top of page

 

実存ヒプノ1――ジュリエット 二 ――
 


 『ジュリエットは幸福だ。自分でもそう言っているし、そう見える。それなのに今彼女のそばにいてこの不満、不快感が浮かぶのは何故? おそらくその幸福がいかにも実際的なものであり、たやすく手に入り

  頼んでいた箱入りの名刺を受取って、コーヒーに誘うと、仕事中なんだが、と言いつつモモは上り込んできた。そして一口啜った後、パソコン原稿を無遠慮に覗き込んで言った「ジュリエット? 亡くなった奥さんの事を書いているのか? 」
「いや。これは狭き門の一部だ、ジイドの」
「なんか見たような文だと思ったわ。新作はキリスト教なのか。前の願兼何とかは仏教だっただろ、宗教じみてないか」

「そんな訳でもないが」

「前作ジュリエットは、タイトルもイマイチだった」

「闘病が冬季ソチ五輪最中だった。妻と病室で見た羽生のスケート曲がロミオとジュリエットだったのさ。躍動してシュプールを描く彼に対し、死線上の妻をジュリエットに見たててみた」

「説明されて解るというのはどうか、な。出会いが悲運、が基底だと思ったぜ」

「いや。出会いは運命、その後の選択は意志。今のベースはこれだ」。
  文学から政治論迄語れるモモは、唯一の戦友だ。大学で彼の文学サークル仲間に加わった。だが時代は七十年安保前夜。潮流は文学より政治で、ベ平連を経て同じ新左翼セクトの党員とシンパになった。首都闘争で逮捕された彼は大学を去り、逮捕は免れた自分も退学後に通信で免許を取って教師になった。党支部構築に尽くす、と姿を消したモモと再会したのは二十年後。ある反戦集会だった。

独身で印刷会社に勤めていると彼は言い、自分は高校教師になって教え子と結婚し子ども三人だ、と短く語り合った。かつての党派は既に消滅しており、離脱して消息不明となった同志は十人程いたが、市民運動とはいえ、政治運動で再会したのは彼一人だった。その時、タバコの火を貸せよと頼んできた彼に戦友意識が灯ったのを覚えた、マッチの先端の小さな火程のソレだったが。
 結婚した彼が、転勤で同じ街に移住してきたのは七年前だ。

「ヒーリングハウスは解るわ。肩書のヒプノセラピストって何? 」
 名刺を受取った女が訊いてきた。
「セラピーは治療です。ヒプノはヒプノシス、催眠です。医師法上、治療という語を使わずに催眠療法とよんでます」

「催眠療法?」

「自由連想法で、無意識の領域を明らかにしたのがフロイトですが、彼は催眠法には至らなかった。幼児期の精神領域を顕在化したのが催眠法です。ところが年齢を退行させる退行催眠法は、幼児期を通り越して、過去世というもの迄見つけ出してしまったのです。現在の課題に繋がる過去世に関わってセラピーをする、それを前世療法とよぶようになった。三十年程前のことです」

 「ブンタロ、お前唯物論者じゃなかったのか」

呑みながらモモが言う。ブンタロもモモも党派運動時の暗号名だ。ヤツは党首名を捻ってモモンガだったり、モモタロを名乗っていた。好きな映画『トラック野郎』からモモジロと改称した頃には組織消滅と重なり、そう呼んでくれる者は数える程だったとか。月に二度程一緒に呑むようになってからはモモと呼んでいる。ブンタロは登山家名からだ。
「名刺見て驚いたぞ。いつから観念論者になったんだ。労働運動はやってたんだろ?」
「勿論よ。退職時迄組合活動は続けてきた。高校全入や授業料無償化等生徒に関わるものも、な。だが実際問題を抱えて悩んでいる生徒を目の前にして、カウンセリングの必要性をも感じるようになっていったのさ。『今の悪い政治社会をボク達が変えるから』から、『キミ自身の姿勢を少し変えてみようか』にスタンスを移動するのに躊躇いも感じつつだ。辿り着いたのが催眠法だった。本気で専門書を読み漁ったよ。始めた頃、被験者には顧問をしていた部活の生徒達が進んでなってくれた」

「何人程やった? 今迄」

「二千人位だ」

「そんなにか」

「四十年間だ。生徒だけじゃない、保護者や聞きつけてきた人もいる。在職中は謝礼無しのボランティアさ。被験例を纏めたのがこれさ、十六年前の出版だ」。
『前世カウンセリング』のタイトル本を進呈するとヤツが訊いた、売れたか? 
「全然。宣伝資金が無かったわ。それにスピリチュアルはまだ時代の走りだった」。
 復興支援に少しでもなれば、と福島から取り寄せた銘酒『一生幸福』は話題を反原発論に導き、

「核の糞を十万年先迄残して、誰が責任取ると言うんだ、クソヤロー」

と吠えて立ち上がったモモは、玄関先では片手を銃に構えて振り返り、大声で言い放った。
「タマは残しとけよ、ブンタロ」。

 「ご本読みました」と、女は言った。
「内容の全部が本当なんですか」

「ええ、ノンフィクションです」

「人がどうして人間以外にも転生するの? 」

「必要だからですよ、魂の成長の為に」

「過去生の人が現在の日本語で過去を語るのは何故?」

「現意識を保持した状態で過去に戻るからです。知る筈のない過去世の言語で語った例もあります、ゼノ異言グラッシ能力と呼びます」

「信じられるの? 本当に」

「論より証拠。今、やってみますか」
 目を見開いた綺麗な女は、柔らかな栗色のカールが白い首元に良く似合っている。沈黙の後、ゴクン、唾を飲み込む音が届いた。
 その女が、依頼にやってきたのは一月くらい経ってからだ。だが。美しかった顔には化粧でカバー出来なかったやつれが顕れ、細くなった首筋には血管、そして喉仏すら浮き出ていた。テノールも掠らせて女は言った。
「もう隠せませんね、私、ニューハーフなんです。今でいう性同一性障害でしたの」
「チャーミングな女性だと思ってましたよ」

