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カムイ伝 赤影 青影


 カムイと呼ばれると闇に浮かんだ目が発した「お前の命を守る為に」。別の方から「精神を守る為に」。
 誰だと問う間も無く眠りに引きずり込んだのは安定剤だ、恐らく。
 三つ口の病魔に憑(つ)かれて妻の命は尽きようとしていた。焦りが何度も車事故を引き寄せては「待て」の声に救われる。事故後では「待っておれば」と。
 カムイと呼びかける二つの影に自分も名づける。「待て」が赤影、もう一方を青影。
 傑作だゾ、俺はヤッパ天才だナと脱稿を渡す度にバカねと弛めていた口許を閉じ、新作『ジュリエット』を読み終える力も尽き、抜け殻を残して妻が逝ったのは早春。  
 金魚が吐き続ける同じ泡「寂しくなりましたね」に否と返す冷血漢にはなりきれず、金魚達のゴ憐憫に落ち込まされては草取りさえ憚(はばか)られ、市民運動からも引き籠った。

 声をかけてきたのは青影だ「呑み過ぎるな、壊すぞ」「何だ」「精神よ」「守ると言った」「確かに。だが守れない時は抹殺するのも役目だ」「その時は命を守る赤影がアンタと戦う」「どうかな」。
 シノビ笑いで青影が去る。投げられた手裏剣の如くに時が飛び、退職後に妻と楽しむつもりだったキャンピングカーで沖縄航路に乗船したのはサシバも南に渡る秋。

 デッキに立って暗い海に迂闊さを教えられる。偽名で乗船してたら知られる事なく黒潮の藻屑と消えられたのにと。車検証呈示の為だと、悔恨と諦念が渦となった時、待ての声に振り返り、煙突辺りに赤影のスカーフを見る。  
 翌朝にけしか嗾けてきたのは青影だ「持っているのだろ、会いたい本心を。行けよ」。
 
中途下船した島には愛人がいた。単身赴任で勤めた高校に非常勤で来た三十コ歳下の女、島の娘と言う語が似合う純心なコだった。呑んでいた夜に愛人になってあげるワと口走った。キスさえ求め無かったのは汚したくなかったから。転任で別れ四年前に連絡を絶った。病妻への仁義だった。後に父親から出産を報される、母子とも無事と。十年ぶりの家で姉が愛想良く教えてくれた。一月前に二人目を産みましてね、父も認めて入籍したばかりなんですよ、と。
 その夜、船に乗る。逃げ出す思いだったが、それでいいと聞こえたは青影か。
「二十年ぶりですか。ミンナが歓びますよ」とパーサーに声をかけられると、担任した瀧だった。おシノビなんだと答えたが届いた風でもなく、下船した途端に瀧から聞いたと携帯がきた。会いたくない方に属する男、徹だった、退学させたヤツだったから。だが迎えに来た彼に強く家に誘われる。

 子供を訊くと「いない、若い時のシシのセイかも」と笑って答えた後で「ヤメる俺に先生が呉れた、これだけは棄てなかった」と持ち出したのは古びた人権漫画だった。当人達には言うべくもないが「非行」生徒の擁護の位置に立ってきた。何日でも泊まれバという家を朝に抜け出す。力及ばずして退学処分から守れなかった男に甘えるなぞ恥じ入る。
 新婚時代を過ごした家は壊され、荒地となっていた。幼子三人を遊ばせた磯辺に立つと怒涛となって思い出が押し寄せた。ナマコを踏んで泣き出した子を妻と笑いあった事、子のウンチを笑顔の妻が洗った事、幼子が浜鍋に砂を入れて慌てた妻の顔など。怒涛が後悔のうねりへと変わって訪島を嬲り始めた時「ここだと思った先生、徹のラインで指名手配並みよ」と教え子に声をかけられる。その後も目立つ車は追っかけの的となる。葬儀に飛行機で来た友人、祷の知る所となり、ウチに泊まらないと付き合いをやめるゾと脅され、彼の家で昔の保護者や友人達と連夜の宴となった。
 留守番の昼、女がベッドに忍び込んできたのは四日目だったか。担任した元生徒だったか、部活でシゴイた生徒だったか判らぬまま、妖艶な女の柔肌に酔ったようなーー。

 連夜の宴で現実と幻覚の区別が怪しくなったその夜の船で帰ると決める。
 徹が出港迄仲間と歓送迎会をしてくれた。子供の事を聞いて悪かったなと妻との別れを話すと「そうだったのか」「まかせろ先生。トビッキリの女を見つけて送ってやるチバ」と肩を叩いてきた。「投げるなヨ、人生は長い」とのウインクに、学校を去る彼に送った言葉だと思い出す。

 見送りを固辞した港には一人の女が待っていた。「聞いたわ先生、気を落とさないでね」と励ました女は授業こそ無かったがカウンセリングで付き合った生徒だった。半年前に再婚して三人の子持ちになったという女、ルミに酒が軽口を叩かせた「来るのが半年遅かった」。女が笑った「体力残ってる? 先生。女盛りなのよ、教え子達は」。体力気力だヨオ、チバレよの大声に見送られて二等客室へ戻ると、瀧が一等個室に遷してくれ、「これしきで、成長と褒めて貰えますかね」と笑った。
 朝方、持ってきてくれたコーヒーを手にデッキに立つと佐多岬が見えた。

 妻と民宿を営むつもりで買った古民家の建つ港町、そこをエンゼルシャワーが照射した時、戻ってきたゾと口を突いて出た。二人で始めようなと言う語を胸に刻むとカムと響いた。赤いスカーフ続けて青いものが空に舞い、待っておれ持っておれの声と共に波に消えたようだ。が、変わり身いや空蝉(うつせみ)かも知れない、服だけを脱ぎ捨てる幻術。どっちでもいいと携帯を取り出す、反原発集会への参加を伝えよう。

 通話可能を報せるアンテナが立った。            終

                                2014年冬「全作家掌編小説」発表。 推奨作品に選出される

 本作品は フィクション創作作品です。念のため、おことわりしておきます。

 島への熱い憧憬、感謝を本作で伝えきれなかった事には忸怩たるものがあります。今後、精進の覚悟です

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