモ」「解りやすくか、ならこれだ」。と言うなり、掴んでいた玉葱束をひっくり返して見せつけたモモだ。
「なんだ、それ」「逆玉(ぎゃくたま)つまり玉の腰の逆。解かるか、もはや要管理のお前だ。看取ってくれる、間違い、傍で看てくれる奇特な逆玉女性が現れる事を祈るしかないわな。分を弁えて逆玉を捜せとまでは言わないがな」
そう言い残して去るモモへの投げ台詞が見つからぬまま見送るしかなかったオレだ。要管理扱いしたヤツに敗戦を認めた訳じゃないが、敗戦の弁すら無しの兵卒の気分に襲われている。
 
 「どうだ、クラシック焼酎の味は」。
差し向かいで、モモに焼酎を振る舞っている。つまみは喜界島の友人の安藤氏が冷凍で送ってくれたミズイカの刺身に、自家産玉葱のソテー、それとシーチキンを載せただけの生玉葱サラダ。
「なんだ、クラシック焼酎とは」「おや、ご存じない、意外だね。ベートーヴェンの名曲〈田園〉を聴かせて樽で熟成された焼酎だ。味はどうだ」「うむ。ヨロシ。まろやかだ」「それこそが熟成よ。芋臭さが消えて深みのある高級感を醸し出しているだろ」「一杯じゃ判らん。狸の金玉(きんぎょく)だ、また一杯」と飲みながら、つまみ話をオレの婚活話に仕向けてきたモモだ。つまみの話は政治社会問題と同レベルに婚活冷やかしが面白い、と思い込んでいるフシがヤツにはある。
 「ブン。センコー花火はどうなった。散る前にもう一度輝きたい、という願望を一緒に満たしてくれそうな女は見つかったか」「まだだ、と言ったばかりじゃないか」「そうだったかな。お前にはもう一つマメさが足りないと思うね」「そうかい。花火で思い出したぞ。この前、鹿児島市で〈山下清生誕百年祭展〉があったのを知ってるか」「おう,見には行かなかったが新聞で知った」「俺も行かなかったんだが、〈長岡花火〉の新聞解説に、清本人談の『みんなが爆弾なんか作らないできれいな花火ばっかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな』の語が良かったんで、担当の文化部にいい紹介だったとテレしたのさ」「マスコミチェッカーの活動は続けているんだな」「ああ。自称マスコミクレイマーとして、南日本紙には月一世論投稿と週一電話がノルマだ。もう一つの南九州新聞には週一で原稿三枚のコラムを書かせて貰っている」「最近、何を書いた、コラムの方は」「論語解説を六回書いた」「論語だと」「おう。哲学者論をデカルトまでやってきてから、論語に立ち返ったという訳さ。俺の嫌いな好戦主義者の連中がよ、ウクライナで銃を持って戦う人は素晴らしいと称えてるのに疑問を持ってな。沖縄戦で散った英霊の眠る土を辺野古埋め立てに使うのを一方で容認してるじゃないか、畏敬心など微塵も感じられない、と。それを論語論の三回目に書いた」「そうか、読者反応は」「届いてない。それより面白い事に気付いた」「何だ」「最近届いたペシャワール会報に故中村哲氏の愛読書の一つが論語だったって事さ」「ほう。キリスト教信者じゃ無かったか、哲氏は」「そう。だが、ヒューマニストだった彼の根底に儒教精神の仁や忠恕が通底している、というのも頷けたな。で、アフガンの現況だが」「どうなってる」「会報によれば、国際社会の経済圧力で、再び貧困と飢餓が進行中だとか」「圧力の要因は、タリバン政権は女性の人権を尊重してない、だな。貧困からの救済がより優先課題と思えるがね」「だろ、モモ。西側の国際基準とやらも理解できかねるな」「ああ。他には何か無かったか」「テレで最近、クレイムを二件入れたのを語ったか」「ノンだ」「一つは奄美の新民謡〈加計呂麻(かけろま)慕情〉を紹介するのにさ、(鳥も通わぬ加計呂麻島)とわざわざ僻地性をあげつらう歌詞を転載していたので不要な語だと指摘し、住民感情に配慮すべしと注文つけた」「そうか」「もう一つは、ある新無名の詩人を紹介するのに引用した詩が僅か六行の中に(馬鹿)の文字が二つも入っていたんだ。