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レクイエム

             
       
   四年前の東日本大震災は、小学校卒業時期と重なった頃の皆さんにも忘れられない記憶となった事でしょうね。惨劇の報道を連日目にして、私は胸が掻きむしられる思いにさせられたのでした。
   原発被災によって故郷を追われ避難を余儀なくされている方々が、現在でも二十三万人に及ぶというニュースを目にするたびに、その思いは消えるどころか強くなっていきました。それだけではありません、放射能汚染によって立ち入りが禁止された地域には、放置された犬や猫や、豚、牛、鶏などのペットや家畜が放り出されたままお腹をすかせて死んだり、野生化している映像を見るにつけ、むご惨いという感情以外の何も浮かびませんでした。
   今回、「話の出前」講演のご依頼を当校から戴いて、私はずっと以前に創作したお話を皆さんに聞いて戴きたい、そう思ったのです。お話だけでは退屈かもと思い、担当の先生にお願いして音楽を流して戴き、歌わせても貰います。上手ではありませんが、お楽しみにね。
 さて、東日本大震災の起こるひと月前の二月、政治資金問題で強制起訴されて話題となった国会議員さんがいましたが憶えてるかな? その人には昔、ドンと呼ばれた親分がいました。経世会というムラを率いて総理大臣になった竹下ドンという人です。その総理の孫だというタレントさんがいるわよね。ドンというのは旧い言葉で、ボスと言い換えた方が解って貰えるかもね。ムラというのも旧い言葉で、国会議員の派閥集団を指す場合もあったの。最近になって知られるようになったムラには「原子力ムラ」と言うのがあります。でもそれは原子力発電所が立地されている村、という意味ではありません。あえて、ここでは答えは述べない事にしましょう。自分で勉強してみてね。課題にしておきますね。  
   さて、今回は、その竹下ドンが日本の総理だった頃のお話です。いつ頃かというと平成の始まる少し前、昭和の終わり頃ね。余談ですが、竹下ドンにも親分がいました。約四十年前に独特のしわがれ声で有名だった元総理、田中ドンという人で、この田中ドンは、国中を工業化しようとした計画「日本列島改造」というのと、その為に「電源三法」という法律を作った事で知られています。「電源三法」とは、消費者の電気料金の中から集められた税金、それを電力施設を作ってくれる地域に交付金として差しあげます、だから、発電所を作るのに協力してね。と言うものでした。電力の主な消費地帯はいうと主に都会や工業都市ね、では供給地帯はどこかな? これも課題として考えてみてね。
   それでは先に進めましょう。今から聞いて戴くお話はその頃、南西諸島に暮らしていたヤドカリさん一族と、そのお友達の物語なの。南西諸島とは鹿児島から南へ繋がる島々を指します。 
   黒潮海流が流れている東シナ海。その海底には、陸地と同じように大小の岩々が横たわっています。が、陸地の岩と異なるのは、岩には多くの穴や角があり貝やお魚など多くの生命がそこで暮らしている事なのです。中でも陸地に無いカラフルなサンゴ礁がきら煌びやかさを競うように横たわっているのです。黄色の小菊の群生みたいなイボヤギサンゴ。丸いテーブルを思わせるテーブルサンゴ、磯巾着に似たキサンゴ、枯れた木立みたいなオオイソバナ。そしてそれらのサンゴ礁の林の間には色とりどりの魚達が住んでいます。サクラ鯛、スズメ鯛、金目鯛、ブダイ、クマノミ、チョウチョウウオにカワハギに黒鯛。よしましょうね。魚の名を挙げていくだけで講演に戴いたお時間が終わりになっちゃいますから。それくらい数多くいるのです。
   ではヤドカリさん達のお話を始めていくその前に、ここでヤドカリさんに代わって、歌わせて戴きます。
    テーマソングは「ヤドカリさんの歌」。
    はい、ミュージックお願いします、スタート。
         ♪ハサミはあるけど蟹じゃない ヒゲもあるけどエビじゃない 僕たちはヤドカリさ
            十脚目と言われても 八本足しかないんだよ 僕たちはヤドカリさ
                  自分にあったヤド探し 次から次へと貝変える 僕たちはヤドカリさ
                  危険がせまればヤドの中 安全第一の僕たちさ 僕たちはヤドカリさ ♪

    まぁ盛大な拍手をどうも有難う。ではお話を始めますね。ある日、ヤドカリさん達にぎょ魚がん雁が届いたの。魚雁って、お手紙の事です。海の世界ではお魚さんがポストマンなのですよ。受け取ったのはヤドカリ一族のリーダー、しゅくしょう宿将氏でした。
  「オカヤドカリさんからの手紙なんだが、これによると、向こうではプラスチックのお宿というものが流行り始めたらしい」「プラスチックのお宿って? 何? 」
と、すぐに訊き返したのは勉強好きな子供、しゅく宿だい題くんです。
  「ワシもお目にかかった事はない。だが書いてあるところによれば、洗剤容器の蓋とかで、固くて軽くて洒落ていて、そんなおヤドが手軽に手に入るようになったらしい。それをキャップと呼んで、手に入れたものは大喜びでキャピキャピと駆け回っている、とか」
  「そんなにいいお宿なら、早くお目にかかりたいものね」
   そう洩らしたのはご婦人のしゅくごう宿業さんです。人が、人であるが故に心の病を背負ってしまうのを宿命とするなら、彼女はヤドカリの宿命、つまり背負った巻貝の重みから長年に亘って腰と肩を痛める宿業をも背負っているのでした。
 ともあれ、新しいオヤドの出現を伝えた魚雁はヤドカリさん一族に十分な期待を抱かせるものとなりました。証拠にその日、彼らは足取りも軽く外食に出かけたのですから。  
   時刻は朝マズメ前。マズメとは日の出か日の入り前の薄明るい頃で、天敵の魚達が動き出す前に食事を済ますのが彼らの日課なのです。ところが、ところが。食事に出かけている間に、彼らを取り巻く潮流は大きく動こうとしていたのです。一匹の狸さんが彼らの棲家の岩に近付いていました。彼は袋を背負い、海底にある物を見つけては袋に入れています。およそ海底には、人間界にある物で無いものはない、と言い切れる程なのです。食料品、衣類に家に車に電気製品に家具類。車から船から飛行機と何でもあり、の海の底なのですよ。さて、狸さんが何を何の為に収集しているのかは、ここでは内緒にしておきましょう。
「ヤヤッ、二本足で立っている者がいる」「長いしっぽだぞ」「二個下げているのは、あれはオモリか?」「フグの親戚なのかぃ? なんと立派なお腹じゃないか」。
 初めて狸という生物を見た一同は興奮し、口々に感想を述べあいました。ざわめきを鎮めるかのように狸はポンと一回腹鼓を打ち、それから両手を広げ、大見得を切るしぐさをして言ったのです

「驚くには及びません、ヤドカリさん達。ワタクシ、決して怪しい者ではございません。狸のポンタという駆け出し者に、ござんす」
 丁寧な口調でしたが、依然としてヤドカリ達の飛び出た目に宿る疑惑が消えないのに気付いたか、彼は続けました。
「狸がどうして海にす棲んでいるのかって? ごもっともな疑問です。聞いて戴きましょう、親切丁寧にお応えするのが私のほんしつてき本質的りせい狸性、いわゆるモットーなのですから。もっともリセイのリは狸と書きます、お間違いの無きよう」
 ポン。ここで大きく腹鼓を打ち鳴らし口上を続けます。
「昔々のそのまたはるか昔。私のご先祖様にポンノスケという狸がおりました。そのご先祖こそ、兎のこうち狡知に嵌められて、哀れにも背中に火傷を負わされた挙句、泥の船にて海に沈められてしまった狸なのでございます」
   それ知ってるぞ、と口を挿んだのは、学問に秀でた副リーダー、しゅくがく宿学氏でした。

