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センコー花火 実存ヒプノ15

 

 

「ブン、菊の花が綺麗だな、愛妻の仏壇用か」。
畑作業中の俺に声を掛けて来たモモジローだ。
「菊に見えるが、じゃない。菊芋だ」「菊芋、だと」
「飲ませた事なかったか。待ってろ」。
ドリップした菊芋コーヒーを紙コップに入れ、畑に戻
ってモモに差し出した「飲んでみろ。イヌリン豊富で高血糖にいい」「体に気を付けているとは結構な事だ。心境の変化でもあったのかね。新たな女が出来たとか」「変化なし」「そうか。新規(ニュー)蒔き直し(ディール)も簡単に実を結ぶとはいきませんな。撒き餌が足りないんじゃないか。ところで、畑では何をやってたんだ」「ニンニクの植え付け」「今年も黒ニンニクを作るつもりかね」「ああ」「どんだけだ」「去年より五百個増やして二千球植えた」「そんなにか。なら俺の分もあるわな。期待してるぞ」。
釣りの話などをした後、近々飲もうと言い残して帰って行ったモモだった。
ヒプノへの依頼は、〈ちゅうぼう君〉だった。彼と初めて会ったのは母に連れられてきた中学生の時だ。前世が薩摩藩お抱え料理人の見習いだったので、厨房と中坊を掛けて秘かに名付けた。自転車再訪が高校生の時で、今回が三度目だった。ヒプノ紹介のHPには載せてはいないが、友人は無料である。今回の依頼は、リストラで失業した、今後へのアドバイスが欲しいというもの。調理専門学校を卒業し、和食専門の料理店に就職した。が、コロナ不況による整理で解雇されたと言う。「景気が回復したら再雇用すると言われたのですが、時期は約束して貰えてません。天ぷらの専門職人を目指していたんですよ。一人前になれたら、僕の料理を先生に味わって戴きたいと考えていたのですが」と、酒の入った元少年は、油揚げを喰った狐みたいに滑舌が良かった。尤も、大隅半島の端っこ、山間部のここでも輪禍で横たわる狐はよくお目にしても油揚げを咥えた狐は見た事は無いが。
翌日、退行催眠での彼のヒプノ課題は、就職に関して関係深い過去世からメッセージを貰うである。
「何をしてますか」「旅の途中よ」「旅ですか。いいなぁ」「気楽じゃないぜ。職捜しの旅なんだ」「ほう。時代とか場所とか教えて貰えますか」「いいぞ。時は貞永七年。場所か、薩摩の国よ」「江戸期か。将軍は誰ですか」「五代綱吉様じゃ」「おう、犬将軍か」「そうよ。生類憐みの令は知っとるな」「ええ」「三年前よ、憐みの布令と一緒に出されたのが鉄砲改め令じゃ」「そうでしたか、知りませんでした」「鉄砲鍛冶(かじ)をやっとったんだが、御触れで鉄砲を作れなくなって職を失った」「それはお気の毒様」「鋏や包丁鍛冶に替わった同業もいたが、花火師になろうと思うてな、ワシは。で、江戸に向かうところよ」「花火師ですか」「おうよ。江戸じゃ花火が流行りと聞いての。煙硝(えんしょう)扱いならお手の物じゃからの」「煙硝?」「火薬よ」「そうですか。上手く仕事にありつければいいですね」「任せとけ。薩摩の諺にあるだろ、泣こよかひっ飛べ、チナ」「泣くより先に行動せよ、ですかね。それが現世の自身への教訓ですか」「教訓を伝えてだったな。ならこれだ、災いを転じて福と為せ、だ」「感謝です。終わります」。
 覚醒後、少年は語った「コロナ禍を災いとせず、修練だと思って成長に勤めようと思いました。ですが、料理人への夢は決して諦めませんよ。先生には私の料理を必ず食べて貰いますからね」。
 飲みながらモモが言った「前向きな少年だな」。
「そうだ。料理が楽しみだ」「振る舞いの時は呼べよ。俺もご相伴にあずからせろ」「いいだろう」「若者は夢があっていいよな、ブン、お前の夢はどうなってる」「夢だと」「おうさ。人生のラストに一緒に花火を楽しんでくれそうな女よ」「花火を生に例えるとは、芥川の舞踏会のパロディじゃないか」「チークしか踊れないお前とは承知だが、二人で歓喜の声を上げる時なんてもう終(つい)ぞ来ないのかね。さっきの花火師に比べると雲泥の差だな」「花火師か」「おうさ。鉄砲が断末魔の悲鳴を引き出すのに対して花火は歓喜の声を産む、見上げたもんじゃないか。尤もお前の場合は打ち上げ花火じゃなく、せいぜいセンコー花火でしかありえないかな」「センコー花火だと」「お前は元教師だったから上手い例えだろ。だがセンコー花火にしたって、終いには散り菊のように輝くものなんだ、見習うべしだぜ、ブン」「聞いたふうな事をぬかすな。それより俺は、鉄砲鍛冶という軍需産業から花火師という平和産業へという真逆の転職に感心したな」「他人事じゃなく、俺達の周辺だってきな臭くなってきたぜ」「憲法改正か」「そうだ。再び戦前にしない為に頑張ろうぜ」「お互い老骨に鞭打ってという訳だな、同感だ。ところでどうだ、この焼酎の味は」「何だ」「クラシック音楽で熟成された焼酎なんだぞ」。「だったか上等だ。なら狸の金玉(きんぎょく)だ、もう一杯」。
 更けていく夜を惜しみながら、競うように飲む老鯨二頭である。

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