「有難う、と言っときますね。後悔はしてないつもりなのですが、両親と会う度に辛い思いになるのね。先生のご本の後に輪廻転生の本を幾つも読んでみたわ。そしたらどの本にも書いてあった、子どもが親を選んで生まれてくるって。性別も生まれてくる順も。だったらどうして、私は男として生まれてきたのか、を知りたいのです、できますか? 」
 退職した今、先生でもないのだが面倒なので訂正はしない、大丈夫ですと即答する。曖昧な返答では不安と不信を生んでしまう。
「過去世催眠で今の原因となる前世を、それから來世催眠で未来をもみてみましょう」。

――現世に繋がる過去世です。どこですか
「牛がいる。広い牧場だ。サイロもある。男の人が僕を呼んでいる、ケンかケインって」
――男の人は誰です、現在で知っている人?
「父だ、今の父です」
――場所とか時代とか、が解りますか
「アメリカ南部です。千八百九十五年かな」
――何を考えています?
「早く大きくなって、父を助けられる立派なカウボーイになろうと」
――鍵となる時期に行ってみましょう
「ベッドで寝ています。傍に両親ともう一人誰かいます。母は、今の母です」
――病気だったのですか? 何歳?
「病気、いえ事故です。八歳でした。錆びた金屑を踏んだ事が原因で死にました。それから天に昇りました。今は光に包まれています」
――そこでは何を考えています?
「自分で選んだ人生でしたから、死ぬのはイヤでは無かったのですが、両親が哀しむのを見るのは辛かった。錆び屑に気づかなかった事、早く医者に見せなかった事等、自分達を責め続けていましたから」
――その人生で学んだ事がありますか?
「うーん、学ぶには幼過ぎたかも。もっと親孝行をしたかったとは思いましたね」
――それで、今世で同じ両親を選び、貴方は男性を選んだ
「うん。でも親を悲しませているみたいで」
――では、今世で十年後の世界にいきます。どこにいます? 何をしていますか
「自分の家です。料理をしています、夫と」
――夫は知っている人でしたか
「いいえ。ですが懐かしい感じの人です。あ、農場で親と一緒に僕を看取った牧夫さんだ。
 両親が来ました、食事に招いたのです。子どももいます。私達の子として家へ来てくれました。孫と遊ぶ両親は嬉しそうです。
 これで良かったと思っています。光が教えてくれました、親の希望する性でなくとも生まれてきた事自体が親孝行だ、と」
――今世で学ぶのは何か、光に聞いてみて。
「今世で学ぶべきは愛だそうです。両親への愛、子供への愛、夫への愛、それらは順位も軽重もつけられるものではない、と。夫も同じだと光は言っています」
――夫も同じ、とは?
「女性から男性への道を選んだのです」。

 軽トラでやってきた男は、段ボール一箱の大根を手土産ですと差し出した。ハウスは宿泊が基本である。依頼者と前日から寝食を共にする事で、療法に必要な信頼関係が築かれるとの考えからである。酒を飲みながらの歓談中、彼の希望である将来の結婚像について、予めことわりを入れる。他の目的を成さんが為に結婚しない道を選んでくる人もいる、よって必ず結婚している未来がみえるとは限らない、と。だが彼は、殆どの依頼者が失って来る自信をも顕に言い切った。自分は結婚するに決まっている。だから過去世をみるにも及ばないと。翌日。彼の強い意志を尊重して、実施したのは來世催眠のみである。

――あなたの結婚式です。みえますね
「おう。披露宴会場だ、デラックスだねぇ」
――いつか解ります?
「カレンダーで俺の誕生日に赤丸がついているのだが。何年かは、うーん、みえん」
――では花嫁さんです。どんな人ですか
「目は細い、鼻も口も大きい、顎は張っている。角隠しとかのせいで照明が影になってよくは見えないんだが、ブサイクといえるね」
――選んだ人ですよ、もっと良く見て下さい
「小柄じゃないな、痩せてもいない」
――先の世界に行ってみましょうか。十年後の誕生日です。何をしていますか
「畑にいるよ。嫁と二人だ、芋の収穫。収獲機に乗ってるのが嫁だ。オレに笑ったぞ。ヤッパ、色黒のブスだな。でもかわいいわ」
――以前に知っていた人でしたか
「うんにゃ」
――光にきけますか、二人の縁を。
「二人で出会う運命に決めて、出会ったと」
――今世でのレッスン課題をきけますか
「健康と仲良くする事らしい。望めば四人目もできる、と」
――そうですか。では百年後の未来に行きましょうか、東京です。どうなってますか?
 
 百年後の東京は彼の希望である。昨夜、来世催眠の話をした時に、望めば未来の世界を見せる事もできると私は言った。五百年後に人間が小型化していたといった事例や、住居が土をベースにした還元素材で出来ている、千年後の未来もあった。だが未来も決まっている訳でなく、人々の集合意識のエネルギー次第、のようである。例えば平和や良い環境等を人々が望むか等で変わるものらしい。現代の私達の心がけも重要か。さて、彼は答えた
「交差点の上だ。混雑はしていないね。冬みたいだけど厚着はいないな」
――どうして? 温暖化しているのかな?
「防寒服の新素材によるらしい。重ね着でなくシンプルなフアッションを楽しんでいる」
――他に気づく事がありますか
「似たような肌色の人が多い。明らかに白人や黒人だ、と区別できる人は少ないね」
 覚醒後の彼に、無遠慮と承知しつつ聞いてみた「未来の嫁がブスでガッカリしなかった?」

「全然。仕事が楽しみになったわ」

  きゃしゃな体付きの女は一人でやって来た。ショートカットの髪が切れ長の目に似合っており、黒い瞳には強い光があった。

  用意したビワ茶を飲むと女は浜に降りて行った。半時間の海岸清掃ボランテイァで飲料を無料としている。だが一塊のゴミを袋に戻ってきた時、瞳から強い光は消えていた。カウンセリングの時にはそこは潤み始め、零れ落ちそうな涙を溜めたまま女は訴えた、うつ病と診断されて休職中だ、今後どうなるのでしょう、どうしたらいいの、と。後は堰を切ったように言葉を噴き出している。

