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 ナデジタ   

           

        

 

 

    不意に背中を触られた途端、闇の中から微(かす)かな声が届いてきた「誰じゃ」。声の主が解らぬまま、触ってきた肉の削(そ)げた手を握り返すと干からびた声が続いた「仲間ン衆(チュ)の声が聞こえんが、あの世(ユ)さ先に行ったんかぃの。頼みじゃ、祈りをバしちくり」。

   凝(こ)らした耳に届くのは隣からの吐息のみ。離した掌で額を拭(ぬぐ)うと、闇に向かって祈り口を発した。

   トォトガナシ トォトガナシ   モノマケコトマケ バ トリ除カレヨ

 トォトガナシと復唱してきた声が洩らす「何日経つかぃの、もう終いじゃろか」。

  遮(さえぎ)って声を張りあげる、悲嘆は断たねば。

   アマツカミクニツカミ ハライタマエヨ

 

「今戻ったが母さん(アンマ)」闇を切り裂いたのは息子の声だ。 

 ベッドからゆっくりと身を起こしてカーテンの隙間から覗くと、長靴に履き替えている顕正(けんせい)を西陽が浮かび上がらせていた。縁側の方を向いて顕正は確かめている、ハンガーに吊るされている仕事着の所在を。吊るしてあるのは父が休んだ証だ、と。間もなく、小屋から牛を引き出した顕正が門口で振り向いたのが見えた。牛の散歩に付き合ってくれないかと誘う素振りで待っている、だが。

 

  牛を曳(ひ)いた顕正は坂道を登っていく。赤い肌を見せている小山の正面で指図して、十米程の斜面を牛と一緒に駆け上っては降りる。二度、三度、五、七度。

 草原で顕正は、走る正信(まさのぶ)と出遭っている。牛の首を鍛えるために鼻綱を高く木に結び付けてから、顕正が正信に声をかける。二人の頭上を、新聞の切れ端が宙に浮かぶみたいに大きなマダラ蝶がゆったりと舞う。貴婦人オオゴマダラに見惚(みと)れた瞬間、逆光に射られて目を閉じた。

 

 「ご飯にするかいね」。覚醒させたのは妻の声だ。

 目を閉じたまま、潜りからあがった漁師(イソシャ)がするように深い呼吸を繰り返し、両手の指で強く頭を揉(も)み解(ほぐ)した。瞼も揉んでから見開き、首を回した。壁のカレンダーの絵が視界に入ってくる。闘牛写真の下の数字がくっきりと見えるのを確かめ、よしと言葉にすると乾きを覚えた。眠っている間に妻が置いてくれたらしい水を一息に飲むと、よしと再び口に出し、足取りを確かめながら居間に入っていった。

 食卓にいた顕正に「牛(トレウシ)散歩に行ってきたんか」と訊くと、答えはすぐに戻ってきた「うん」。

「正信と遇うたんか」

「いや(アラン)。正信は戻って来とらんが。合宿やチ。盆も無しで、練習漬けなんじゃと。アイツ凄い学校に行ったよなぁ」

言葉に羨望(せんぼう)が含まれると感じて、正常な感覚が戻った証拠かと思えた。

「じゃが、父さん(ジュウ)。正信は戸惑っちょるらしか。あんだけ肝(チム)の据わったヤツがよ」

「初めて親元を離れた訳じゃろし」

「いや(アラン)。寮では鹿児島弁が原則なんじゃチ」

「野球名門校じゃから全国から入部しとろうに、おかしかの」

「鹿児島弁は他県の人には解りにくかろう、じゃから仲間内のサインとして使えるから、チよ」。

フーンと漏らした生返事に大きな欠伸(あくび)が続き、顕正が訊(き)いてきた「マドロんどったんか、父さん(ジュウ)」

「あぁ、お前(ヌー)の散歩の夢のようじゃった。ところで何をさせた? 穴突きをさせてもいいド。牛(トレウシ)もしたがるやろ。じゃが、土は選べよ、岩は角をやるからな。それと足元には充分気をつけろ。〈小さい(イナサン)石なんド躓く(マツブリ)ユン〉からの」

と念を押したが、最後に加えた島の諺は顕正には繰り返し言っている。蹄(ひづめ)に小石が食い込んでないか、常に注意を払っておけと。    

 刺身に気付いたのは、焼酎で薬を飲もうとした時だ。

「エラブチ〈注。ブダイ〉だな、これ」

「そう。肝は小皿よ」と妻が答えたのと同時に箸を伸ばし、醤油で溶かした肝を刺身に付けて口に入れる。甘くコリコリとした食感が乾いた舌に滋養を与えてくれた気になった。うんめぇと洩(も)らして、交互に焼酎と刺身を口にいれ、コップを飲み干してから訊いた「どうした、これ」。