それでコラム担当の論説委に注文つけた。『詩人が馬鹿の語を使用するのは否定しない。しかし、教育現場では、学習不適応者に対し、馬鹿の語で括らず、個別に原因と対応策を模索しながら指導に当たっているのが現状だ。公器である新聞は人権感覚をもっと磨くべし』、とな」「同感だ。で、論説委の反応は」「担当に伝えておきます、だけだった。社説やコラムと言えば社の顔だろ。なのにだ、見識を疑わざるを得ないと改めて思ったね」「マスコミ必ず正義とは言えぬ、かな」「そう。全てを疑えだ」「全てを疑え、はマルクスの好きな言葉だった」「そうだ。デカルトも然り。ところでモモ、マルクスの言葉に〈好きな徳として男は強さ、女は弱さ〉というのがあるだろ。マルキストとしてどう思う」「よく知ってるじゃないか。ジェンダーレス社会には、時代遅れの発想かな」「よろし。モモお前、潔良いマルキストだな」。
何でも語れるモモはオレ自身の視座を確かめさせてくれるコンパスみたいな役目だと思っている。が、ライバルでもあるし、感謝なんて伝える事など無論無い。
 
 「久しぶりだな先生、憶えているかね」。軽トラから降りて来たのは野球帽をアミダに被った五十代の男。
「お会いした方とは思えるのですが、定かな記憶は」「仕方ないよな、三十年ぶりだものな。俺だって昔、名乗らなかったし。今日はこの町に用があってな、先生が住んでた事を思い出してネットとナビで調べたのよ。そしたらドンピシャ着いたという訳だ。で、促成キュウリを持ってきた。間引き物だから見てくれは良くないが味は悪くない。貰ってくれるか」と言うなり、荷台から小箱を下ろしてきた。
 「有難く頂戴します、でもいいのかな。思い出す前から手を先に出しちゃって」「なに、三十年前の礼だと思って貰えればいい」「ひょっとしてヒプノをされた方?」「そう。前世催眠とやらで、過去は無名戦士だった。それから十年後に、偶然然手にした先生の本〈前世カウンセリング〉に自分の事が書かれているのを見つけた時は身震いしちゃったね」「そうでしたか。無名戦士、だった方なのですね」
 〈無名戦士〉で思い出した。彼の前生は百年ほど前の東南アジアで、革命側戦士としてゲリラ戦の前線にいた。逮捕後に銃殺されたが、一族保存の為に相談の末、弟を敵側に置いたのを悔やんでいた。現世で兄弟仲が良くないのはその所為かと訊かれて即座に否定している。因果応報説には昔から立っていない。兄たる貴方が度量を大きくして弟に接せよ、とアドバイスした記憶が蘇って来た。
「その後、兄弟仲はどうですか」「おう。二人とも近くでハウス栽培をやってるのだがね、繁忙期は互いに加勢し合ってるよ」「兄弟仲が良ければ一族安泰ですな」「嬉しい事をいってくれるじゃないか。それより俺は、南日本紙に載る先生の投稿文を楽しみにしているんだぜ」「投稿?」「おう。たまに見つけるが内容は反戦・平和の主張で一貫している。たいしたもんだ」「いやいや。掲載率ときたら三割バッターですから」「それでもよ、こんな保守地盤で信念貫いてやっているのはエライと思っているんだ」。
そういう彼に、今日はヒプノの依頼はなかったのですかと訊くと、無しと手を振って否定し、逢えて嬉しかったわ、と軽トラで走り去っていったのだった。

 車から降り「お久しぶりです、ご無沙汰しています」と声を掛けて来た男には見覚えがあった。端正だった童顔は年齢と共に崩れた様相をきたしていた。が、四十年ほど前の教え子だった。
「槙田君じゃないか。オヤジ顔になったな。とは言えすぐに解ったぞ。元気にしてたかい」「はい。実は昔、介護でこちらのおばあちゃんとのご縁があったんですよ」「え、嫁のばあちゃんかい」「ええ、ディの送迎した事があります」「そうだったの」「短期間でしたのでご挨拶もしないままでした、奥様にも」。