 二人姉妹の長女。進学校から有名大をトップクラスで卒業し、一部上場の総合商社に入社して八年目の三十一歳。海外取引担当となり得意の英語力で会社に貢献してきたつもりだ。しかし同期の男性に比べて評価は低かった。半年前、続けて大きな業績を挙げたのに、上層部が認めてくれなかった事に茫然となる。途端に意欲を喪失、出勤ができなくなって休職し、治療中だと最後は声も途切れに訴えたのだった。
 私の療法は前世催眠と來世催眠の流れでやっている。現在の問題に繋がる過去をみて今世での学ぶべき課題を知る。その上で未来をみる、課題を引き受けた時と、そうでなかった時の二つの未来。課題を担うかは自らの選択による。その意味で來世は決まっているのでなく、自ら造り出す「実存ヒプノセラピー」と名乗る所以である。

彼女の懸命な訴えに、過去も未来もみてみる事となった。

――名前を教えて下さい
「エリ、ううん、アリ、いや、アリサよ」
――え、アリサ? 時代とか場所は解る?
「千七百十五年だわ。場所はパリ近くのお城の中。舞踏会場よ。多くの人がいるわ」
――知ってる人がいる?
「うーん、いない、みたい」
――今何を考えている? 例えば、幸せ?
「幸せって? 考えた事無いわ」
――そう。では、楽しい?
「ちっとも。毎夜の舞踏会がきついわ。体が弱っているの。でも休みたいけど休めない」
――どうして?
「お前の為の舞踏会だからって両親が言うの。早く素敵なナイト騎士を見つけなさい、って。でも、せかせるのは私の為じゃなく家の為よ。政略結婚とかって、解っているもの」
――両親はいない? もう一度良く見て。
「ああ、いた。私の上司よ、私を評価してくれなかった一人、が王よ、父親。母は同期入社のライバルだった男よ。何故、何故? 」
――学んだ事は何ですか? その人生で。
「何だろう? 何? 」
――ではその生を終えて。今、転生と転生の間の中間生にいます。光に包まれていますよ、感じますね、光を。光は創造主だと理解して下さい。感じたら、さっきの問い、学ぶ課題は何だったのか訊ねてみて下さい。
「学ぶべきは、感謝だった、だと。王女の一人として何不自由無い生活の中で育ち、感謝の気持ちをついぞ持ち得なかった。だから幸福感など無かった。そう言っています。
――今世での学びは何か、聞けますか
「愛、それと幸福について、だそうです」
 ここで覚醒した彼女は、過去世での両親が元上司とライバルだった事に驚き、戸惑っていた。愛と幸福について聞くと、恋愛体験の記憶は無いし、幸福については何も浮かばないと首を傾げるのみだった。五年後に行く。

――愛と幸福という課題を、意識しないで過ごした方の五年後です。どこにいますか
「山があります、高原のペンションみたいな所。あ、違う、病院だわ。開放病棟みたい」
――何しているの?
「リラックスしているのか、緊張しているのか。治療よ、自分の意志でここには来たの」
――場面が変わり、課題を意識した方の五年後です。どこにいますか
「病院です」
――え、また病院? 同じなの?
「ううん。退職して看護師目指したのよ」
――そうか、看護師か。今何を考えてます?
「退職に反対した親を説得して良かったと」
――仕事は楽しい?
「ええ。仕事も、フリーな時間に子供達に英語を教えるのも楽しいわ。子供達の歓びが自分の幸せに繋がる事も感じてきたところ。でも、ここをまた辞めるかも知れない」
――なぜ? 居所を見つけたのでしょ?
「前の会社が医療施設を展開するんだって。手伝ってくれないかと、昔の上司に熱心にハンティングされているの。同期だったライバルからはメールがくるわ。しつこく誘ってくるのよ、食事にね。彼も独身なの」
――愛と幸福について、光に聞けますか
「幸福感を考えなおせ、と。目標達成は自己実現ではあっても幸福に繋がるとは言えない、だそうです。自己愛に重きを置きすぎるのが挫折や燃え尽きになる、そう言ってます」
  見送る時、彼女の瞳に強い光を見た。だが、最初会った時の刺々しいものではなかった。

 また『うつ』の依頼者だった。働きたいのに働けないと言う四十半ばの独身男性。私も妻に先立たれて半年近く『半うつ』に落ち込んだ経験から同病の気持ちは解るつもりだ。しかしどうやって抜け出せたのか記憶が曖昧な為、依頼者の参考にはならない。呑みながらした話はなぜか、働き蜂の法則である。
 蜂のコロニー集団は懸命に働く者二割、普通に働く者四割、働かない怠け者二割から構成されているそうな。さて働く蜂だけを集めて再編成したとする。すると中に怠け者二割が発生するらしい。逆に怠け者のみで編成しても、中に懸命組二割が発生するらしい。

 何故か解る?    
 答えは、皆が同じ様に働いて同じ様な疲労状態にあった時に、緊急の外敵や災害に遭遇した場合、余力を残している者がいなければ集団は滅亡する。種の保存の為には怠け者こそ存在しなければならないからだそうです。
 翌朝、急に帰り支度を始めて男は言った
「セラピーは不要になりました。働かない怠け者と言われようが結構だと思いましたね。地球がエイリアンに襲われた時、防衛軍に参加できるのは私だ。私が地球を守ります」と。
 男の言葉、決意が本気か判らぬままに、セラピー代は割り引かざるを得なかったのだ。

「輪廻転生論は進んでいるか、ユキオクン」
「輪廻転生を書くと言ったか? それにユキオというのは何だよ、モモジロウクン」
「お前、遺作書いてるんだろ。輪廻転生を書いて幕引きしたじゃないか、三島由紀夫は」
「『豊饒の海』か。憶えているぞ、あの日を。だが、大学の掲示板の前で事件を教えてくれたのはお前じゃなかったハズ」
「俺は獄中闘争中よ。三島が望んだ自衛隊の治安出動、それを十・二一で引き出せなかった事に責任すら感じていたよ」
 弛めた口許は冗談を示している。    