「その話なら、狸が沈んだのは確か、富士の火口湖じゃなかったかな、ダザイという、決してダサクない作家の話ではそうだったぞ」
「おや、恐れ入りました。色んな御説があるようですね。ま、続きを聞いてやっておくんなさいまし」
手を突き出して皆を制した後、続けました「海中に沈みながらご先祖様は考えました。人間に『人生至るところ青山あり』という諺があるならば狸だって『至るところに青海あり』だと。皆様ご案内のように、その意味は懸命に生きるならどこでもやっていけるというものでございます」 
 そこで一歩前に出たのが宿題くんでした。
「おじさん、教えて。ね、おじさんって狸って言ったよね。ボクの知識では哺乳類だと思うんだけどさ、どうして海の中に棲むことができるの?」
 近寄ったポンタは宿題くんの頭に掌を乗せ、上機嫌のフーテンの寅さんみたいに思い切り優しげな声を作って言ったのです「坊や、勉強好きかい。じゃ教えてやろう。でっかい鯨、あれもオジサンと同じ哺乳類だよ。海で立派に生きているじゃないか。それにネ、鯨も昔は陸に暮らしていたのさ。ところが体が大きくなり重くなって困った。そこで海の方が楽だ,と戻ってきたんだよ。勿論、陸に残った鯨もいたさ。そいつらは小さくなって今では山鯨と呼ばれてるのさ」「ヘェ、ホントなの。鯨は山にもいるの」
「そうさ、別名イノシシとも呼ばれているがね。と兎も角だ、あ、イヤな言葉使ってしまった。誰が考えたんだろうね、兎に角だなんて鬼に金棒みたいなものじゃないか。チッ」
 人間なら卑小性を感じさせる小さな舌打ち、それは、大きな腹鼓と違って一同には気づかれなかったようでした。
「鯨だけじゃない、海に入ったオオカミは海オオカミと呼ばれて今では立派な海の勇者なのさ。逆に、陸上の木が好きで木登り魚って呼ばれている魚もいるくらいで千差万別。それが生きとし生けるもの若しくは生かされているものの摂理といえましょう。そんな訳で、海に入った勇気ある開拓者狸こそ私のご先祖様になるのです。畢竟、『意志あるところに道は拓ける』という訳なのですよ」
「長いお話に名前も忘れてしまいましたわい。何とおっしゃったかの? 」と、長演説を止めさすかのように訊いた宿将氏に「ポンタです」と、狸は慇懃に頭を下げました。
「ポンタさん。背中の袋から察してご商売かとお見受けしたが、このカイワイに何のナリワイで来られたのかな? 」
「かいわいって?」「なりわい、って?」と顔を見合わせた子供達に、教えたのは副リーダーの宿学氏でした。
「この付近に何のお仕事で来られたかって、訊いたのさ」
「おや、申し遅れました。申し訳ない。私、このたびこちらで便利屋の商売を展開させて戴きます。便利屋ポンタことベンポンタとお呼び下さい。ご依頼は何でも受け賜わります。御用は何なりとお申し付け下さいませ」
 言い終わるなり、彼は腹鼓を叩きました、トトンがトントン、トトンがトン。リズムに合わせて大きく目を見開き、歌いながら踊り始めていたのです。  
       ♪はぁーあ ヤドカリさんこんにちは 皆様の暮らしに 役立つポンタです 困った時には便利屋さん 便利屋ポンタのベンポン             タァ ペンポンタァ♪
  拍手のうちに踊りが終わった途端、近づいたのが宿業さんでした。
「早速だがお願いしてみましょうかね、ベンポンタさんとやら。私のオヤドは頑丈なのだがなにしろ重たくてね、肩こりと腰痛に長年悩まされておりますの。ヤドカリの宿命、いや宿病かと諦めてもおりますがね、もっと軽くて丈夫なオヤドがありましたらお願いできますかね」。
「それなら、ワシのヤドも診て貰おうか」と、頼んだ宿将氏の背後に廻ったポンタは、素早く巻き貝を点検し「傷みが激しいですな。これはもうカイ替えた方がよろしい。カイ店記念に掘り出し物を準備して参りましょう。きっと皆様にお求めガイあるオヤドをご持参致しましょう」「頼めるカイ?」「合点ポンノスケもとい、合点承知の助だぃ」。
   言うが早いか消えるように立ち去ったポンタを見送りながら、「カイガイしいやつだなぁ」と洩らしたのはしゅくすい宿酔氏です。酒好きの彼は、酒のせいかいつも赤ら顔をしているのでした。傍で宿業さんが呟きました「居ながらにしてオヤドが手に入るなんて世の中もカイ化されたものね」。
 二人の言葉こそ、ヤドカリさん達に概ね共通する感慨だったと言えたでしょう。
 翌日。彼らの住む岩穴に大音声が届いたのでした
「毎度お騒がせいたします。オヤド交換でございます。旧いオヤド、傷んだオヤドはお取り替え下さい。只今、おカイ得セール実施中。こちらはベンポンタ商会です」。  

 『便利屋ポンタ』ののぼり幟を立て、巻き貝の殻を山盛りに積み、リヤカーを曳いたポンタでした。人懐こい、もとい、ヤドカリ懐こい顔を精一杯作って岩穴の外から手招きしています。ヤドカリ懐こい顔ってどんな顔かって? 目じりを思いっ切り下げた寅さんみたいな顔とか、どうか逞しく想像してくださいな。

    ここで一つ、おことわりをさせて下さい。「もとい」、という語は私の口癖で、言いなおすという意味なのです。

   すぐにリヤカーを取り巻いた一同の中で、既に宿業さんは試着を始め、一方、ポンタ狸は宿将氏に近付きました。
「大将様にはぴったりのオヤドを持参致しました。リーダーにふさわしい風格のものを探すには随分と苦労致しました。これぞ、超お勧め品です。タタカイにもまたおくつろぎにも最高品かと。いかがでしょう」「大きすぎないカイ? これ」「いえいえ、ご立派なご風格にとてもお似合いです。大きいぐらいがいいかと。『大は小を兼ねる』と申しますから」「しかし、『蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る』ともいうぞ」「ご謙遜を。中身が肝心でございますよ。貴方様のような立派な方がご入居なさってこそ、元の持ち主の貝も死に甲斐、いえ生き甲斐あったかと言えるもの。ええ、とてもお似合いです、宿将様のコンチクショウ」
  照れたのか、巻き貝の奥深くに入り込んで顔だけ覗かせた宿将氏が「カイかぶりすぎじゃないかね? 」と言うと
「とんでもない、正直者としまして本当の事を申しあげたまでです。勿論、お値段は勉強させて頂きます」。
「では、カイ求めさせて貰おうじゃないか」。
   胸を張ったのは嬉しさだったのでしょうか、宿将氏は言った後、「快なるかな」。そう叫ぶと、突然ハサミを打ち鳴らしながら歌いだしたのです。まるでポンタ狸の踊りが乗り移ったかのように。
   はい、ミュージックお願いします。
      ♪ハアーア 嬉しいカイと訊かれたら カイ感だよ と答えたい 

         カイ想すれば尽きぬほど   幾つものたたカイに カイ勝してきたワシなのさ
         ハァーァ オヤドも立派に替わったぞ これでカイ戦も楽勝だ すっかり課題もカイ決し 
             カイ春出来そうな ワシなのさ
 歌いながら踊る宿将氏は、勢い余ってハサミで新居のおヤドを自損、つまり自分で傷つけたくらいです。それほどリーダーとして自尊心をくすぐ擽られ、新居の嬉しさも手伝ったのか、気分も舞い上がったみたいでした。
「いいぞぉ、海軍大将。これからもみんなを頼むぞぉ」
   怒鳴った宿酔氏が、いつの間にかお酒のビンを下げているのに気付き、宿学氏が「酔よ、酒は安全なネグラで飲め、と普段から言ってるだろ」とたしな窘めると

「判ってますよ。いいじゃないスか。皆さんに新しいヤドが入ったんだ、いや皆さんが新しいヤドに入ったんだ。えい、どっちでもいい。お祝いでしょうが。めでたい時の酒だ、許して下さいよ。酒の肴には鯛のお頭付きでも欲しいところですわ」
  すっかり顔を赤らめて宿酔氏は反論するのです。
「何を言う、心配して言ってるんだぞ。油断してたらお前こそ、お頭付きのヤドカリ一丁となって食われてしまうんだぞ」と、怒った宿学氏が宿酔氏に詰め寄ったのですが
「およしなさいな、ご両人様。メデタイ席に争い事は禁物でございますよ」とやんわりと二人をたしな窘め、ポンタは宿将氏と宿業さんに言ったのです
「お支払い方法ですが、分割ローンでよろしいですね。
  お品が貝のオヤドですので最長三年のローンとなります。『カイは三年、ロは三月』。お間違いのないよう。
   それから、これはアフターサービスの一つです。長持ちには何と言っても普段のお手入れが大切で、清潔こそ一番。
   お渡しした無料パンフは『私の清潔法』という、ウツボさんの体験記を紹介したものです。ご参考までに」
「『ウツボ物語』というヤツじゃないのか、そいつは。清潔好きのヤツらは、口中の食べ滓の掃除をエビにまで手伝わせているって話だからなぁ」と、横目でパンフを見ながら、またもさりげなく博識ぶりを披露した宿学氏でした。
「ところでポンタさんとやら、アンタどうして商売を始めなさったのかい?」