祖母も妻も他界した、と告げると焼香をさして欲しいと頼んで来て、その後、茶飲み話となった。高二で担任した彼は委員長役を引き受けて責任ある仕事をしてくれた事などを話してるうち、大学生になった後にヒプノ依頼に来たのを思い出した
「ヒプノをしにやってきたのだったよな」「ええ。シッコが近くて講義に集中できないと相談したら、堂々と許可貰って用を足せ、軍隊じゃないんだからと言われて気が楽になりました」「前生では確か、江戸期の鉱山夫が出たんじゃなかったかね」「ええ、〈といびき〉という出水汲み出し職人でした。〈無宿改め〉でとっ捕まって鉱山(ヤマ)に送り込まれたらしかったのですが、熱気の坑内はとてもキツイ作業でしたね。名は確かゲンゾウとか言った」「よく憶えていたな」「先生は憶えておられない?」「プライバシーだからね。記憶に残さないよう無意識が作用しているかも知れない」「そうですかね。話変わりますが、南九州新聞にコラムを毎週書いておられますね」「気づいてたのかい。筆名だから知る人は少ないと思っていた」「職場が採ってましてね、楽しみにしてるんです。先週までが論語、次週から聖書六回予定でしょ。高校時の倫理の授業再現みたいで待ち望んでいますよ」「社会時評をもっと書きたいのだがね、間違った認識の評論は載せられないんで、資料調べの繁忙さから社会論は後回しになってしまう」「コロナワクチンは書いておられましたよね。医療立国論として」「うん。書いたな。不確かだが、こんなんじゃ無かったかな。『日本ではワクチンが国防や外交の要という概念が欠けている。国防とは防衛費を増大させる事だけでなく、根本となる医療面での国民の安全保障や、緊急時の食糧保障も重要だと考える。食の元となる種子の自家生産が困難となる種苗法改正や、水道水民営化に道を開いた水道法改正などは国民の安全な生活の保障に繋がるのか疑問に思う』と、そんな内容だった」「しっかりした記憶じゃないですか。加齢による認知症の兆しなんて見られないですね」「そうでもないさ。人や物の名前が浮かばなくなった」「先生でもそんなものですかね。ならば伴侶か茶飲み友達など話し相手を見つける事が認知予防策して優先かもしれませんね。ウチには候補が多くいますよ」「候補だと」「ええ。女性の入院患者さんに話好きな口達者な人は多いですよ。いかが、検討の余地は」。
 大きな笑い声と共に去った元教え子だが、辛口ジョークらしきを置き土産にしたヤツの持参の和菓子は上質の甘さで、左党の口を慰めてくれたのだった。

コロナ禍の為、ヒプノ勧誘は控えていた。が、依頼がきた。中学の同窓からで、息子を診てやって欲しいというものだった。同窓達とは十年前に還暦会をやって、次の再会は古稀にと約束していたのだが、コロナ流行のあおりで開催していない。このまま縁が消滅するのも寂しく思われて、同窓の想い出を週一のコラムに書き綴るようになっていた。個人的な思い出を綴っても読者にすれば面白くも無かろうと工夫をこらし、昭和三十年代情景を描いたコミック〈三丁目の夕日〉の内容紹介の中に友人の想い出を短く絡ませて書いている。エピソードが掲載された新聞コピーを友人達に送り付け、かつての少年少女達の驚く顔を浮かべて悦に入っていたのである。
中に、『催眠術の想い出』と題したものを書いている。中二の時、臨海学校なるものがあった。夏休みに隣県の海水浴場での宿泊体験だったが、キャンプ余興でのイベントで、目立ちたがり少年だったオレは〈催眠術ショー〉なるもの開陳している。勿論、本物の催眠ショーなど出来るべくもない。友人の順平に頼み込んでサクラの演技をして貰ったのだ。幾つかの成りきり演技をこなした彼がニセ催眠の終了直後に「ここはどこなんだ、僕は何をしてたんだ」の演技が上手くて、拍手喝采ものだった記憶がある。