「思想的には真逆だったが、辞世句にはいささか共感を覚えたな。散るをいとふ 世にも人にもさきがけて散るこそ花と、だったか」
「憶えてるのか、ブンタロ。だからお前は行動左翼の信条右翼と、昔言われてたんだ。お前の論では自殺した人間の転生はどうなる」
「暗闇世界に閉じ込められる。己の人生課題を途中で投げ出した訳だから反省が必要なんだ。生徒と同じさ、成し遂げるまではやらせるだろ。課題は引き受けるものと覚悟したら、暗闇から出て次の転生の準備となる」
「フーン。理解しがたいね、観念論は。お前の本で共感できたのは一カ所だけだったわ」
「当ててみせよう」と、私は最終行を指差す。『子供達の健全な発達を願う、それにはカウンセリングなどの対症療法から一歩進めて、社会の悪習を変革し原因の根絶をしていく、つまり原因療法に求める。それが大人達の責務に他ならないと考える』。ここだろ」
 当たりと短く叫んだヤツの笑いに被せた「タマは残しとるがよ、ショウゾウクン」。
 ショウゾウは『仁義なき闘い』での文太の役だ。斜に肩を怒らせてヤツは言った
「タマが残ってるだと。ホウか。ンなら、いいスケ女を紹介してやらんとのう」

 電話は男性からだった。付き合っている女性が自分との結婚に踏み切らない、セラピーで彼女に説得をして貰えないかというもの。説得は何一つやりません、課題と答えは本人が見つけるものです、と私は男に答えている。
 当の女性が来た時、二カ月を過ぎていた。
「私は一度の離婚歴があり、彼はバツ三です。二人とも子供はいません。彼のバツ三に問題は無いでしょうか。それとも私に問題が? 」

――どこですか? 何をしています?
「家にいます、掃除をしています」
――時代と場所、そして家族が解りますか
「南ドイツです。第一次世界大戦中です。夫は家にいません。兵隊に行き、アフリカ北部の戦場です。義父母と、夫の弟がいます」
――鍵となる時へ進みますよ
「夫は戦死しました。子供がいなかった私は夫の家で居づらさを感じています。そしたら夫の弟が気にするな、僕と結婚すればいいのだと言いました。あ、弟は例の、今の彼です」
――時を進めます、その後の人生です
「私は弟を受け入れませんでした。弟は別の女性と結婚して家を出、私は残りました。それから義父母の面倒をみて二人を看取り、そして人生を閉じたのでした」
――その生で学んだ事とは何ですか
「愛を信じても良かったのかな、と」
――弟、のですか?
「ええ。でも両親に尽くした事は良かったと。戦死した夫はその事で私にずっと感謝し、それが自分への愛だと思っていたそうです」
――で、現在の課題は?
「愛だ、そうです」
――バツ三の彼の愛を受け入れよ?
「うーん、どうでしょう。解りません」
――もう一度光に聞いてみて下さい
「自分で決めよ、だそうです。ただ、彼が三度離婚したのは私と出遇う為だ、と」

――十年後を見てみましょうか。愛を受け入れた時の方です。何がみえる?
「結婚しました。子どもはいません。今、彼の妹の子ども、甥っこが来ています。学校帰りに家に寄る時があって、その日の事を話したり宿題したりして帰ります。楽しみです」
――何か、他にありますか?
「甥っ子は戦死したドイツ人の夫に似ているのです。肌の白さに眼も口も大きく額が広い事。他にもあるのですが夫の転生かなと」
――ではもう一つの未来です。何しています
「葉書と切手の整理をしています。一人です」
――葉書と切手の整理? 
「ええ、書き損じ葉書とかです。必要としている組織に支援するボランティアです」
――それは?
「自分にできる小さな愛でしょうか。一人の生活ですが、自分を必要としてくれる人々と繋がっている気はしています。人はもっと学び活動すべきだと思います。小さな支えでも必要とする人々はいっぱいいるのですから」
 セラピーを終えた彼女に聞いた「結婚はどうしますか」

「したい方に少しだけ傾いたかな。でも解りません」

と笑顔を見せた女性の片笑窪は魅力的に映った。私は言った「未来は必ずしもみた通りになるとは限らないのです。運命の分岐点は幾つも用意されています。そこで、あれかこれかを選ぶのは自らの意志ですよ」

「そうですね。面白かったです。やってみて良かった」

「未来は貴方が築く。実存ヒプノです。私の専売特許です」と、同じく笑顔で返したが、彼女にヒプノセラピーが必要だったのだろうかとも考えていた。

 毎日が辛いのです、と年下なのに年上に見える表情を見せて男は語った。それでも。酔いにつれて男の口は軽くなっていった。
 自分には未来が無いと思う。子供はおらず妻と二人。妻は三年前、筋肉が委縮していくと言う病を発症した。治すという治療法は今のところ無い難病で、進行を遅らすのを見守るしかない状態だ。早期退職して家で看る覚悟を決めたつもりが半月程で音をあげて、今は介護施設に預けている。治る見込みの無い妻を毎日見舞うのが苦痛になってきた、何か過去世での業と関係あるのだろうか、と。                 
 私は答える、自分は因果応報説には立たない。よって過去の災いにより業、カルマを背負うという考えも支持しない。逆に、ヒトの為に病気や障がいを自ら背負って転生してくるのを、仏教では〈願兼於業(がんけんおごう)〉と呼んでいます。それら勇気ある人を、敬意を表してチャレンジャーという呼び方が、輪廻転生派が少数の西欧でも広がりつつあり、私もその立場に立ちます。障がいを引き受けられた方は尊敬されるべきでも、あります。魂の成長の為に試練を自ら用意したとも考えられるからです。『神は乗り越えられる試練しか与えない』という諺はその意味においてなのです。

神と言う語の代わりに仏でも、創造主でも何でも呼び方はいいでしょう。内なる神、永遠なる自己、仏教語での大我、宇宙意志、何でもいいのです。ですが考えの押し売りは致しません。