  と、初めて口を開いたのがしゅくよう宿曜さんです。彼女はシャーマン、即ちお祓いや占いをする祈祷師さんで、その特技でみんなを幾度となく災いから救ったりもし、また、お祓いをも得意としていたのです。祈祷師って解ります?  そうシャーマン。古代邪馬台国を率いたという卑弥呼さんもそうだったみたいですね。もっとも宿曜さんはこのチームではリーダー役ではありませんが。
 さて彼女の質問に、腰を下ろしたポンタ狸はしみじみとした口調になって語り始めたのでした
「去年の事でした、父が鮫にやられて亡くなったのは」
「ホオジロ鮫だろ。ヤツは最近では人間をも襲うそうだ。映画とかになったジョーズとやらの一族もそうだろ? 」
と宿学氏が口を挿み、頷いたポンタは続けました。
「父は私に言い残しました。『いつか必ずオレを故郷の土に弔ってくれ。海底でなく、最期は大地で静かに眠りたいのだ』と。父の亡き骸を前に私はサメザメと涙を落とし、そして誓ったのです。故郷に父のお墓を建てよう。遺言を果たす為にお金を貯めようと」
「それで商売を始めたのね、で、故郷とやらはどちら?」
「群馬県は館林。そこの茂林寺とかいうお寺さんの裏山こそ、父の父のーー」「もしかして、ブンブク茶釜の? 」
「そうなんでございますよ。正直者の我が一族は、お寺さんや村人さん達にとても可愛がられたとか」
「以前の話では、ご先祖はカチカチ山ではなかったか? 」
 宿学氏が怪訝な顔で洩らしますと、その言葉にのけ反った瞬間、ポンタは海底の泥に足を取られて転んでしまい、起き上がると、しどろもどろの口調になって弁解しました。
「そ、それは、言い間違いの聞き間違いかと。父の父のそのまた父の、もとい、いや、母方のご先祖かと。何しろ随分昔々の事ですもので」
 そう言った後、しばらく口を閉ざしたのですが、気を取り直した様子になって続けました。
「確かめてみようと私は初めて陸に上がり、大地を踏みました。ご先祖様の故郷をいざ探さんかなと。勿論本当の話でございます」
 ここで、自分を鼓舞するかのように打ったポンタの腹鼓に、ええ、ええと相槌を打ったのは宿業さんでした。
 カイのお宿を最初に購入した彼女が「疑っちゃいないわよ、ポンタさん。で、どうだったの?」と先を促しました。
「父の話に聞いた山や森が、どこにも見当たらないのです。
 数えきれないくらいの木々が生え、木の実や木の芽をたらふくご馳走してくれるという山。五月雨や雪解け水を集めては歌うように流れるという小川。季節ごとの草や花がそよぐという草原。その草原を多くの動物が駆け抜け、水辺に憩い、木から木へと跳び移っては遊ぶんだ、と、父は故郷を語ってくれました。しかし訪ねど訪ねど、そんな山や森は無いのです。一緒に遊んだという動物達の姿も見つけられませんでした。皆、どこに行ったのでしょう」
 ヤドカリ達は静かに聴いています。未だかって見たことのない山や森というものに思いを馳せていたのでしょう。
「私は考えました。山や森や川が無くなったから、みんなどこかへ行ってしまったのではないか、と。そんな訳で、私は決心したのです。お金を貯めよう、それで山や森を買おう、そしてそこに父を眠らせてあげようと」「いい決心じゃないか。で?」「お金を貯めるには商売だと。それで何から始めたらいいか、と相談してみたら」
 占い師の宿曜さんが遮りました
「カイを扱う商売から、と言われたんだろ。アタシだってきっとそう答えたよ。『カイより始めよ』ってね」
「占い師と聞きましたが流石ですね。何でもお見通しだわ。こんなお方はお客さんにしたら怖いな、ヘンな品物はウラナイ、もとい売れないわ。ジョークですよ」
 肩をすく竦めてみせたポンタに尋ねたのはお酒の好きな、あの宿酔さんです「商売はどんな按配かい? 」
「いや、もう大変なんですよ。海の中の事といったらもう、ナミナミならぬ苦労の連続です。ヤドカリさんの場合は住居が定まっていて商売も安心なのですが」
「魚達は住所不定が多いだろうからな。海から川に戻ったり、回遊魚とかはネグラを定めなかったり、だろうしナ」
 またも博識ぶりをさりげなく、というよりいかん如何なく披露した宿学さんに、わが意を得たり、とばかりにポンタ狸は悪口の限りを並べ始めたのでした。彼の大きな腹をもってしても腹に収めきれなかったものと思えるほど、それは堰を切ったかのような勢いでした。
「聞いて下さいな、私の苦労話を。
 ニベのやつは商談をニベなく断るし、ベラのやつときたら『ベラボーな値じゃねえか』と文句ばっかり。ブリは出世してもケチは治らずで支払いとなるとブリブリ怒り出す。後になってから決まったようにグチる、のがグチ。
 約束を守らないのが針千本。それで、特約入れて貰うんですよ、『約束破ったら針千本呑ます』というもの。でも買った後は知らんぷり、なんです。
 面倒なのはニシンですね。ニシン法とかいう独特の計算法でもう手間が掛かるの、なんのときたらーー。ハアァ」
 大げさなため息をついてみせ、それでも続けたのでした。
「高価な玉に似てはいても魚の目はただの偽者。そこで偽者の事をぎょもく魚目えん燕せき石と言うそうですが、本当に魚には騙され続けてまいりました。参りましたよ、つくづく。
 それに引き替え、ヤドカリさん達とは末永いお付き合いをさせて頂けそうで、嬉しく思っています。どうかひとつ、『ブリと大根』、もしくは『ニシンと筍』みたいに相性よろしく、仲よくお付き合いさせて戴きたいと」
 頭を下げる一方で彼の大きな眼は、岩の後ろ、サンゴの林の奥に、油断なく魚影を捉えたようでした。
「あ、コノシロだ。待て、このヤロー」と 言うなり、サンゴ林に魚を追いかけて消えたポンタでした。
「どうしたんだろ、狸さん」
 訊いたのは素直で正直者の子供、しゅくちょく宿直くんです。
「利子を貰ってなかったんだろ」と、宿学氏。どうして分るの、との声に「子のしろ代、だからさ。お金の利子なのさ」
彼はそう答えたのですが、子供達の誰一人、意味を理解できませんでした。でも、魚の世界って難しいんだナ、気をつけなくちゃ、それだけは自覚したようです。
 ポンタがサンゴ林の後ろに再び姿を現した時、彼の背後から二匹の黒白模様の大型の魚影、そいつが尖った歯を光らせながら近付いて来ていました。石鯛でした。石鯛の強靭な歯ときたら釣り針を曲げ、石をも噛み砕くと怖れられていて、ヤドカリさん達にとっても最大の脅威だったのです。絶叫にも似た大声で皆に指示した宿将氏でした「タイだ、逃げろっ」「岩陰に伏せろ」「間に合わん時は引き付けてタイをかわせ」。
 悲鳴が乱れ飛び、泥は巻き上がり、瞬く間に汚濁の闇に一面が覆われていきました。その時突然、岩の上に灯りが点き、灯りは回転し始めたのでした。
 しばらくして。
 汚濁が消え、石鯛の姿も見えなくなった時、最初に回転する灯りの下の方から姿を現したのは宿題くんです。「石鯛は去ったみたいですね、ポンタさん。狸の術って凄いなぁ、灯台に化けたんでしょ? 灯台元暗しっていうから、ボクすぐに足元に隠れたんだよ。みんなどうしただろ? 」
 見渡して二人が見たもの。それは、棲家の岩穴近く、泥に半分埋もれた巻き貝でした。近づいて宿題くんは、悲鳴にも近い叫びを上げたのでした。
「大変だ、これ宿酔さんのオヤドだよ。やられたんだ、宿酔さんが。おーい、大変だぁ」
 主を失くした亡き骸の前で、一同はしばらく声もなく、凝視する以外にありませんでした。
「外で酒を飲むな、とあれほど言ったのに」と呻いたのは宿学氏。「酔ってたからねぇ、酔は逃げ遅れたのだわ」と泣いた宿曜さんに近づき初めて事態を理解したのか目を丸くしたポンタは「宿酔さんがやられた、そんな馬鹿な」。 
途切れ途切れに宿曜さんは語ったのでした
「私見たのよ彼が倒れるとこ。逃げ遅れたので死んだフリしようとしたのかも。狸寝入りなんてできっこ無いのに」。
 亡き殻は岩陰に運ばれ、海藻が供花されて宿酔氏の会葬は執り行われました。読経にはネンブツダイが駆けつけてくれて滞りなく終えたのでした。
 
 会葬が終わった後に話題を集めたもの、それはポンタが頭に乗せていた電灯でした。自分の頭の上につけ、回転してみせながら得意げに語った宿題くんです。
「こうしてクルクル回ったら灯台に見えるだろ。これ海中電灯と言うんだって。灯台に化けられるんだ、凄いでしょ。これなら敵も騙せるし」
「そんなにいいものなら、アタシもひとつ欲しいわ、お願いできるかしら」と言った宿業さんの元にすかさずポンタ狸は近寄りました。
「よろしいですとも、心得たぬきの腹鼓だポン。いいお買い物だ、宿業様。いつもながら貴方はさすが、お目が高い」
「ヤドカリってものは、逆立ち生活みたいなものだから、目は低いというのが相場と決まってるのだがね」
と彼女が照れたのにも構わず、ポンタは声をあげ
「この電灯、護身用だけだと思ったら大間違い。岩陰に向けたら隠れている獲物もつぶさに発見しうるというスグレモノ。これなら思いのままの食事という訳だ、如何かな」
「目のつけどころがヤハリ何処か違うわね」
との宿業さんのホメ言葉に、胸を張ったポンタです。
「ほかにご注文の方は?」
の問いに、一斉に全員の手が挙がったのでした。
「お一人二本ずつですね、毎度ありぃ」と言うや、たちどころにポンタは去って行きました。いったい、ヤドカリさんのチョキになっているハサミの手を一人が二本と数えたのは間違えたのか、故意だったのかは判りません。
 