「イヤー、六十年後によ、お前が本物の催眠術師になってるとは驚いたよ」と、相棒役でショーを演じてくれた友人からの電話だった。
「田舎に留まっていたとは知っていたんだが、不精にかまけて逢いに行く事もせずにすまなかったな、順平」「お互い様よ。酒が飲めるうちにお前とは飲みたいと思ってたんだが」「飲めなくなったのか」「ああ」「そいつは残念だな。酒から現役リタイヤとは昔の悪たれ小僧が信じられん。歳を取ったものだな」。
想い出話は弾んだ。二B弾なる爆竹が流行り、いつも誰かが持ち歩いていた事。地蜂の巣にそいつを投げ込んで燻そうとしてボヤ騒ぎを起こして怒られた事。
忍者ごっこに二B弾の火炎は欠かせなかった事など。
 「風呂敷の覆面被って忍者ごっこしたろ。憶えてるか」「ああ。写真は今も持ってるぞ。忍者遊びに夢中になったせいか、オレは後に〈カムイ伝〉の漫画にハマってしまい、自分でも二本の忍者小説、〈赤影・青影伝〉、それに〈穴丑伝〉」というのも書いていてしまったよ」「何、お前、小説家もやってたのか」「いやいや、小説家なんて名乗るもおこがましい」「催眠術師に高校教師というのにも驚かされたんだが小説まで書いてたとは、な」。
軽く笑い声をあげる旧友に、哲学が専門だった事を加えたらどんな顔をするだろうと驚く顔を見てみたい誘惑が募ってきた。しかし。何故か浮かんだのは、先般他界した立花隆の顔だった。彼も哲学専攻だったのだ。勿論サイコロジストして、氏彼の〈臨死体験〉なども読んできた。〈死後に葬式・戒名不要。己の冠つけた記念文庫も同様〉と言い残して現生を去った彼は、〈転生〉を信じていたのではないかと思っている。來世が無だと思うなら現世に証なりを残そうとしただろうからだ。
 ほぼ十歳年上で満州引き上げの彼とは異なり、戦後生まれのオレ達は団塊世代と名付けられた。そして団塊世代の同窓の半数は〈金の卵〉ともてはやされて中卒で就職していった。だが、振り返れば、自分の高校教師の過去も、哲学に励んだはずの身も、邯鄲の夢のように思えるリタイヤ十年の自分である。
 
「緊張を解きましょうね」と催眠(ヒプノ)誘導に入っていく。クライエントは友人順平の息子である。コロナ禍でリストラに遭い、引きこもり状態になって一年近いという三十代男性。どうしたら現状を打破できるかのアドバイスを貰いたい、という依頼である。
「何をしていますか」「山に登っている」「ほう、どこの山か判りますか」「ひこさん」「ひこ山?」「霊峰を知らないのかい」「ひょっとして福岡の」「うんにゃ、筑豊のお山じゃ」「解りました。登山家なのですか」「登山家? そんなんじゃねえ。祈願と修験の為の霊峰巡りよ」「修験って?」「四国巡礼は聞いた事ないかね」「あります」「あれと似たようなものさ。ここのお山のご祭神様が農耕の神様と聞いたから、豊作と一家繁栄を祈願しにやって来たという訳よ」「どちらからですか」「日向よ」「遠いですね」「なーに。お伊勢参りに比べりゃ大した事はない」「で、御祈願の加護はありましたか」「おうよ」「どんな」「他人に話すものじゃないて。話せばご利益は消えるものといわれちょるからの」「そうですか。では現生の貴方への教訓は貰えますか」「教訓とは何だね」「人生の道標、と言えましょうか」「どんなだ」「現状を打破したい、つまり行きどまりを踏み越えて歩きたい現生の貴方にとって、道標となる教訓です」「突破とな。ウーム」。
被験者は考え込むかのように首を垂らした。が、眠りに陥るように見えたので声をかけた。睡眠と催眠は異なるのだ、眠って貰っては困る。