――何をしていますか
「刀で切られた。死ぬところだ」
――中間生です。顛末を教えて下さい
「仇討です。切った相手の息子に討たれた」
――江戸期ですかね。もっと教えて下さい
「ちゅうげん中間のいさか諍いに端を発し果し合いの末、父が殺されました。その仇を私が討ち、そして仇の嫡男から自分が討たれてしまった訳です」
――その生で、学んだ事は何でしょうか
「父の仇、共に天を戴かずの一念でした。だから仇討を遂げた時は、孝子の本懐を成し遂げた思いでした。自分が討たれた時も止む無しかと。ですが、こちらに来てから知った事があります。私を殺害した相手には、仇討許可は降りていなかったのです。仇討の連鎖を防ぐ為に重仇討禁止という制度があったのです。それ故、我が息子は私の仇討の為に命をかけずにすみました。私を殺した相手は違法仇討の罪を問われる前に自害したそうです。若かったのに哀れです、彼の冥福を祈りましたよ。こちらに来て許す気持ちを学びました」
――現在と結びつくものは何ですか
「愛? 慈愛かな? 」         
 

 仇討は二例目だった。前例は、竹馬の友が仇敵の宿縁となったもので、おまけに当人は仇敵の妹と恋仲だったという縁だった。

当然だが私は逆縁と言う語は決して用いない。過去例を話して休息をとり、その例を書いた拙著を進呈して来世催眠に入ろうとした時、彼が言った。殺害した相手は妻だったような気がすると。私は訊ねた

「それはどちら? 自分が殺した方、それとも殺された方? 」

「殺した方です、確かだとは言い切れないですが」
「もう一度戻ってみますか」

「結構です、未来へ行きましょう」という彼の選択で二つの五年後。

 課題を引き受けるのと、避けるもの。

――何をしていますか
「何もしてないよ。テレビを見ている」
――奥様はどうなりました
「別れたよ、五年前に。その後は知らない」
――今、どんな気持ちですか
「気楽だね、負担がない。ただ張り合いがないと言えばない。誰も訪ねて来なくて、寂しい事もしょっちゅうだ。孤独に耐える、これが望んだ試練なのかい? 」
――さあ、どうでしょう。もう一つの方を見てみましょうか。何をしています?
「台所で妻に教えて貰って調理中。上達しなくて怒られてるが、これは試練なのかい」
――奥様は良くなられたの?
「それはない。だが家に戻ってから認知症の方は少し止まった。自宅介護とリハビリを頼んでいるよ。夜間の世話とかは大変なんだけど責任も感じるし、張り合いも出て来たよ。ものは考えようと思った。家事はオレが一人になった時の予行練習なんだからって妻は言うけど、それもそうかなと思えてきたね」
 
 覚醒後にワザと訊いてみた「どっちも試練だったんですね? 」
 だが私が間違えたのだ。愛の課題、試練を引き受けた未来とそうでない場合を区別して、催眠誘導するのを忘れていた。彼は言った

「孤独も試練かも。後の妻の看護も試練。でも生き甲斐を感じた方はどちらか、人生課題を学べるのはどちらか解るでしょ? 」
 笑みを浮かべて私も応える。
「私の判断や評価は控えましょう。未来は貴方が選ぶのです。ですが今見た通りになるとは限りません。これからも幾つかの分岐点や試練が待っている事でしょう。それは成長の為に自身が準備しておいたものなのです。
 その試練は、今、解らないのかって?  前もって問題が解っていたら面白いでしょうか? 成長もないでしょうよ」

 呑みたい気分だ、付き合え、とモモが来た。来る予感がしていた。ゴトーケンジさん殺害のニュースが流された日だ。黙祷後献杯して呑み始めた。何も出来なかったなと、二人して出たのは溜息だった。二千四年、イラクで邦人三人が誘拐されて要求が自衛隊の撤退だった時、我々はイラク撤退を求め、自衛隊基地前に同志達と座り込みをして、撤退は無かったが人質が解放された時は祝杯をあげたのだ。
「名古屋高裁での、自衛隊派遣違憲判決は五年後だったがバッシングは酷かった。あの映画を見たか。自己責任論が声高に叫ばれ、被害者家族へ謝罪を要求する国民、国家って一体何なんだ。天皇に総懺悔した滑稽な歴史から何も学んでいない。霧は深し、だ。身捨つるほどの祖国はありや、は寺山修二だったか」
 タバコに火を点けても、弁は止まなかった。 
「なめたらいかんぜよは復讐の連鎖だ。だが、ケンジは残してるぞ、憎むは人の業にあらずというアラブの言葉を。よく誤解されるがよ、目には目をという論理キサース。あれは目には目だけ、それ以上の報復をするなという同害報復論であって、イスラム法クルアーンには許す事が犯した罪の償いとなる、とも記されているそうだ。な、ブンタロよ、ジュリエットの次はハムレットを書いてみな」

「何だ」

「復讐の愚かさよ」

「復讐か、興味はあっても能力は無いね」

「やってみなければ解るまい。怨恨(ルサンチマン)なるものの源泉は何だと考える? 」

「宗教や思想以前だろう、もっと生存に根源的な、富の偏在だと思う」

「同感だ。レスキャピタルという本を知ってるか」

「大月で一緒に学習したろ」

「ダスの方、マルクスじゃない。ピケティだ。資本が相対的貧困を拡大していると主張している。知ってるか、世界の富裕者六十七人分で半数の三十五億人の総資産と同額だという事実。不公平の除去が先決だ、それには富裕層へのグローバルな累進課税が必要だと言ってるんだ」

「格差是正は解りやすいな」

「そうだ、トリクルダウンなんてピケティ門下では赤点だ」    
 ため息が気焔に変わった頃、唐突にモモが訊いた

「前世催眠とやらで、兵士がいたかい」
「いたぞ。兄弟で政府側と革命軍側で争っていた」

「兄弟か、悲惨だな」                 「ところがこう言った。兄弟納得して敵味方に別れたのは、勝ち馬に乗った方が家族を守る約束だからだと。今でいう保険みたいなものだった」

「結末は?」

「出さなかった。三十年前にやった技法だし」
 帰り際、モモは署名用紙を取りだした。九条の会の、五・三と八・一五日付の新聞護憲キャンペーン二枚。カンパを受け取り、玄関から出る際突然、舞台役者の如くにヤツは声を張り上げたのだった