  さて、大きな期待を抱かせた電灯でしたが、数日後には棲家の前に投げ捨てられたように積み上げられる始末となります。電灯のせいで一同は大災難に遭遇したのでしたから。中でも子供の宿閉くん、彼は巻き貝以上の大きなトラウマを背負ってしまったのです。トラウマって解るわね、心の傷、つまり、その事件以来、彼はみんなと一緒に外食に出られなくなってしまい、いわゆる自分の殻に引きこもり状態になってしまったのでした。
 同じ岩の上に棲む磯巾着さんが彼を諭しています。
「電灯つけてエサを探そうという了見が甘いのよ。自分の位置を敵に知らせるようなもんだというのが解らなかったの? フグに襲われたあの時も、そうよ。九人が九人、クルクル回って誰が灯台だと思うの? 甘いんだから」
 怒ってみせながら、優しい彼女は宿題に食事をお裾分けしていたのでした。二人は仲良くなっていたのです。

 さて、電灯配達後にしばらく姿を見せなかったポンタでしたが、再びヤドカリさん達の棲家に現れた時、いつものリヤカーを曳いていました。違ったのは幟の文字『便利屋ポンタ』が『安全保障のポンタ』に様変わりしていた事です。そして、新しい歌を歌い始めていたのでした。
  ♪はあーぁ ヤドカリさんごきげんよう  命と暮しを守るポンタです 安全の事ならアンポンタ
    命と暮らしはアンポンタ 安全保障はアンポンタァ♪  
 

 歌い終えると岩穴に向かい、大声で呼びかけました。
「皆様、お見舞いに伺いました。私、ベンポンタ改めアンポンタです。このたび吾がしゅくしつ宿執、ヤドカリ様方の安全保障を徹底的に追及させて戴きました結果、取り揃えてお持ちいたしました究極の品々。どうぞふるってご覧おきぃ」
 誰も出てきません、そこで、声を一層張り上げ
「ふ不ぐ虞の事故があってからでは遅いのです。ヤドカリ様ご一同には声を大にしてもの申したい、即ち、備えあれば憂いなし、と。取り揃えました安全保障充実の品々を是非ともご覧あれ。つきましては先着三名様にはプレゼントを用意致しました。お早いお越しを」
 飛び出してきたのは宿題、宿直、そして一番幼い無邪気なしゅく宿ぜん善くんの、三人の子供達です。
 プレゼント、プレゼントだぁ、と騒ぎます。
「プレゼントは後にね。先ずこれをごらん」
 一枚の布を広げたポンタ
「これこそ名づけて、隠れ布。周りに似せて見事に姿を隠すヒラメの擬態術から産れた商品だ。早速ご覧あれ」
 言うが早いか、岩と同じ色の布を体に巻きつけ、ピタッと岩に寄り添ったのです。
「お腹の出た岩だねぇ」と触ったのは宿直くん。
 でも凄いよ、と拍手が起こり、気をよくしたボンタは次の品物を手にしました。「次に取り出しましたるは二枚のウチワだ。敵に追われた時、空に逃げる飛び魚さんの秘術から産まれし『空飛ぶ羽』、それがこいつだ」
「ポンタおじさん、飛んで見せてよ」と言った宿題君に
「お、おじさん向きの規格じゃないんだよ、これは。ではこちらはどうだ、『とうてき投擲乾電池』だ。電気を起こして防御するのは電気鰻。そこからのアイデアだ。だが、この電池は電力がチト弱い。そこでこいつは投げつける。敵が怯んだ隙に逃げるという寸法だ。どうだ、このスグレものは?」
と、ポンタは答えたのでした。が、石を投げるのと変わんないじゃないか、と子供たちの反応よろしくない。そこでポンタが次に取り出したのはスプレー缶。
「これならどうだ、『イカスプレー』。イカが逃げる時の術つまり煙幕を張るというプレーが墨の吐き出しだ。これはそれをスプレーにしたやつだ。どうだい?」
 でも、僅かに黒い墨が出ただけだったのです。
「これじゃ隠れっこできないよ」「全然イカさないねぇ」「まっ黒になるかと期待してたのに、ボク白けちゃったよ」と子供達。
「残念です。皆さんから宣伝して貰えると思ったのですが、お気に召すものがなかったようで。では次回にご期待を」
丸い肩を一層落としてポンタはリヤカーに手をかけたのです。が、その途端、一斉に子供たちの手が延びてきたのでした「プレゼント頂戴よぉ」「約束だよ、ポンタさん」。
 ポンタが三人の子供達に一個ずつ渡した小箱。中には一枚のビニール袋と説明書が入っていました。 
 説明書。商品名『シュラフ寝袋』。実用新案申請中。
 ハゲブダイは夜、口から粘液を出してカプセルを作り、身を守って眠ります。自分でカプセルを作る手間を省いたのがこの新商品『寝袋』。身を包んで横になればたちどころに貴方の御身の安全は保障されます。これぞ安全保障の必需品。使用上の注意。この商品、ビニール「寝袋」、魚は決して好みません。ですが、好物のクラゲと間違ったカメに噛み付かれる事がママあります。ご用心を。
説明書を読んだ宿学さんが感想を述べました。
「カメがカムのか。カムのはカメか。マンマ飯としてじゃなくママとしてネ。ハハハ、面白いシャレじゃないか。ハハ」  
彼の笑いはとまらなかったとかで、そんな姿を見た事のなかった子供達はあっけにとられたそうです。

 ヤドカリさん達の用心深い生活は続いていました。
 加えて、生活防衛の為に彼らもデモをする事さえあったのです。サンゴ礁をオニヒトデ達が破壊した事が原因です。サンゴ林の消失は、そこで暮らしを営む彼らにとって外敵に襲われやすくなるのです。彼らはデモ隊を組み、ヒトデに抗議のシュプレッヒコールを突き上げたのでした。勿論、ハサミの矛先はオニヒトデの一群に向けて叫びました
「サンゴを返せ」「我らの生活を脅かすな」「ヒトデのヒトデナシ」「オニは外」。
 努力の甲斐あってかオニヒトデが一帯から去り、平穏な生活を取り戻せたかのようなそんなある日。
太平の眠りを覚ますかのような、何時になく張り切ったポンタの大声が届いたのです。 
「長らくのお待たせでした。ヤドカリの皆様。ついに夢のオヤドの登場です。大評判の新製品、その名もプラスチックホームですッ」。
「噂のプラスチック? 」「以前話に出た、レイのヤツか」
 ヤドカリさん達が興味からゾロリまたゾロリと、岩穴から出てきた時、ポンタはプラスチックキャップを掴むと勢いよくリヤカーに跳び乗りました。
「これが安全保障の究極品だ。論より証拠。ホレ、持ったら軽い、叩きに強い、そのうえ日当たり良好ときてる。一DKだが中は広くてゆったりだ。これぞ理想のマイホーム。いざ、お試しあれ、ポン」と腹鼓を打って続けます。
「さぁ、お立合い。そもそもだ、プラスチックという文字はPLASと横書きしていくのでございます。さて横歩きのこの文字は何かに似てる。そう、皆さんの親戚の蟹さんの歩きとそっくりだ。そこでこの横文字に名がついた。蟹が行くと書いてかい蟹こう行文字という訳だ。さても開高健は魚好き、ワタシゃヤドカリさんが好きとネ。さてさて最初は慣れないプラのヤド。大きいかなと思えども、そのうちあなたをピッタリと、吸い込む羽目になるでしょう」
 キャップを置き、リヤカーのフレームの高い位置に移ったポンタが手にしたのはコップ。
「疑わしきはさてご覧あれ。左に持ったはコップだ。勿論プラスチック製。右に持ちたるは赤いボール。さあ二つの運命やいかに。サメっ、もといフカっ、もといエイっ」
 エイと同時にボールを離す一方、コップを差し上げました。途端、ボールは一直線にコップに飛び込んだのです。実はトリックで、コップとボールは細いゴム紐で繋がれていたのですが、仰角が死角になるヤドカリさん達は気づくべくもありません。ポンタ狸はそこで一層声を張り上げたのです、ここぞとばかりに「ビタリと吸い込む。これぞプラスチックの真骨頂だ、如何かな」。
 カチカチ、カチカチカチとハサミによる大拍手と称賛の渦が起こりました。ポンタは両手で拍手を制止して言いました「拍手は十分です。カチカチという音はどうも苦手でしてね、あ、お気を悪くなさりませんように」。
 深々と一礼した後、腹鼓を一回ポンと打ち、歌い始めたのです。丸いお腹の前で手を組み、オペラ歌手みたいに。
「では、不肖私メがここでご披露致します歌は『究極のマイホームの歌』。お聞きあれ。
   ♪はぁーあ 宿因だったカリヤド生活 狭い重いの おヤドを背負い 肩の痛みに泣かされた日も 今日であなたはさようなら
    はぁーあ 宿願だったマイホーム 広くて軽い一軒家 
     強くて安全 陽当たりバツグン みんなが羨むきれいなおヤドに 明日からあなたは こんにちは♪
 歌が終わるや大混雑となりました。プラスチックホームにカイ注文が殺到したからに他なりません。