「時が進みました、あなたは教訓を伝えられる境地にいますよ。どうぞ教えて下さい」「何だったっけ」「現生の自分が壁を乗り越えて踏破できる方法です」「そうだったな。ではこれだ。他人に解って貰おうとするな、それより自分が他人を解ってやっているか、だ」「もう少しわかりやすく」「うむ。英彦山に登った話はしたよな」「ええ」「下山の途中で雨に打たれてお堂で休んだ」「ほう」「その時、お堂守さんらしき人がやってきて、休む為の莚に、雑炊までお接待下さった。で、その時に話をしたんじゃが、『主(ぬし)の顔は険しい』と言われたんじゃ」「険しい、ですか」「うむ。一家の大黒柱だとの思いが悲壮感となって顔に出ている、とな。もっと周りを信じて任を分かち合え、でないと自身が滅ぶぞ、とも」「成程。で、現生への教訓ですが」「仕事を休んでるみたいだな」「ええ」「頑張りすぎたのよ。そして頑張りに比べて、評価が低い事に不満じゃったみたいだな。それで、だ。教訓とやらじゃが、他人の評価を気にするな、解って貰えない事の方が当たり前と思え。それより他人をもっと認められるようになれ。そしたら周りとの付き合い方も変わる。以上じゃ」。
父親からテレが来たのは一週間経った頃。「息子が仕事に就く意思を見せ始めてよ、履歴書を書き始めた、何枚も、だ」「何があったのかと訊いても答えは無し。悩んでいた時間が勿体ない、とまで言うんだ。何が変えたか判らないが、とにかく礼を言う、アリガトな」。「オレは何もやってないよ。自分での気づき、がオレの催眠スタイルで、実存ヒプノと称している」「そうか。で、お代なんだが」「友人から金は戴かない主義でね」「そうか。アリガトさん。今度焼酎下げていくわ。飲めなくなった残り物をな」。
実存主義的には、悩む事を否定しない。悩みは主体責任を掘り下げていくからだ。だが、「悩む暇が勿体ない」と言った青年の今後は楽しみになっている。
 
ヒプノ依頼者は中年女性だった。
「中二の一人娘の事なのです」「中二ですか。難しい年頃ですね。中二病とか」「中二病って?」「自分は何でもやれる、と背伸びしたがる」「その逆ですわ。何にもできない、しないの」「え」「コロナ学校休みで家にいる時間が長くなったでしよ。すると家では何にもしないでゴロゴロしてるだけ」「ゴロゴロとは」「勉強するでもなし、ファッション雑誌を繰り返し見てる」「手伝いはするんでしょ」「言いつけた事はしぶしぶやるわ。でも部屋は散らかしっぱなし、で、暇があれば日に何度もお風呂に入ってるわ。何を考えているのか」「お風呂好きなんですか。しずちゃんみたいですね」「しずちゃんって?」「漫画ドラえもんのヒロインですよ。雑誌は何を読んでますか」「ファッション雑誌なの」「そっちに興味があるのかな」「ええ、専門学校に進んでファッションデザイナーになりたいって」「いいじゃないですか、将来の夢が決まっていて」「でも今、理屈ばっかりで動こうとしないのよ。昔は聞き分けの言い素直な優しい子だったのに」
と言う訳で女性への催眠療法(ヒプノセラピー)は、どうしたらいいか、原因となる過去生から教訓を貰う、である。
「何をしています」の問いに返答なし。再度訊く「過去生に戻りましたよ。何をしてます」「餌切(えき)れ」「餌切れって」「栄養失調で死ぬ寸前」「え、どうして」。
またも答えが無かったので、時を進める
「今、食は大丈夫です。安心ですよ、何をしています、どこにいますか」「家の中」「住んでる地方は?」「おび」「え、飫肥城のある飫肥ですか」「ええ」「前に、餌切れとか言いましたね」「ええ」「どうしたんですか」「お腹をすかしてフラフラしていたの。子どもの時よ」「それで」「水をたらふく飲んでから畑に行って芋を齧った」「さつま芋ですか、生で?」「当たり前じゃん。少しはドキドキしたけどね」「え?」「隣の畑の芋を盗んだから。自分の家の畑まで行くのはだるかったしね」「幾つ?」