「地獄への道は善意で造られているぅ」。

 後ろ姿に大声で返した

「善意、それは十分人を殺せる刃物である、三島だぁ」。
 一体、ヤツの善意とは何だ? 社会的無関心の事を言ってるのか、と考えていた。

 本場で飲む焼酎は格別の味だと女二人は燥いだ。夕食の歓談ではスピリチュアルが話題となる。輪廻転生から自殺へ、そして俳優ロビンへとリードしたのは彼女達だった。
「好きな役者だった。『今を生きる』『グッドモーニングベトナム』。他にも見てる」と私。
「病気だったそうね」

「そう。ココちゃんも彼の死を悲しんだって」

「誰?」

「彼の友達だったゴリラよ。発達心理学者に幼い頃手話を習い、およそ二千の英単語と千の手話を理解できるらしいの」「すごいね。感情表現ができるんだ」

「そのココちゃんに、死とは何、って訊いてみたんだって」「え、そしたら? 」

「『苦労の無い穴に行く、さようならだ』って」      「それ本当、解ってるの? 」

「みたいよ」
 初めて聞いた話に私も口を挿む。
「動物にも輪廻転生があるとの立場から言えば、彼らも死は理解しうると思うよ。死を『苦労の無い穴』との考えは『出産を喜ばず、死を悲しまず』の死生観と繋がるんじゃないか」。
 ココの話を紹介した方の女性、彼女の依頼内容は「毎日が苦痛。将来も悲観している」というものだった。

 三十七歳独身、一人娘でパートに勤めている。中学の時に母は離婚して家を出て行った。夫の厳格さが性格の不一致の原因だったと思う。退職して家にいる父は家事一切を出来ず自分に頼っているくせに、結婚しないのかと口出しする。毎日父親と顔を会わせるのも厭だ、と。
――周りが見えますね、どこですか
「穴の中です。苦しい、寂しい」
――苦しさは消えましたよ、状況を教えて。
「ひ弱な子だと判定されてタイゲトスの穴に投げ込まれました、戦士になれないからと」
――タイゲトスの穴って? いつ、どこ?
「古代のスパルタです」
――現在の父親は、そこにいますか
「穴に放った兵士です。生まれた時から全ての子どもが国のものでした。投げ込んだ兵士をその時は恨みましたが今は解ります、仕事だったのだと。こちらにきて兵士の哀しさが理解できました。彼も辛い仕事だったのです」
――この人生と連なるものは何ですか
「受容、包容だと光は言っています」
――父親との別な過去世です。どこですか
「縁側みたいな所で日向ぼっこしています」
――場所や時代や自分の事とか解りますか
「解りません。考える事が余りないので」
――光さんにきいてみて下さい。
「誰に? 光さん? どうやって? 」
――光さん、教えて下さい、と願うのです
「ええ。ああはい。私は手足が細く短く、体に比べて頭は大きいみたいです。世話をしてくれるみんなから宝ちゃんと呼ばれてます。族長さんに言われました。みんなの安全を祈るのがお前の仕事だ。宝の笑顔を見て皆がお前にひもじい思いをさせまいと仕事に精出す、それで部族のまとまりも良いのだって。族長さんは狩りに出る時に必ず私の大きな耳を撫でて祈ります。部族の安全と収獲の祈りだそうです。顔は、あ、現在の父です」
――その人生を終えて、学んだ事は何ですか
「包容かな? 必要とされない人はいない」
――他に何か?
「ラロン、ん? 小人症? 低成長が何とか、と聞こえますが、何の事か? 」
――現在に繋がる課題は何でしょうか
「自分を必要とするものの為に尽くせ、だと」
――それはお父さんの事?
「自分で考えろ、と言ってます」
 ――十年後の未来です。課題は解りますね。何をしていますか
「学校に来ています、授業参観です」
――子供がいるのですね、結婚したの?
「ええ。あの後知り合った人です。縁あって養子を貰い、元気で素直な女の子で私達を慕ってくれています。母も一緒になりました」
――母と一緒になった? お父さんは?
「三年前に亡くなる迄一緒でした、最期には感謝してくれました。それから結婚し、一人だった母もよんで同居しています。一人の生活から四人になって賑やかな家族です」
――そうですか。では別の方をみましょうか

 結構です、と、突然彼女は目を開いて拒絶したのだった。自分で目覚める例があるのは承知しているので驚かない、理由もあえて聞く事はない、過去世二つをして私も限界だった。デリケートな言葉のセンスが要求されるので二時間半が私の催眠療法は限度なのだ。
 ラロン型を、ネットで調べた二人が教えてくれた。成長ホルモンの抑制作用で発症するラロン型低身長症の研究から、癌と糖尿病の予防薬が生成可能らしいと。
 セラピーを終えた夜。二人の女性を前に焼酎の助勢もあって、元社会科教師が気楽と雄弁に憑りつかれてしまうのは許して貰う。
「強い国家を作る為のスパルタ教育はさておき、戦争の最大の被害者は女じゃないかな、戦の間、夫や子供等愛する者を失う悲しみを味わされ続ける訳だから。そこでアテネスパルタの戦争時に女達は策を練った。戦争が続く限り子供は作らない。方法はセックス拒否だ。女達で二国間同盟を結んでセックスストライキをやった。音をあげた二国の男どもは協定を結び、平和がやってくる」

「すごぉぃ。本当にあった話なの?」

「いや。古代ギリシアのアリストパネスの戯曲『女の平和』さ。観た事無いが今でも上演されてるらしいよ。で、次はホントにあった、女が平和を作った話。アイスランドという国を知ってるかい」
 知らない、と二人とも答える。
「軍隊を持たない国さ。北大西洋にある小国だが再生エネルギーの先進国で、男女平等指数も世界第一位。国際婦人年の一九七五年十月、その国で九十パーセントにあたる女性が、家事を放棄して大集会を開いた。五年後、選挙で就いた世界初の女性大統領ビグディスは、一九八六年にレイキャービック会談をしかける。そのレーガン・ゴルバチョフの会談こそ米ソ二大国の対立解消の出発点となるんだ。きっかけは旧い因習を打破しようと女性達がレッドストッキングをつけた運動に始まるそうな。女性が或いは小国が、国際政治を動かした見本だと思うよ」
 政治思想の披露など滅多にしないのだが、二人は興味深そうに聞いていた。女に生まれて損したと洩らした被験者の方が特に。