「活きが良かったでしょ。突いたばかりのを猛(たける)さんが持って来てくれたのよ」

「猛? あいつとは喧嘩しているハズ」。

怪訝(けげん)な顔だったのだろう、妻が笑った。

「何言うてんの。喧嘩していたのは私と結婚する前。ずっと昔の選挙の頃じゃないの」。

それには応えず、飯に味噌汁を掛けて流し込む。舌に付いていた甘い食感が胃に落ちたと思った途端、体から力が抜けていくのを覚えた。大きな釣り魚を逃が(バラ)した時に手応えが突然消えた感覚、否、それ以上の脱力感が体全体を麻痺させてくる。同時に頭を靄(もや)が覆う。

 

再びベッドに戻ると、居間からの会話が間延びして届いてきた。

「父さん(ジュウ)は今日休みじゃったんか」

「ああ。お前の卒業までは続けて欲しいチ思うとるが、無理はさせられん」

「心配いらんチ、母さん(アンマ)。今年から授業料が要らんようになったし、奨学金も借りられる。フェニックスも来た。悪い方ばっかりには行きよらんが」

「フェニックスと名付けたのかぃ」

「いや(アラン)。徹志叔父(ウジ)には未だ言うとらん」

「そうか。井上先生によろしく言うとってな。お前の張り合いを作ってくれたようなもんじゃからな」

「そう(アッシ)じゃ(ジャ)な(ガ)」

 二つの抑えた笑いが遠ざかっていく。

 

「悟、お前(ヌー)の夢は何か」、徹志が訊いてきたのは山道だ。

 弟の猛を連れて三人で鳥の落とし籠を見に行く途中。野草は枯れ、新北風(ミーニシ)と呼ぶ秋の始まりの風に打たれた木々が身構えているような中を歩く三人とも半ズボンだ。

「横綱級の闘牛(トレウシ)を持つ事よ」

「それはワンも同じじゃが。仕事の夢よ」

 口を大きく開け、喉チンコを見せて哲志が笑う。舌が真っ赤なのは、鳥モチを作る為に嚙んで捏(こ)ねていた赤(アー)粘土(ミチャ)とガジュマルの幹水のせいだ。

「高校出たら家(ヤー)の後継ぎかの。徹志、お前(ヌー)はどうするんか」

「島を出る」

「そうか。ヌーなら学問で身を立てられるかも知れん、勉強好きじゃからの」

「まだ判らんチ。じゃが、いつかは島に戻ってくるが」

「その頃にはワンは島一の闘牛(トレウシ)を持っとる」

「そうなっとっチくり。そしたらワンが勢子(せこ)をしてやるド」

タートリ(注。ツグミ鳥)を一羽ずつ袋に入れての帰り道。三人は大声で歌っている。

大和から下っチいちょる  赤胸てぃタートリ

白胸てぃタートリ タートリぬ おじや(ジョセクワヤ)が美味(ウマ)ンサー。

 

 べそをかいた半ズボンの猛が、赤い顔をして興奮している。方言撲滅運動の罰札〈ワンは犬です〉という札を首から下げさせられて、それを笑った仲間を小突いた。不意を突かれた相手が、ハゲッと島人が使う驚きの言葉を吐いたのを見逃さず、「お前(ヌー)も方言使ったが」と猛がからかって喧嘩になったらしい。母が拵(こしら)えてくれた好物、芋餅のテンプラを喰い、並んだ縁側で猛の機嫌が収まっていった頃、届いてきたのは父の島唄だ。

  島ぬ太(フテ)さや〇〇島 村ぐゎの清らさや亀(カム)津(ジ)村
  村ぐゎのはい散り処(ドゥ)や 検(キン)福(ブク)村
  検福 前原坊や 牛好きン人(チュ) 

  喰(か)ましゅる草や 選び刈りし
  味噌 塩(マシュ) 打ち砕で 切り噛まち

  太陽(ティダ)の上がる如(ぐと) 肉(シシ)ぐゎ盛らち
    太陽(ティダ)の下がる如(ぐと) 肉(シシ)くゎ垂らち

 