 数か月後。軽いホーム宿に乱舞したヤドカリ達の心は重く沈んでいました。宿題くんが発病していたからなのです。祈祷師の宿曜さんによってお祓いが連日施されてました。
   〆神ヌ大ヌ嫌い物や 君が大ヌ嫌い物や  野原はるばる あしだや角だは 
    横天なし すば天なし ブラ身体祓いぬ ブラ身体祓いぬ 
    祓い祓いたと 祓い祓いたとーろ クジラ ワニサバ フカ アバシー 〆
 悪霊退散だというそれは、彼女がどこかの南の島で聞き覚えたという、ユタ神様とかの呪文だという事でしたが、効き目は表れず、宿題くんの苦しみは増す一方でした。
 そんなある日、ポンタ狸がやって来て、見舞いに訪ねたと言います。岩穴の外で応対したのは宿学さんでした。
「行商の旅にあったものでお見舞いが遅れて申し訳ありません。ご病気だという子供さんのご様子は如何ですか?」
「それが、高熱に下痢、そして吹き出物という容態が変わらずの状態なんです」
薬箱らしきものをポンタは出しました。「この薬品をお使い下さい。いえ、お代は使われた分だけで結構ですので。他に何か御入用がございましたらどうぞお申し付けを」
 箱を受け取った宿学さんが
「お心遣い、いたみ入ります。海人草など薬草を私どもも処方したり、と、手を尽くしているのです。ですが決定的な対処法が解らず苦慮しているのです。宿題の症状は肝臓の血管肉腫と思われるのです」
 丁寧にお礼を述べた時、ポンタの大きな目に驚きが走ったのでした「子供さんって宿題君だったのですか? どうして彼がそんな酷い目に? 」「あなたにはお聞き苦しい話かも知れないが塩化ビニールモノマーが或いは原因かも、と」「塩化なんとか、一体それは? 」「プラスチックの製造過程で容器に含まれるという毒性物質です」「宿題君の病気はプラスチックキャップが原因だと?」「確かだという訳じゃありません。調べたところプラスチックは本来、水に強い筈ですから。或いは最近ここらの水が濁っているのと関係しているのかもしれない。原因が判るまで私達は以前のヤドに戻る事としました」
 その時になって、宿学氏が巻き貝のヤドを背負っている事に、初めてポンタは気付かされたのでした。
 翌日。磯巾着さんと宿閉くんの会話です。
「宿題君の様子、どう?」「爪までむく浮腫んできて、痛そうなんだよ」「可哀そうね。私にはどうする事もできなくて悔しいわ。あの狸、気をつけなさいよ」「ポンタさん? あのヒト悪いヒトじゃないよ。面白いヒトもとい、狸さんだよ」「油断しちゃダメ。ところで宿閉君、最近おしゃべりになったわね。それに顔色も黒くなってたくま逞しくなったみたい」「そうかなぁ」
 と、宿閉くんが顔を撫でるとベットリと黒い油カスが手にくっ付いたのでした。
「油カスだったのね。この頃、水が汚れていたり、変な臭いが混じってたりして、厭だわね」
 そこへリヤカーを曳いたポンタがやってきて、後を追うようにヤドカリさん達も戻ってきたのでした。
「皆様、しばらく時間を戴きたく存じます。私、閉店する事に致しまして、皆様に今迄のお礼とお詫びと、そしてお別れの御挨拶に参りました」
 ポンタは言いながら封筒を取り出すと、宿将に手渡し、
「僅かですが今の私の全財産です。宿題君の為にお役立て下さい。本当に彼には悪い事をしてしまった、申し訳ない」
 大きな目に涙をにじ滲ませ、続けました「あの子が、宿題君が私は大好きでした。最初に声をかけてくれたのが彼だった。ガラス玉のような澄んだ目で言いました。『おじさん、狸なんでしょ。哺乳類の狸がどうして海の中に棲めるの』って。『灯台元暗し、だよね』と言ったのも彼だった。勉強好きなあの子を酷い目に遭わせてしまって、私は」
 落とした肩に宿学氏が手を置き、言いました「宿題は元気になりますとも。プラスチックなら貴方も私達も知らなかった事だ。悔やまれるが、貴方だけの責任じゃない」。
 泣き止み、ポンタはリヤカーに向かうと、袋に食べ物を詰め始めました。缶詰、果物、スナック菓子、缶ジュース、カップ麺など。それらで一杯にした袋を宿将氏に差し出し
「宿題君にあげてやって下さい」「有難う。でも今は食べられないのです」「そうですか。では皆さんでどうぞ」
「お言葉に甘えさせて貰います。そうだ、この戴きもののご馳走で今からポンタさんの送別会をしようじゃないか」
 提案に全員が賛意を表し、潮が止まる時間、それは天敵の魚の休む時間なのですが、その時刻を見計らって送別会が催されたのでした。亡き宿酔さんのお墓にお酒を供えた後、一同はポンタを囲んで車座に腰を下ろしました。
そうして、宴もたけなわ酣の頃、ポンタが目を擦って言ったのです「酔いが回ったのかなぁ、海が赤くなった」。
 岩が赤くなったのに気付いた子供達も不安を口にし、
「赤潮だ、これは。プランクトンの大量発生だよ。異常には違いないが程なく消えるだろう。心配には及ぶまい」
 宿学さんがそう言って一同の不安を収めた時、揺れる海藻みたいにユラり、ポンタが立ち上がったのでした。
「父が語ってくれた夕焼け空というのも、こんなものなのかなぁ。私達のふるさと故郷では、お日様が山に消える夕方の頃に空が赤く綺麗に染まり、夕焼け空と呼ぶのだそうです。 
 私、歌わせて貰います。父に教えて貰った『故郷』という歌です」
 いつぞやのオペラ歌手みたいに両手を前に組み、今回は体を横に揺らしながら、ポンタは歌い始めていたのです。
   ♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川    夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
    いかにいます父母 つつがなきや友がき  山は清き 故郷 海は青し 故郷♪

 

「いいお声でいらしたのネ、ホントは。いつもがなり立てるような声しか聞いてなかったわ、ポンタさん」
 大きくカチカチと拍手したのは宿曜さん。
 宿将氏が訊きました「この後どうなさるおつもりか? 内地に上がられ、向うのお山に住まわれるのかな」。
「そうしたいのは山々ですが」と言った後、一端口をつぐ噤み、それからポンタはゆっくりと言葉を繋いでいきました。
「夢を見るのです。なんにも無い砂漠か砂浜みたいな、そんな故郷の夢を。そして怖くなるんです。山や野原や小川が無かったらどうしよう。鹿や猿や狐や仲間達が誰もいなかったら独りでどうしよう。そう思うと不安になるのです」
「その時はまた戻っていらっしゃいよ」
 宿業さんが言うと、子供たちが続けました。
「おじさんがいなくなると寂しくなるな」「うん。歌も聞けない、それに踊りだって見れなくなるし」「そうだょ。ポンタさん、帰ってくる時はまた色んな珍しいものを持って来てね」「僕、おじさんに何か持ってきてあげよう」「僕も。待っててネ」「そうだ、僕もオミヤゲ、だ」。
 岩穴に消えた子供達を目で追っていたポンタでしたが
「本当にいいお子さん達ばかりだった。それなのに私は」
 目を閉じ、やがてドングリ眼をこれ以上なく見開き、決心したように言い始めたのです。
「宿酔さんを殺したのは、ワタシなのです。私はとんでもないヤツなんです。皆さんには償いようもないーー。石鯛に襲うよう仕向けたーー」
 ヤドカリさん達は無言のまま、ポンタを注視しました。
「でも私は断じて『殺せ』とは言わなかった、言うはずも無い。脅すだけだよ、絶対にヤドカリさん達を傷つけるな、そう言ったのに」
 呻きが泣き声に変わった時、立ち上がった宿将氏です。
「泣く事はない、ポンタさん。私が話す番だ。宿酔の間近にいたのは私だった。石鯛が姿を現した瞬刻、酔の目は固まっていた。死んでいたのだよ。心臓麻痺だったのか飲み過ぎによる鬱血だったのかは判らん。逃げながら見たよ、彼の体がおヤドから離れて流されて行くのを。子供達には鯛に食べられたと教えたが、魚に用心させる為だった」
「それでも私はーー」と、涙を落とすポンタに
「終わった事よ、そんなに自分を責めないで。宿酔は好きな酒を飲みながら逝ったんだから。宿題の病気の元は、貴方も私達も知らなかったのだもの、仕方ないわ」
 宿業さんが言うと、宿曜さんも明るい声で続けました。
「飲もうよ、思い切り。宿酔も怒っちゃいないわよ。飲もう、お別れよ、陽気にやろう」
後は黙り込み、震える手で酒をあお呷り続けたポンタです。それからカップ麺を流し込むように口にしました。そうして時を置かずして体が前のめりに崩れ落ちたのでした。
「酔ったのかい?」「どうしたの、気持ち悪いの?」
と、抱きかかえた一同が見たものは。断末魔を思わせるかのような彼の苦しげな表情でした。顔から血の気は失せ、目は虚ろ、涎を垂らした口元は震え、声も無く呼吸は乱れていき、脈は弱まって痙攣までもが始まっていきました、初めは小さくそして次第に大きく。
ヤドカリさん達は、体をさすっては懸命に励ましの声をかけ続けました。しかし必死の看病も空しく、あのお喋りの口も大きな目も二度と開く事はありませんでした。
 お別れ会が、永遠の別れとなってしまったのです。