「十四」「お、現生の貴方の娘さんと同じ年だ。ヒモジイ時はよく盗みに行くの」「たまにね。兄弟達の分もよ」「親からは何も言われないの」「見つかりさえしなければね。でも私、よく出来た子って言われてるのよ」「ほう、何故?」「兄弟の面倒見はいいし、親の手伝いもよくするからって」「そうですか。では、現生の貴方に教訓とか貰えますか」「教訓って何?」「じゃ、もっと時が進んで貴方は大人です。何をしていますか」「南瓜煮てる」「南瓜ですか」「うん、育ち盛りの子供が四人いるの」「四人とは多いですね」「多くないわ、普通よ」「そうですか、結婚しているのですね」「ええ、実家の近くよ」「ほう」「私ね、若い頃は〈日向南瓜(ひゆぅがかぼちや)〉と呼ばれて若い男集から人気者だったのよ」「日向南瓜とは?」「見た目はよろしくないが中身はとてもいい」「そうなんですか」「見た目も自信あったのに失礼よね。それは置いて。引く手あまたの縁談の中で、家に近い所に嫁いだの」「どうしてですか」「実家に行き来しやすいし、親の面倒もみられるからね」「それは偉い。苦労とか無かったですか」「畑が狭くて借りてたから上納が、ね」「ジョーノーって何」「年貢。でも地主さんがいい人で、出来高払いの現物でいいからとして下さったので助かってたわ」「そうでしたか。良かったですね。では現生の貴方へ教訓ですが」「教訓ね。子どもはほったらかせ。親は無くとも子は育つ。終りよ」
 翌日、婦人からテレが来た。「昨晩、娘に宣言したの。貴方にかまい過ぎてたのをこれから控える事にする。でも相談事はいつでも言ってね、と。娘の眼が輝いたのが見えたから、これでいいと思う事にしたわ」
一週間後。またテレが来た。「娘が進んで手伝いをしてくれるようになったのよ。お風呂の回数は減らないけどね」「お風呂では身体磨きだけじゃなく、心磨きをもしてるんじゃないですか」「だといいけど」と秘かな笑い声とともに受話器が置かれたのだった。
モモが飲みにやって来た。つまみは自家産の大量に湯がいたそら豆、酢味噌味のラッキョウ、それと焼き鳥である。飲み物は発泡酒に焼酎。酒だけはふんだんにあるのでヤツが文句を言った例(ためし)はない。女性のヒプノ体験を聞いたモモが洩らした「貧して孝子出ずだな」「何だそれ」「貧しき家庭に親孝行の子が育つ、という意味さ。生芋を齧っていたと言ったな、子供時代に」「ああ」「苦労したと言ったか」「愚痴には聞こえなかった。逆に盗みを誇っていたような気がした」「戦後生まれの俺たちの時代もひもじかった」「欠食児童と呼ばれてたからな」「半分が中卒で就職して行ったよな」「ああ。俺らは運よく大学まで行かして貰ったが。進学できなかった彼らは親の貧しさなりを恨んでいたろうか」「恨み節を聞いた事は無いな。逆に仕送りして家計を助けられる事を誇りにしてたんじゃないかな」「うむ。昔、流行った集団就職の歌、〈ああ上野駅〉を歌う時、中卒組は旨を張って歌ってたものな」「そうだな。話変わるが、今の我が国の子供の幸福度をどう見る、ブン」「自殺者が少なくないから、幸福とは言えないのじゃないかな」「ああ。ユニセフによれば一昨年の子供の精神的幸福度は世界三十六位だ。調査三十七カ国中だぜ」「驚きだな」「大人だって、満足度は世界の真ん中どころの六十位くらいだ。経済大国にして長寿国、皆保健診療の国で満足していない大人達が、子供に不幸をもたらしているんじゃないか、と俺は思っているんだがね」
今迄聞いた事の無い教育論を語りだしたモモに呆気にとられた。過去にヤツと子育て論を語った事は無かった。子どものいないモモを慮る気持ちがさせていた。話題を移した。