          【注。島唄〈前原(メーバル)口説(クドゥキ)〉意味

           島の大きいのは〇〇島 村のきれいなのは亀津村
           村で散りじりになっているのは検福村
           検福村の前原坊は牛が好きな人
           食べさせる草は選んで刈って
           それに味噌や塩を入れ 切って食べさせ
           牛は太陽が上がるように肉が盛りあがり
           太陽が沈むように肉が垂れていく】

 

 軽トラで会社に着く。出勤簿には三日前の印の横に〈十〉と出勤時が書き添えられていた。事務員の美保が淹(い)れてくれた茶を飲んでいると、社長に繋いでから受話器を渡してきた。甲高い声が威勢よく届いてくる。

「来てくれたか、悟よ。トラクターとグレーダを使えるようにしとってくれんか」 

「トラクターにグレーダやな」

「おう。できればオーガーも点検して欲しい。急がんが、な」

 受話器を置いて美保に訊いた「今年も秋ジャガをやるんだな」

「そう。まだまだ広げんなら、が今の口癖じゃ。生姜にお茶も考えているみたいよ、先は」

「みたいだな。ところでワンはまだクビにはなっとらんチ言うわけか」

「三人で続けてきた会社じゃもの。悟兄を同(ヅ)志(シ)チ思う取るんよ、社長は。それに社長以上に資格持っとるのはアンタじゃろ。農機整備士など持っちょっるから頼りにしとっとよ」

「長くやっとれば資格も取れるわぃ」、言い放って仕事にとりかかった。倉庫からトラクターを出して水洗いして拭いた後、油を注(た)してエンジンの調子を確かめながら、美保の言葉を思い返している。(三人じゃない、社長と俺(ワン)で会社は興(おこ)したんド。美保は社長の逮捕の後に入って来たはず)。

 整地用のグレーダも同様に点検を済ませ、頼まれた仕事を終えてショベルで倉庫と車庫の周りを片付けると、五時半が過ぎていた。

「遅く来て早くあがったら社長と同じかの」、帰り支度をしながら言うと「無理せんと、いつでも来てくれチ伝言じゃった。秋ジャガの耕地を広げるそうな。防風ネットの点検補修やら幾らでも仕事があるチよ」

「農業建設会社に名を改めた方が良くないか」

「それも考えてるみたい」

「そうか。オーガーは持って帰って点検する。古タイヤを貰って帰るから」。

 山積みになっている廃タイヤの中から五本をリフトで荷台に積みながら、思い出していたのは社長の酔った時の口癖だ。〈俺の物はお前の物、お前の物は俺のもの、嫁さん以外は、な〉。それは〈ナキャワキャ〉と呼ばれている島の助け合い精神を社長なりに解釈したもので、もう一つが〈我らは運命共同体〉というものだった。

 運転は慎重すぎるくらいに気をつける。体の異変はいつやってくるか解らないからだ。立ち寄ったスタンドで、なじみの店員が荷台のオーガーとタイヤを見て「悟兄、また闘牛(ウシオーシ)をやる気になったんかいね」と給油しながら不器用に笑顔を拵(こしら)えたのに「ワンじゃない。息子(カー)の遊(アシ)びよ」。そう答えると「遊びが大事じゃが」と、黄色い歯を見せてきた。

 家に顕正の姿は無く、牛もいなかった。急ぎ、オーガーを下ろして裏の空き地に運んで穴を掘った。手慣れたオーガーは一米(メートル)を超す穴を容易(たやす)く掘り下げてくれ、クレンチで引きずり下ろした太いタイヤを筵(むしろ)で覆う。突き場が完成するまで隠しておくつもりだ。顕正の喜ぶ顔が浮かんだ時、フフ、笑いが声となってしまい慌てて周りを見回している。

 

「足が疼(うず)くとじゃな」。闇の中から男の声が届き、カンテラの灯りが点いた。足の甲に手が添えられ「浮腫(むく)んどる、熱もあるようじゃ」。そう言うとカンテラの薄明かりの中、石を持った男の手が炒った黒蜥蜴(とかげ)を丹念にすり潰す。滲(にじ)み出た油っぽい体液にカンテラの油を混ぜると傷口に刷り込んできた。

「祓い口をやってやる。痛みは止まるぞ」。

 再び闇となった中、反響した声が響く。

「山三つに石九つ、汝の身は一つ。いかなるものぞ これやあるらん」。

 祓い口が繰り返される中、意識が遠のく。

 

 作業服に着替えて居間に行くと、妻がテレビに見入っていた。連日報道されているチリ銅山事故だ。自分の〈闇に閉じ込められる夢〉とこれは何か繋がりがあるのだろうか。それとも闇の夢は、鬱(うつ)と診断された自分の心の何かを顕しているのだろうか。病の原因も対処法も解らないところに置かれているのが今の自分だ。