 仲間を失ったような深い悲しみの中、ヤドカリさん達はポンタ狸の告別式を執り行う事にしました。
 子供達の文字による『ポンタさんここに眠る』の墓標が準備され、厳粛な中に、大人達によって弔辞が次々に読み上げられていきました。最初は宿将氏です。
「『あした朝に紅顔なりといえど雖も夕べには白骨となる身なり』と人は言うが、貴方の突然の旅立ちを誰が予期しえた事だろう。貴方は孤独な旅に出てしまわれた。何ゆえだったのか。
 宿学が言うには、原因は『共食い』による急進性ショック死だと。カップ麺つまり揚げ玉とネギ入りの狸ウドンをポンタさんが食べたからではないか、そこで狸の貴方にだけ、共食いによるアレルギーショックが起こったのだと。
 今、私は全ての生き物の命というものに思いを馳せてみる。凡そこの世に存在する生き物で、私の知るところ同じ種属が殺しあうというのは聞いた事がない、それは創造主が創りたもうた『種の保存』という不文律と考えられる。
 一方、人間界では戦争とかで種間の殺し合いがあると聞く。一部種の保身の為に同種間でのさつりく殺戮があるとするなら、人間とは何と愚かな存在かと考える。そう思う根拠は、我々生き物が他の生命を奪い、そうして食うのは生きる為、その一言に尽きるからである。中でも強いタブー禁忌、それこそが同種間での『共食い』であり、全ての生き物が種の保存の為に、共食いの禁忌、それを十分認識し歴史を繋いできた。なのにポンタさん。なぜに貴方は狸ウドンを口にしてしまったのか」
 宿曜さんの弔辞。
「『故郷』の歌詞を間違えたほどポンタさんは深酔いしていたのだという意見や、いつものうっかりミス説、自分が狸だという出自を忘れて海の生き物だと思い込んでいたのかも知れないという説、もありました。本当にどうして狸ウドンを口にしたのでしょう。故郷に帰る事が不安だったの? もしかして宿酔や宿題に詫びるつもりの自害だったの? 自害だとしたら日本的な余りにも日本的なルーツの狸さんね。でも何も語らずに貴方は旅立って行った」
 宿業さんの弔辞。
「私たちの為に多くのお品を運んできて下さったのに、実際の支払いは一つも無かったのよね。全部がローンという事だったので。貴方は大きなお腹の中で儲けの算段はしていたのでしょうが、取り立てをしないまま『とらぬ狸の皮算用』になったのね。詰まる所貴方は、私達への奉仕活動に明け暮れたようなものでしたわね」
 宿学氏の弔辞。
「貴方からは多くを学んだ。四点だけ揚げたい。一つに物を大切にする事だ。貴方が私達に提供してくれた殆どが、人間の廃棄物のリサイクル品だったのだろう。もったいない,の精神、それを私達は受け継いでいきたいと先ず思う。
 次に異種の生物間での共存。狸とヤドカリの間に絆が成立したという事実。この画期的な歴史は永遠に語り継がれる事だろう。三つめに、誰はばかることなく故郷を親を慕う熱情。これも忘れまい。四点目は、歌がユーモアが、生きる上で深い喜びを与えるという教訓だ。会うたびに持ち前のサービス精神で我々を楽しませてくれたポンタさん。我々の友情は、たとい浜の真砂が尽きようとも永遠に不滅です。合掌」

 プランクトンが減る様子は無く、スラッジと呼ばれる石油のカスも堆積する一方で、海の濁りは日増しに酷くなっていきました。そんな折、磯辺に棲むオカヤドカリさんから、またも魚雁が届いたのでした。
「お変わりないですか。こちらは大きな変化に見舞われて大変です。海がラディシュ人参を摩り下ろしたみたいに赤く濁ってきました。陸からの赤土の混入によるものです。磯辺に近いほど混濁は酷いのです。聞けば、陸地では土地改良に排水溝整備、それにゴルフ場造成のラッシュだとか。おそらくそれが原因かと思われます。
 一方で、磯焼けという新しい異変が発生しています。森や山が消失していった結果、森林の腐植土に含まれて海に流れ込んでいた鉄分等の栄養分が来なくなり、海草が育たなくなって海辺の砂漠化が始まっているというものです。
海草の消えたノッペラボウの海に、魚も我々も誰も住めません。汚濁は進む一方で、こうしている間にも人間の工業廃水や生活排水が流れ込み、汚濁の泡の中に晒された私達は生命の危険を感じています。アワを食って急遽避難する有様です。行先がどこになるか見当が付きませんが落ち着きましたら連絡致します。取り急ぎ要件のみ」
 魚雁は深刻に受け止められ、大人達の間で何回も話し合いがもたれました、自分達はどうすべきかと。真剣な議論の結果出た結論は集団疎開、別な言葉でいうなら一族移動でした。行く先は南の海。南を強く推したのは二人です。
「この海流は北へ向かっている。今は南しかない。東海などは危険極まりない」と、強力に持論を推したのが宿学氏。
「南の彼方は昔からニライカナイの地と呼ばれて幸福世界があると言われているわ。南の海こそ私たちの求めるニライカナイよ」。

 宿曜さんは厳かに告げたのでした。

 移動は二つのグループに分かれる事となり、先発組は宿将、宿業、宿直、宿善、それに元気な若者、宿健の五名。
 後発隊は宿学、宿曜、宿題、宿閉の四人で、宿題くんの様子が良くなってから出発という事になりました。
 先発隊出発の朝。別れを惜しみ再会を強く誓う一同の元に、一匹のぼら鯔がやって来て言うには、自分はかつてポンタのポン友だったと。途中まで背中に乗せて送って差し上げましょう、と親切にも申し出てくれたのです。ボランティア精神に溢れたいな鯔せ背な鯔さんだ、と背中に乗った一同は喜びの出発となったのでした。
 
 鯔と別れ、大潮から中潮小潮そして長潮若潮と繰り返す幾つもの潮汐を乗り越え、ヤドカリ達の長征は続きました。
見た事もない魚介類や海草群に怯んだ体験も計り知れません。数えてもその数は、彼ら全員の手足の合計、八掛ける五の四十本でも到底足りないほどだったのです。
 最も肝心なのが防災訓練。つまり危険に遭遇した際の防衛の陣形も定められていて、非常時に際した時、一同は即座に防衛陣を取ったのでした。緊急時に備えた防災対策、訓練ってとても大切だと思われますね。参考までに彼らの防衛陣形の二つだけを紹介しておきましょうね。
 魚麗の陣。即ち魚の群泳の型。号令一下、直線隊を崩し、各自が隊の前に進んだり後ろに下がったりして敵をこう撹乱するもの。降参ではなく撹乱です。
 魚鱗の陣。号令一下、魚の鱗のように放射線上に広がり、一斉に伏せる型。
 基本的には、敵と遭遇した時は岩陰に避難するのを第一としました。この方針『触らぬ神にたたりなし』はさわら鰆に遭遇した経験から学んだものでした。
 長い旅の中で子供たちの成長は著しく、途中で幾度もおヤド替えをしていったのですが、都合のいい事に南へ下れば下る程、大きな巻き貝のオヤドが見つかっていたのです。

 リーダーの宿将氏がつい終のすみか棲家の決定を下した時、幾星霜、もとい、幾潮汐の荒波をかい潜ったものでしょうか。
旅も終わりだ、ここに棲もうと、氏が大きな岩穴を指差した時、先発組一同の安堵感は並々ならぬものであったとか。ヤッタぞ、と青年に成長していた宿健さんは何度も手を突き上げ、第二の故郷だぞぉ、そう言って宿直くんと宿善くんは飛び跳ね、ここがニライカナイなのね、と宿曜さんは幾度も繰り返しました。海は紺青色、海草の背は高く、サンゴ群も今までと比べはるかに大きなものでした。
そこを彼らは最終の土地と定めたのでした。
 