 結婚して三年になるという女性だった。子供のいない専業主婦。夫の束縛が耐えられない。職場から頻繁に電話してきては監視する。外での仕事も許さない。息が詰まってどうにかなりそうだと訴えた。何故こうなったのか、将来も知りたい、との依頼だった。

――どこですか? 何をしています
「旧い家で機を織っています。父と一緒です」
――いつ頃の、どこでしょうか
「千八百五年。場所は八王子です」
――あなたの境遇を教えて下さい
「三十過ぎです。百姓の農家に生まれ、格上の百姓というか兼業武士に見初められて,嫁ぎました。ですが子どもができず、離縁されて家に戻り、父なき後は一人暮らしでした」
――その人生での学びは何でしたか?
「こちらに来て理解したのは、愛の時代性、というものです。私は夫を愛していました。淡泊でいて優しい人でした。離縁後、夫は後妻を貰いました。跡継ぎを作る為です。それでも出来ず、次のお妾さんとの間にも子を儲ける事は叶いませんでした。こんな事なら最初の妻と暮すんだったと後悔したそうです。跡継ぎが期待された仕方のない時代と言えるでしょう。その夫は、現世の夫です」
――もう一つの過去世が見えてきますよ
「囲炉裏の前にいます。夫は眠っています。私は娘を待っています」
――どういう状況でしょうか、もっと詳しく。
「明治二十年と浮かびました。木曽山中の寒村です。年越しの為に娘が帰ってきます。娘は八年も生糸工場に勤めているのです」
――現世と関係ある人はいますか
「娘は現在の夫です」
――現世との関係を光に聞いてみましょう
「娘は十年間働きに出た後、体を壊して他界しました。体調を案じて仕事をやめたらどうかと言ったのですが聞きませんでした。もっと両親を楽にさせてあげたい、の一念でした」
――その人生で学んだ事は何ですか
「愛、だったそうです。親孝行が家族愛だと信じていた娘を強く止めるべきだった、それが親の愛だったとここにきて理解しました」
――で、現在の夫の関連では何なのですか
「やはり愛だそうです。束縛が愛だと一途に考えている夫に、誤解だと理解させる事」
――では、夫との愛をテーマに十年後を見てみましょうか。愛のテーマを私が絞り切らないのだけど、束縛愛、勘違いの愛。あなたはその課題をどう捉えるのか。十年後です。
「ああ、おかしい。笑っておれない位に忙しいのだけど、でもおかしい」
――どうしたのです
「三歳の双子のお世話。男と女なの。メチャ忙しくてノイローゼになる暇もないわ」
――夫との関係はどうなりました
「子供ができた途端、電話や束縛が跡形も無く消えたわ。育児をしないと父親の影が薄くなると思ったのか、イクメンに豹変よ」
――ハハ。子供の事を聞かせて貰えますか
「六年前になるかな、真剣に話し合ったの。子供の事と不妊治療の事、とか」
――そうだったのですか。今、愛についてはどうお考えですか
「束縛される愛はいいわね、子どもからよ。そういうと夫が妬くのだけど、フフフ」
 覚醒後、私は言った。
「人生には分岐点があります。彼との出会い、それは二人で用意した運命。結婚するか否かは分岐点で結婚は二人の意志でしょう。さて今後、二人は子供の事で真剣に向き合う時がきます。不妊治療をどうするかも分岐点になり、選ぶのは自身です。双子の未来が決定している訳ではないとご理解下さい、子供もあなた方を選ぶのですから。終りです」

 ヒーリングハウス経営はカンパ資金を捻出する為のもの経営と思い込んでいる様子のモモは堂々とカンパ要請にやってくる。
「どうだ、狭き門とかの執筆は進んでるのか」

「さっぱりだね」

「スタンスが曖昧なんじゃないか。テーマは何だ、世俗的幸せは真のものではない、そんなところだろ」

「まあ」

「ウルグアイ大統領の話を知っているか。元左派革命ゲリラで大統領の今、給料の九割を福祉に寄付し月十万生活で最も貧しい大統領だと言われている。貧乏な人とは無限の欲があり、いくらあっても満足しない人だと、彼の言葉だ」

