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みよちゃんのさいほう ー実存ヒプノ十三

                                        橋 てつと

「おい、ツマはどうした、ツマは?」

サシで飲みながら訊いてきたのはモモジローだ。半世紀前の学生運動のの頃からの付き合いなので、お互いが腹に溜めるものはない仲だ。

「魚なら用意するが、鳥刺しにはツマ不要は当たり前だろ。ショウガで充分」「話を逸らすな、ブン。ツマといえばお前の再婚に決まってるだろ、女はどうなった、三人いたろ。野菜を勝手に送りつけて、お返しならカラダでと脅した酒井和歌子に、歳の離れた教え子の秋吉久美子似、それに手フェチの女」「よく覚えてやがるな、進展なし」「おっと、もう一人いた、みよちゃんだ」「名前まで覚えてのかね、モモ。このお節介野郎が」「亡くなった奥さんと同じ名だったろ。どうなったヒプノの勉強に来たのをお前がスケこました挙句に、後足で砂をかけて去られた女は」「後足で砂、じゃない。俺に非があった訳だから」「そうだったな。催眠中に相手の同意なく、自分を好きにさせて合体を企んだったな」「そう」「どうして合体の記憶を彼女の意識から消さなかったんだ、できるんだろ」「ああ」「どうしてやらなかった?」「愛の交感を彼女の記憶にとどめたかったのさ。消してしまったら自分だけがたのしんだというズルい記憶になる」「結果、逃げ去られたら何にもならないだろ」「あにはからんや、戻って来た」「何だと」「戻って来たんだ、ヒーリングハウスに」。

眼を丸くしたモモに勝ち誇ったように俺は話を続けた。

 

携帯に連絡が来たのは突然去って二週間ほど経った時だ。「サイホウしていいですか」との甘い香りの起つような声が届いた時、勿論と即答している。

「気になってたんです。綻びのある服を繕わずに放ってしまって」と会うなりの言葉に「さいほう」が、再訪でなく裁縫だと気づかされている。鹿児島弁はアクセント無用の面がある。「けけけけ」が貝を買って来い、で通用する文化なのだ。さておき、みよちゃんの仕事ぶりはスピード感に満ちて、服の繕いを次々にこなしていった。パンツに肌着、割けたズボン、鍵裂きの上着に解れた着物まで数十枚を。ヒプノ習得の学習の方はというと、自宅で俺のHPの「心理学」の残りの凡そ百講座を見終えて来ていた。後は実技による習得のみだった。が、被験者が現れなかった。コロナ禍による。数日後に一人のクライエントの被験の時は真剣に観ていた彼女だ。「もう一度、自分が体験してみたら」と直截的な言葉は出さなかったが誘い水は向けなかった訳じゃ無い訳。けれど乗って載ってこなかった。〈好き好き催眠〉を仕掛けられて再び合体させられる事を警戒していたようにも思えた。となると、自分が被験者になって彼女にヒプノ習得をさせねばと考えた。〈たら・れば催眠〉の目的は一つ。自分と結婚して無ければ、十歳したの教え子の妻は五十過ぎで早逝する事は無かったのじゃないか、を知りたい。勿論、自分のヒプノに彼女の人為が表れない事があるのは百も承知で。

「何をしていますか」「同窓会に呼ばれて飲んでるとこ」゜同窓会ですか」「うん、教え子」「みよ子さんの学年ですね。何か解りました?」{彼女は一昨年病死したと聞いた。三十八でだよ。子どもは無く、旦那は昨年再婚したそうな}「貴方は幾つですか」「五十だ」「結婚してますか」「ああ、四十の時」「相手は」「教え子の姉」「知り合ったきっかけは」「家庭訪問」「どこに魅かれたのですか」「お茶を出してくれながら彼女が言ったのさ、好きなお酒で無くてすみませんね、って。その言葉にビビっときたのさ」「子供さんは?」「三人だよ。でも心配がある」「何?」「遅い結婚だったから、子供を大学までやるとなると七十近くまで働かなくちゃならない」「そうですね。お酒を控えたらいかがですか」「ま、酒のみながらおいおい考える事にしよう」「それでは場面が変わります、もう一つの貴方の人生です。みよ子さんと貴方は結ばれませんでした。何をしています」「彼女と話しているよ」「え、どこですか。貴方は幾つ?」「体育祭に来ていた彼女が声をかけて来た。俺は六十一」「定年後の再雇用ですか」「うん」「事情を教えて下さい」「授業を持っている生徒の中に彼女の娘がいたという訳。四十年前に教えた彼女に似たコがいるなと気付いていたが実の娘だった」「で、彼女とはどんな話を」「俺が独身という事を知ってたさ。で、言われたよ『娘は私とまるで違って気性が激しいんです。貴方にじゃじゃ馬慣らしは無理かもよ』と、眼も口元も優しく笑っていたけどね」

 ヒプノを終えて目覚めた時、施術者のみよちゃんの姿は前と同様個づんと消えていた。メモがあった。「ヒプノ終了して一時間後に目覚めるようにしておきました。悪しからず。お世話になりました」。

 メモを見たモモが笑って言った「これってヒプノの立派な免許皆伝だな。どうするブン、これから。みよちゃんは見込み無しと解ったろ」「ああ、新規蒔き直しとするか」「ニューディルに賛成だな。釣り人だったら解るだろ。ブン、せっせと撒き餌に励む事だ」「だな。最近フカセ釣りとはご無沙汰してたからな。釣果は撒き餌次第か」「そういう事、撒き餌を惜しむなかれだ」。モモの笑いは大きくなっている。 終り

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