 「何だろう? あれは」と、最初にそれを見つけたのは宿直くんです。近くまで行ってみようと宿善くんと話しているところに宿将氏と宿健さんがやってきて、そいつを観た宿健さんが言いました
「飛行機じゃないか、これは。空を飛ぶやつだぞ」
「空を飛ぶのがどうしてここにあるの?」と訊いた宿直くんに、飛行機に近付いて行った宿将さんが答えました。
「落ちてきたんだよ。戦闘機みたいだな。日の丸の印の上に銃撃の痕がある。ここらは昔、激しい戦場だったそうだ」
飛行機に触っていた二人の子ども、宿直くんと宿善くんでしたが、珍しかったのか機上に登って行き、しばらくして操縦席からビニール袋に包まれたものを持って降りてきたのです。宿将氏が開けると、走り書きしたような文字の紙片が出てきました。
『国破るとも山河あり 故郷よ 山よ川よ 永遠なれ 美しき瑞穂の国よとこ永しえ久に 父よ母よ お元気で   さようなら』
「遺書だな、これは」と言った宿将氏に子供達は次々に訊いたのです。

「遺書って? 」「死ぬ前に書き残すものさ。昔、多くの若者が戦場に駆り出された。そして死んだんだ」「何故戦ったの? 食べ物の為? 」「国を守る為って聞いた」「国って何、国を守るって? 」「国民の生命や財産や、文化とか伝統とか故郷とか、そんなものかな」「文化とか伝統とか故郷とかって、命を懸けて迄守るものなの? 何それ? 」「私達には理解が難しいものだ、説明もナ」
それまで黙って訊いていた青年、宿健さんは、そこで断言するように言ったのでした「僕は自身の命を守るな」
 その夜。昼間見た飛行機が再び話題となり、あれは特攻機だったと宿将氏が皆に説明したのです「爆弾積んで敵船に体当たりして、沈めるのが目的だ。敵を道連れに自分も死ぬのが目的だったから燃料も片道分しかなかった」
「敵を道連れに死ぬ? 海にそんな生き物いる? 」
 宿善くんの問いに、ウーンとしばらく考えてから宿将氏は答えました「道連れか、聞いた事はないな」
 怖いね、人間って。それが子供達の感想だったそうです。 

 自分達の為に約束準備されていたかのような南の楽園で、平穏な生活を続けていた彼らでした。一個のドラム缶に気づく、その日までは。
 そいつ、封印されたままの奇妙なドラム缶はあちこちがひし拉げ、錆付いていました。
「開けてみようじゃないか、折角見つけたんだし」
と、宿健さんが叩くと簡単に壊れたのです。中に入っていたものは、フルヘェイスのヘルメットとツナギ服にベルト。厚い手袋に長靴。そんなものが数セット。
 そそのかされるかのように、おヤドを外し、ヘルメットを被ってみた宿健さんです。
「おお、固いし軽い。視界もバツグンだ」
 言うが早いか、見る間にツナギ服に手袋、長靴と着けていき、最後にベルトを巻くとファツションショウのモデルみたいに一回転してみせたのでした。
「どうだ、完全防護の装備だぞ。やっぱりここはニライカナイの地だったんだ。新しい土地でこんなものが手に入るなんて。なんてラッキーなんだ」
 嬉しげにラッキーを繰り返す宿健さんにつられるように、みんなが自分に合うものをそれぞれ着衣していったのです。嬉しさの余り、宿将氏を中心に輪になって歌い、最後には踊り出す程でした。歌って? 勿論テーマソングのあの「ヤドカリの歌」です。この歌ほど自分達自身の事を表現している歌は他に無い、だから自分達の「シンボルソング」と自負できるんだと彼らは胸を張るのです。
 それ故に、嬉しい時だけてなく葬送などの悲しみの時だって、この歌を歌うんだそうです
では彼らに代わって歌いますね。ハイ、ミュージック。
   ♪ハサミはあるけど蟹じゃないヒゲもあるけどエビじゃない僕たちはヤドカリさ 十脚目と言われても八本足しかないんだよ 

      僕たちはヤドカリさ 自分にあったヤド探し次から次へとヤド変える 僕たちはヤドカリさ♪

 その時誰一人として気づく者はいませんでした、悦びの絶頂から悲しみのどん底に突き落とされる日が来る事を。
 体の異変を最初に訴えたのは二人の子供でした。痒みを訴え、手袋を外した宿善くんの手の痕にはヤケドのようなただ爛れに、吹き出物までができていたのです。
「ケ蟹ロ足イド腫だ、しまった。服を全部脱げ。ヘルメットもだッ」
 叫んだ宿将氏が子供達の着衣を奪うように剥ぎ取ると、体中が発疹で覆われて爛れ、赤く腫れた痕や黒ずんでいた箇所もあったのです。
 子供達の体に顕れた異常、その進行は恐ろしく早いものでした。体力を奪われ、二人の子供は横たわったまま喘ぎ、付き添う宿業さんには体をさすってやるしかすべ術が無いのでした。子供を 見かねて岩穴を出た宿将氏の後を宿健さんが追ってきました。うずくま蹲り、それから宿将氏はハサミで自身を突き刺すのではないかと思えるほど頭を抱え、絞り出すように呻きました
「不覚だった、一生の不覚。子供達を危険に晒すとはーー。想定外なぞと言えるものか、ワシが最大の用心を促すべきだったのだ。不肖、宿将、万死に値する不覚なり」
「あの服のこと? 一体どうしたというの? 」
 宿健さんが訊くと
「迂闊だった。もっともっと注意しておくべきだったのだ。ケ蟹ロ足イド種は服のせいだ。いや、ヘルメットも手袋も靴も放射能に汚染されていたヤツなんだ。それで放射線被曝をしてしまった」

「放射線被曝? それって一体、何?」
「以前聞いた事がある。あれは宇宙服と呼ばれた原子力発電所の中の作業服、タイベックだったのだ。放射能汚染した作業服は大量のドラム缶に詰められて海に廃棄されたとか。そいつだったんだ」

「蟹足種って火傷なんでしょ? どうして ?」
 知れば知る程絶望の底にまで落ちるしか無いかもしれない、それでも宿健さんは訊かずにいられませんでした。
「確かな事は判らない。だが子供達のあれは間違いなく外部被曝によるものだ。小さい生き物から先に異変は始まるのだよ。有明の海もそうだった。水俣病という水銀による中毒は小さな魚達に始まり猫や烏、そして人間へと濃縮されていったんだ」

「どうなるの? ぼく達」
 口をつぐ噤んだ宿将氏に、宿健さんは答えを迫りました。
「助からないと言うの? そんな。やっと新しい故郷を見つけ、魔法のドラム缶さえ見つけて大喜びしたのに。
ねぇ、もう一度ニライカナイ探しに行こう。そこで二人の病気を治そうよ」 
「もう遅いのだよ、悔しいが。先の戦争で原爆被爆して、随分経った今でも白血病で苦しむ人がいるそうだ。原爆症とは簡単に治せるものじゃないんだよ。それにあの子たちを連れて移動は難しい」
「なんて事だ。やっと約束の地、きれいな海を」
と、言いかけた宿健さんですが、その刹那、頭に激痛が走ったのでした。自分も同じ病魔が巣食ったのだ、そいつは間もなく全身にあくどく触手を展ばすのだろう、その事を彼自身がはっきりと思い知らされたのでした。  
 切れた碇が暗い深海に沈んでいく他に無いように、同じく底知れない絶望感に沈んでいく他無い二人の傍に、泣き腫らした目の宿業さんが立ち、黙ったまま首を横に振りました。どっちだ? との宿将氏の問いに、一緒だったと力無く答えたのでした。
「ワシが愚かだった。本当にすまん」と項垂れる宿将氏に
「缶を開けたのはボクだ」、宿健さんはわめ喚きました。
「いや、缶はいずれ壊れて開いたさ。どっちにせよ、ここは棲めない海だったのだ」
「どうする、僕達の命も危険なんでしょ。そうだ、後発組のみんなに報せなくちゃ。近所のみなさんにも、だ。危ない、って」と、宿健さんが立ち上がった時、
「それは二人に頼む。ワシには責任がある。人間達の所へ行かねばならない」
既に意を決したかの如く毅然と立ち、宿将氏は宣言するように続けました。
「人間達に伝えに行く。海を汚すな、ドラム缶を海に捨てるな。世界はキミ達だけのものじゃないとな。『故郷』といういい歌を持っている人間のことだ、解ってくれるだろう。待てよ、日本の今の総理は、ふるさと創生とやらを掲げた竹下ドンじゃなかったか。よし、そこから、だ」
「ふるさと創生って?」
「故郷を大切にしよう、という意味だと思う。どこか、島の名の付く出身だとも聞いた。海にも理解は深いだろう、絶対に聞いて貰うぞ。
 魚爛土崩(ぎょらんどほう)という言葉がある。魚が腐り、大地が崩れる時、国も亡ぶという意味だそうだ。ヤドカリも魚も滅び、海が消えゆく事態を見過ごす訳がないだろう」
「聞いてくれなかった時は?」
「瑞穂の国を滅ぼそうと思う日本人や政治家、まして総理なんていないさ。聞かない時は実力行使で脅すさ。脅しにせよ暴力はいけない事だから後で謝るさ。アイアムソウリ、とな。とにかくあの手この手を使う。時間はない、問題はどうやって行くかだ」
 八本の手足を振りかざす宿将氏の熱弁が途切れた時
「あの特攻機を修理してみようよ。ボク、手伝う」
 そう言った宿健さんに続いて宿業さんも口を開きました、決然と「燃料ならまかして。スラッジを私が集めるわ」。