「ロシアの侵攻をどうみる、モモ」「早期停戦を望むしかないな。問題は我が国が危機に便乗して軍事大国化する事だ。GDP二%の防衛予算なら米中に続く世界三位の軍事大国化になる。明らかな憲法破壊だ。だけじゃない。既に俺やお前は危険分子の仲間入りだ」「陸自が反戦デモをテロなどと同等に〈敵〉とみなしていた事か」「そうさな」「共謀罪法や盗聴法成立時点で想定された事だ。今迄もマークは日常茶飯だったろ」「それより、我が鹿屋にも米軍部隊の駐屯だな」「ああ。本土の沖縄化の進展だ。対米隷属は抜き差しならなくなる。在駐米軍の国内法適用について、独、伊、仏、ベルギーなど安保条約と地位協定を結んでいる西欧諸国と我が国との比較をした沖縄県の独自調査がある。それによると在留米軍に国内法が適用除外となってるのは日本だけだ」「米軍の出入国数もワクチン検査も管理できないんじゃコロナ野放しだ」「復帰五十年の機に沖縄独立論が勢いを増してきたな」「独立したらどうなる」「国内中に米国旗が翻るのを見る事になるね。道交法も米国法になるんじゃないか」。

 電話の声は初老らしき男性だった。
「催眠をして貰ったのは四十年近い昔じゃから憶えちゃおられないだろうが。それは遇った時に話すとして、大名竹は要らんかね、先生。要れば持って行くが」。
「大名ですか、最高の竹の子だ。貰えるのなら遠慮なく頂戴しますよ」。
一時間後に到着した男が軽トラの荷台から下ろしたのは採りたての大名竹、五十本近く。店に出回る孟宗竹より大名竹の値打ちが高いのは知られている。昔は大名しか食べられなかったから、この名がついたとか。大名と男の顔を繰り返し見つめたが思い出せず、正直にその旨を告げると男は笑った。
「昔、何の相談で訪ねたかワシも憶えちゃおらんのだよ、過去生で山姥がでたのはよーく覚えちょるんじゃが。ビックリじゃったからな」。
男は続けた「昔の事じゃから山姥の過去を忘れておったのじゃが、十年ほど前、映画で〈デンデラ〉ちゅうのを見てな、思い出したのよ。見たかね、先生は」「いや」「息子が借りて来たビデオじゃったのだが。ワシの過去と異なるところがいっぱいあっての」「そうでしたか」「村の掟で捨てられるのは一緒。だが映画は、ばあさんのみが捨てられ、ばあさん達は捨てた村に復讐を企てるという話じゃった。じゃが、ワシ達捨てられた者は爺・婆の四人で暮らしていたよ。山に村の者が野焼きに入る事もあったから、〈不入(いらず)〉の目印を立てて入らせなかった」「野焼きと言うと、焼き畑ですか」「そうじゃ」「山が解りますか」「ああ。傾き山と呼ばれてた」「おう、祖母傾山」「そう」「ワシらは村とは共存してたよ。米を盗んだ時は山のものをお返ししたりしてたからな」「そうですか」「熊とも共存してたよ」「え、九州にも熊がいたんですか」「いたのよ。しかし、村人同様に結界の印を立てて、我々も熊の領地には入らなかったし、熊も来んじゃった」「そうでしたか。で、今日は何かヒプノ依頼でもあったのでは」「無し。有料じゃろ」「ええ。ですが大量の大名も戴いたし、お礼がわりに何かありましたら催眠やれますが」「ヨカ、今日は先生の顔が見れて幸いだったよ。じゃな」。
モモに大名を貰ったとテレをすると「下処理しといてくれるだろ」と厚かましい返事が返って来た。皮付き竹の子は剥いた皮の処理に難儀するのは承知だ。仕方なく庭で皮剥きにとりかかった。剥いた皮は畑に埋め、十本ずつビニール袋にいれると一時間を優に超えていた。竹の子で一杯やろう、とモモにテレをし直して皮付きのヤツを素焼きにした。らっきょう同様にこいつも酢味噌でいける。今日のつまみはこれと玉葱サラダに乾き物しかないが、止む無しだ。
 「姥捨て伝説の話だったのか。姥捨てに幼児の間引きとか幕藩時代は厳しかったそうだな。姥捨ての話は全国にあるらしいからな」と、シャクシャクと音をたててラッキョウを齧りながらモモが語る。