「共感できるな」

「オレもそうだ。だがよ、彼の言葉は金持ちにこそ向けられるべきであって、大多数の貧困層には俺は言いたい。怒れ、もっと寄こせ、とな」

「同感だ」

「そこでお前のスタンスさ。相談者に何と答えているんだ。怒るな、妬くな、羨むな。隣の芝生は青くない、草木は風雪に耐えた方が良く育つ、とか諭しているんじゃないのか」

「教諭はリタイアしたんだ。今更諭(さと)す訳がない」

「染みついた説諭癖、サガは簡単に取れるもんじゃないとオレは踏んでるんだが」

「サガだと? それが唯物論者のセリフか」

「返したな、言い過ぎか。失言は謝る。返す気力があるって事は、タマはまだ残ってるようだナ。ブンタロお前、再婚は考えないのか」

「何だ、唐突に」

「『狭き門』ではヨ、恋人が病死した後、主人公は独りを貫くんだよな」「そうだ。それは一人への愛を貫く事じゃなく」

「そう。恋人が彼に望んだ事、つまり、私一人への愛にかまけるのでなく、神が彼に給うた多くの人を愛せる能力、それを活かす事に忠実であろうと」

「解ってるじゃないか」

「ブンタロも同列の系統か? 」

「それ程スウコウじゃない。それにオレは有神論とは言い切れないところがある」

「そうか。じゃ、お前の依頼者が聞く神の声、若しくは光の声とかは一体何なんだ」

「解らん。それを著せたらユングを超える心理学者か宗教学者になっている。実はオレ自身は一度も聞いた事が無い」

「何故だ」

「他者催眠は機会が無かった」

「自己催眠では?」

「光の声が聴ける程の深い自己催眠は危険なのだ。緊急時に覚醒できない可能性がある。だからやれてない」

「そんなものか」

「やれる方法が無い訳じゃない。イザという時の手伝いさえあれば」

「どうすればいい?」

「次迄に準備しておく、頼むわ」

 モモに頼んだのは

「一時間して起きて来なかった時か、何かあった時には来てくれ」。 
 二階に上がり、妻のベッドに横たわった。カセットから百恵の曲、秋桜が静かに流れ出す。

 二人でカラオケ勝負をした時に、妻が歌っていた曲、葬送にも使った曲を聴きながら先程のモモの言葉を思い出している。
「お前の嫁さんは妻役や母親役だけでなく、多くの人の世話役もやってたろ。電話の九割が嫁への相談だった、とか言ってたよな」                     「そうだ」                     「人の為に尽くした嫁さんこそ、狭き門の主人公ジェロームに近かったんじゃないのか」。
 ナレーションが、穏やかな誘導を始める。知り合いの女性に吹き込んで貰ったもの。

――心が軽くなっていきます。心は温かく優しい光に包まれます。光があなたの願いを叶えます。最も望んでいた人に会えますよ。何でもお話して下さい、ごゆっくり、どうぞ。

一年ぶりの懐かしい響きが、はっきりと届いてきた。
(来てくれたのね)

〔やっと来た〕

(今日来ると思っていたわ、そちらでは結婚記念日でしょ)〔解るのかい〕

(そうよ。まずお礼からね、生前は色々有難う様でした)

〔オレが言うセリフだ。生前に一度も言えなかった。口では言い表せない程感謝してる〕

(口ベタなのは解ってるから。でも、新聞に思い出を投稿してくれたでしょ)

〔届いてたのかい〕

(有難う、の見出しで、キミに幸せをあげられたかは自信ないけど楽しい思い出はあげられたんじゃないかな、と写真付きで綴ってたでしょ)

〔届いてたんだ。良かった〕

(キミという一度も使った事の無い言葉には笑った)

〔オレも照れ臭かった〕
(ジュリエットの本も届いたわよ)

〔オマエの枕許で原稿を読んだんだ、途中迄だったが〕
(私のお友達にも本を届けて呉れたのね)

〔知ってたのかい〕

(皆さんにも喜んで貰えたみたい)

〔お見通しなんだ〕
(大体ね。哲が告別式を取り仕切った事、真が結婚式挙げた事、愛ちゃんが翻訳会社に就職した事なども、ね)

〔みえるのかい〕

(ええ。全部って訳でもないけど。それにアナタが毎日報告してくれるじゃない、独り言に続けて『ネ、オッカサン』と私の同意を求めているのも、ね)

〔え。そうか、全部を、オレの夢さえも解るのかってビックリしたよ〕

(教えてくれたじゃない、今年の初夢も)

〔エスカレーターの前で、勝気なお前が何か怖いって初めてしがみ付いてきたんだ。大丈夫だ、俺が守ると抱きしめていながら、結局は守れなかったんだよなと無力ささえ感じてた夢だった〕
(責任感じる事ないのよ、二人で約束してそちらに転生していったのだから)

〔自分の天命も解っていたのかい〕

(ううん。こっちに還って来てから理解したわ)

〔オレの寿命解るか〕

(ええ)

〔教えてくれ〕

(教えない)

〔なんでや〕

〔死にたがってたらダメ。それに、未来は変えられるがアナタの実存ヒプノでしょ。別の大切なお話しましょう)

〔何?〕
(私が先に逝ったのは自分の使命を果たし終えたから。それと、アナタは一人でもやっていけると解っていたから。この二つだけは理解してね)

〔うん解った〕

(さすが。私の見込んだ人)

〔今更褒められてもナ。でも〕

(何?)

〔仏壇の引き出しの中のノートに、今度生まれてくる時は元気な体で生まれてくるからね、という文を見つけた時はグッときた〕

(フフ。でもアナタは一度も泣かなかったのよネ、今日迄も)〔男は泣くものじゃないと思ってきた。それに〕

(何?)

[遅かれ早かれ、愛別離苦は必ずや誰もが体験する。生前に二人で決めて「今」だった意味をオレは考え、残された者の「再生」を伝えられたら先に逝ったオマエが生きると考えた]

(そうよ)

(そして、今は輪廻(リンカー)転生(ネション)を確信している〕

(そう、必ず会えるわ。その時にまた二人で來世の約束をしましょ)

〔來世の? 〕

(そう、夫婦は三世の縁というでしょ。永劫に転生していくの)

〔腐れ縁だな〕

(ヒドイ事言うわね,厭なの? )

〔心の反対を口にする男だと知ってるだろ〕

(フフ。アナタ再婚はしないの? )

〔解ってるんだろ? 〕

(うん。でも未来は変えられる。変えていいのよ、それがアナタの実存よ。ヤキモチ妬かないわ。ただ)

〔何だ?〕

(一つだけ心残りがあったナ)

〔何?〕 
(口述筆記をしてあげたかったわ。チホーが入りかけてもあなたの創作活動は止まない。で、パソコンに私が打ち込んであげるの)

〔それで? 〕

(支離滅裂の作品なんだけど、凄いね、天才だわ、アナタって褒めちぎってあげるの)

〔一度も褒めなかった〕

(ゴメン。来世では、褒めて褒めて煽てまくるわよ)

〔楽しみだナ。オレも有難うを連発だ〕

(又会いにきてね)

〔来るよ。方法見つけたし〕

(ではネ。来てくれて有難う)

〔おう、又な〕

 目覚めるとナガシに行って両目を丁寧に拭き、涙の痕跡を消した。それから勢いよく階段を駆け下りると、笑顔のモモが言った
「軽やかな足音じゃないか、今夜は愉快に呑めそうだな」「勿論よ、呑むか」。
 ヤツが見せた白い歯の向こうに木蓮が桃色の花を咲かせている。その枝にうちの屋根裏から巣立ったムク鳥が一羽、続いて一羽。
 春は近くに来ている、一年目の春が。     終り

bottom of page