 残された時間が少ないのを三人とも自覚していました。
 宿将氏と宿健さんの二人は憑かれたように飛行機の修理に全力を傾けましたが、怖いのは魚による不意の襲撃でした。それも石鯛やブダイなど強い歯を持つタイの襲撃に備えて、二人は交替で見張りをしながら作業を続けるしか無かったのです

「タイ来ないだろな? 」「うん」「タイ来んだろが? 」「大丈夫だ」。
 それはいつしか合言葉みたいになり、二人は残された時間に焦りながらも、時に笑いあい作業を進めていきました。

 ブルルン。ブルン。果たして三人の執念が乗り移ったかのようにプロペラが回った時、すかさず操縦席に飛び移ったのは宿健さんでした「僕が行くよ。これは、命を守る僕自身の闘いなんだ」「止めろ健。待て、年よりの役目だぞ」
と縋る宿将氏を振り切るようにエンジン回転は上げられ、一気に海底から飛び立って行ったのです。後にメモが漂い、それからゆっくりと落ちてきたのでした。
「笑ってゆくよ。地球を守る為に海底から飛び立ったどこかの宇宙戦艦みたいにカッコイイでしょ、ボク。
 さよなら。後から来るみんなによろしく」

 しかし。

 海底から飛び立った新鋭の宇宙戦艦に比べるまでもなく、宿健さんは旧式の戦闘機で雲の上に達して間もなく、困惑を覚えていました。いったい、どちらに向かえばいいのか、雲を掴むみたいに皆目見当が付かなかったからです。宿業さんが苦労して集めてくれたスラッジの燃料も無駄にはできません。焦りから混乱しかけていたその時。レシーバーに無線が飛び込んできたのです。
「タイコンデロガ」「え? なんだ? なんだって? 」
「タイコンデロガ、だ。真横だぞ、健」
 紛れもなく宿将氏の声でした。横にいつしか、星のマーク印をつけた戦闘機が並ぶように飛んでいるのです。宿健さんはレシーバーに耳をそばだてました。
「驚いたか、健。実は米軍空母タイコンデロガ号というやつが落としたという艦載機を、お前が立ったすぐ後で見つけたという訳さ。無傷でおまけに一メガトンの水素爆弾も積んでいたぞ。最新レーダー付きだからバッチリ誘導してやるからな。二人の暗号はどっちがいいか? タイコンダロナか、タイコンデロガか? ハハハ。聞こえるか、健」
 自信に溢れ、いかにも愉快そうな宿将氏の声がはっきりとレシーバーに届いてきたのでした。

 さて、その頃。後発組の一行は先発組を追って南下の途上にいました。

 宿題くんが元気を取り戻していたのです。ポンタさんの薬が効いたのか、或いは、島伝いに下りながら途中の磯でお日様にあたったのが良かったのかもわかりませんし、早く先発組の皆と会いたい、その気持ちが宿題くんの回復を早めたのかも知れません。彼らには仲間が一人加わっていました、あの磯巾着さんです。宿閉くんが背負って旅をしていたのです。替わろうか、とみんなが声をかけても替わる事なく背負い続けています。仲良しになっていたうえに、彼は一層たくましくなっているのでした。
「ねぇ、南の海ってどんな海?」
 そう訊いた宿題くんに、宿学氏が答えています
「コバルトブルー青とか、トロピカルブルー青とか、エメラルドグリーン緑とかいってな、今まで見たこともないような、それはそれは綺麗な色の美しい海なんだぞ、ビックリするさ」
「楽しみだなぁ、早くみんなとも会いたいなぁ」、 目を輝かせた宿題くんでした。
 そうしている間に日光浴を終え、宿閉くんが再び磯巾着さんを背負おうとしたその時、南方から爆音が聞こえてきて、銀アジの鱗みたいな銀翼が二機、姿を現したのです。
「ゼロ戦と、それに米空母艦載機のスカイホークじゃないか。どうしたことだ? 一体」と首を傾げた宿学氏です。
 二人の子ども、宿題くんと宿閉くんは背伸びして大きく手を振りました。
「南から来た飛行機さぁん。僕らは今から綺麗な南の海に行くんだよぉ、バイバーイ」
 一行に気づくべくもなく、二条の雲を残し、飛行機はみるみる北の空へと消えて行ったのでした。
    
 その後のヤドカリさん達の消息については誰も知らないのです。
 ポンタさんのお墓のことですが、誰となくそこに空き缶や空き瓶などを置くようになって、積もり積もって次第にゴミの山になったそうです。淀みとなったその場所には、漂流物が毎日積み重なっていって、まるでポンタさんの膨らんだお腹、もとい、大きな墓標になったそうなのです。

 漂流ゴミが積み重なる時には音が鳴るんですって、ポーンってね。ポンタさんの腹鼓に似たその音を聞くたびに海の生き物達は、これは海を汚すなという警告だって思うんだそうです。私達が海中のその警告音、ポンタさんの腹鼓のような音を聞けるわけではありませんが、海の日とか特別な日だけでなくかねてから、自然を守る心がけを持ち続けていたい、そう思ってもらえたら嬉しいです。

 「レクイエム」というお題で、語らせて貰いました私のお話は、これでおしまいです。
 皆さんの中で、何か質問とかありましたら応えられる範囲でお答えしましょうね。質問のある人、います? 
「え、あのフクシマ原発の水素爆発は、飛行機の二人のヤドカリさんがやったんじゃないかって? 」 
 ユニークだな、その質問。でもそれ、違うと思うな。あの心優しいヤドカリさん達が攻撃するなんて無いと強く言っておきましょう。脅すだけにする、その脅しも暴力じゃないか、暴力は嫌いだし、アイアムソウリって、二人は言ってたものね。
 フクシマ原発について、今ご質問が出ましたので一言付け加えさせて貰います。原子炉の溶解、メルトダウンに至った全電源喪失は想定外の大津波によるものと原因が当初は言われてました、が、一号機については津波前の地震動によるものとの説が有力になっています。このように原発事故の原因究明も確定していない上に、廃炉解体までの道筋年数や費用については見通しが立っていないというのが現状です。被曝された皆さんにしても今後の事を思えば「収束宣言」等言えるハズもない、と私の考えです。
 他に質問ありますか。
「水爆を積んだ飛行機事故について、知りたい、って? 」
 その戦闘機滑落事故はね、本当に一九六五年年に、南西諸島は沖永良部島の東の海上で起きた、実際の事故だったの。沖縄本島の北にある島よ。アメリカ戦艦タイコンデロガ号はベトナム戦争帰りでした。でも真相は明らかになってないの。戦闘機は回収されていないし、何より、事故は二十年以上も軍事機密にされていたのだから。 
「はい、何? 宇宙服の謎のドラム缶についても、知りたいって?」
 ええ、過去に十か国以上の国が実際に太平洋や大西洋の海にドラム缶に詰めた放射性廃棄物の投棄をしていたわ。
日本は太平洋に、一九六九年迄に一六六一本のドラム缶を投棄したの。ところが、米国の投棄ドラム缶の破損したものから高濃度のプルトニウムが見つかってね、反対の国際世論が沸き起こり、投棄できなくなったの。国際取り決めもできたわ。一九七五年発効のロンドン条約という項目で調べてみてみてね。   
「な―に? 日本がドラム缶を海中投棄した海域は、北緯三四度、東経一三九度の地点だから南西諸島の黒潮海流地域とは異なるはずだって?」  勉強好きなのね、キミ。宿題くんみたいでイイナ。
でもね、北から南へ流れる反転海流もあるの、黒潮再循環流って名前よ。東日本震災で難波した宮城県気仙沼市の漁船が一年半以上経って、奄美大島の隣の喜界島に漂着した例もあるのよ。喜界島では震災を忘れまいと浜にモニュメントとして破船を置く事にしたそうなの。どの海流に乗って漁船が着いたのかはわかっていないけど、海もまだ知られてない事は多くあるのよ。
世の中の出来事にしたってもそう。現在の科学技術で解明できていない事は数多いと思うのよ。だから、「絶対安全」だとか、「安全神話」とかいうものを簡単に信じ込む大人にはなって欲しくない、私はそうお願いしたいな。

時間が来たようですね。
完璧なまたは究極の或いは絶対の、安全保障を求め続けたヤドカリさん達のお話はこれでオシマイです。
最後まで聞いて下さって有難う様でした。
                   完

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