「昔は四公六民とか重税だっただろ。姥捨てに間引きなどありえる話だ」「そうだな。ところで現在の我が国の税率はどれくらいだ、と思う。ブン」「そうだな。固定資産税、所得税に加えて消費税、県税に市町村民、酒税、ガソリン税、健保税、介護税、電気料加算の復興税と、どこもかしこも税有りだから四公六民に近いところか」「実は間もなく五公五民になるんだな」「嘘だろ」「嘘言ってどうする。財務省発表によれば四公六民は十年前だ。一昨年の二十年度なら四十六%の負担率で、四捨五入すれば五公五民だ」「ホンマかいな」「どころじゃない。赤字国債大量発行は知ってるだろ」「ああ」「財務省が、将来来世代の負担率を出したところ、五十六%超えと出た。〈六公四民〉近しだな」。「もっとリッチな国家だと思っていたが」「一人当たりGDPで実態が解る。一昨年の経済協力開発国中三十八国中、真ん中の十九位だ。韓国にも抜かれた、どころか今の経済成長では二十年後の国力は韓国の半分、発展途上国レベルになると書いている経済誌もあるくらいだ。世界に比類のないこの経済失速は〈失われた三十年〉だと言える。だが、この原因をあげるのは容易じゃない。政府が国民にGDPをごまかす粉飾を十年に亘って続けていたからな。我が国のこの不況は後十年続くとする説すらある。好転する要因が見つからないだからだそうだ」「ヒエッ、俺達、高齢者福祉はどうなる?」「高齢化に歯止めは止まらないだろうから、社会のお荷物扱いは進むだろうな。後期高齢者の医療費一割負担が間もなく二割に引き上げられるのは知ってるだろ」「ああ」「だけじゃない。特養の入所条件の介護認定度が引き揚げられたのが五年前だ」「そうだったな」「どうする、ブン。お前の将来はコドクシかね。東京二十三区内のホームレスの過半数が六十五以上の老人だそうだ」「何を言う。家なら二軒持つオレ様だ。ホームレスにはなるまい」「それなら豚小屋で終えるかね」「なんだ、そりゃ」「独りで食えなくなった老人が終の棲家として豚小屋行きを望むというのが増えてきてるらしいぞ。ブン、お前も青春時代のフルサト、ムショで終焉)を迎えたらどうだ。医療や介護付きの健康食で今は豚小屋のイメージはないらしいがな」「バカな事言ってんじゃない」「お、その気色だとまだ一本釣りは諦めちゃいないんだな」「当ったり前だ。人生百年の計がオレ様にはある」「電気ショッカーをしかけられた獲物はいたのかね」「うんにゃ、まだ」「まだちゅう事とは釣りは続けると」「おうさ」「プロポーズの台詞は考えてるのか」「ブラジャー間違いラジャー。用意万端ぬかりなしよ」「自信だな。なら当ててみせようか」「ほう。当てられるものなら当ててみろ」「よし、これだ。『アナタと二人で共通のゴールを目指して一緒に駆けて駆けて駆け抜けようではありませんか』。どうだ」「クサ過ぎだね。誰がアベの口説き文句など使うか」「解ってりゃよろし。プーチンに三千億も貢ぎながら、袖に振られたようなみっともない羽目に陥るなよ」。
そこでモモは何故か目を見開き、声を大きくした。
「よし、ブン。俺様がアドバイスを一つやるぞ。金星(きんぼし)はやめて一番星狙いに徹せよ、これだ」「どういう意味だ」「金星とは相撲界で美人を指す隠語なのさ」「それで」「美女探しにこだわるな」「こだわっちゃいない」「そもそも永遠の美女などいやしない、これ唯物弁証法の哲理なり」「それで」「探すのは一番星にしろ。一番星は一番、目につくやつ」「どういう意味だ」「美人で無くとも輝きのある星、それを望め。一番星は羅針盤にもなる、人生でもな。解ったか」「一番星ねぇ」「そうだ、このオレ、一番星モモジロー様の言に間違いはない。信じたまえ、ブンちゃんよ」。
 言い終えたモモの鼻の穴ははち切れんばかりに膨らんで見えたのだった。 終

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