 お茶を飲んで立ち上がると、ご飯はと妻が訊いてきたのにラーメン作ると答え、軽トラの横に顕正の自転車を見て、今日が休日と気づかされている。

 会社に着くと、倉庫から防風ネットを八本引っ張り出し、巻かれたままの上から高圧洗浄機で放水した。いずれは広げて補修点検しなければならないが、洗っておけば使いやすくなるはずだ。ラーメンを食った後、会社のクレーン車にクレンチとチェンソー、ワイヤー等を積んで車を走らせた。山裾、駐車した場所から十米程の所にスダ椎(しい)の手ごろな倒木があるのに目をつけていた。クレンチとクレーンを使えば一人で積み込める算段だった。玉掛けには自信がある。直径三十糎、長さ三米を超す倒木に大した傷みはない、牛の突きにも充分持ちこたえられるだろう。

 チェンソーで枝を払い終えたところに車が停まり、やってきたのは徹志だった。

「会社の車を見たもんで、もしかしたら悟かチ思うたら、そうじゃった。仕事か」。

あらん、と首を振ると

「牛(トレウシ)の突き棒にするヤツじゃな。それなら、ワンが手伝わん訳にはいかんじゃろ」

と、すぐにワイヤーとロープを運び始めた。的確で機敏な応援を得て、半時間近くで丸太をクレーン車に積み込み、固定したところで徹志がコーヒー缶を差し出した。

「一息しようか。棒立ても一緒にやろう」。

 徹志とは父親同士が兄弟で、同じ年の幼馴染だ。高校ではバッテリーを組んだ。コントロールと配給センスをお互いが評価して信頼し合っていたコンビだったように思う。

 あの頃ベンチで座ったのと同じ位置で、車の荷台に並んで腰かけると徹志が言った。

「牛(トレウシ)の事ではスマンかったノ。世話かけて」。

 徹志の牛を飼育し始めて二か月近くになっていた。

 その二月前の二千十年一月、米軍普天間基地移設先候補に島の名が突然浮上し、空港の仕事が来るぞと俄然張り切り出した社長から雇用の延長を依頼されて承諾している。

 三月に入り、息子が高校受験で強いられた緊張、それにも似た何かが自分にも伝染してきたのか。基地移設反対の署名呼びかけや反対集会への要請電話が頻繁にくるようになったのも同じ頃だ。

 眠れなくなったのが何時からだったか、記憶はない。

 

 徹志が申し訳なさそうな顔で、焼酎三本を下げてやってきたのも同じ三月。徹志は語った。

 退職後は島に戻って闘牛(ウシオーシ)をやると決め、沖縄に渡って三歳牛を買い付けて来た。飼料用キビ畑も捌(さば)くり済みで、子どものいない自分達の老後の楽しみにするつもりでいた。ところが母校から再任用の依頼が来て、断ったのだが引き受け手がいないと何度も頼まれて最後の恩返しするつもりになった訳さ。でも牛(トレウシ)を手放すには勿体ない。惚れ惚れする奴でよ、太い鎌(トガ)角(イ)に太い首。好戦的ないい目をしてるし、脚も大腿筋に弛(たる)みなど全く無い上に、頑丈そうな骨格をしてたのよ。手放したら二度と手に入らんチ思って世話してくれる人を探しとった。だが、これも引き受け手がおらん。困っているところに顕正と遇った。父親(ジュウ)が許せばと言ったので頼みにきた、と言う。合格の決まっていた顕正にその場で、部活はどうするかと訊くと野球はやらない、と前から決めていたらしい言葉を言い切った。

 牛を見てからの返事としたのだが、七百キロの鎌(ト)角(ガイ)を見た途端、顕正に世話させてみようとの気になる。

 無理をお願いするのじゃからと徹志の条件は良かった。牛小屋の改修費に月毎の電気水道代、配合飼料代などの必要経費は出す。小屋掃除と餌やり、散歩等やってくれる顕正には当然の世話賃も出すというもので、野球への未練を見せる事なく顕正は飼育にのめり込んでいった。

 一頭の闘牛(トレウシ)が家族のチームワークを作ってくれるかに思えた。妻が昼前に給餌して午後からのパートに出る。学校から戻った顕正が散歩、給餌に小屋掃除、自分は刈った砂糖黍や寝床用の茅(カヤ)やオガクズの運搬を手伝い、分担も順調に行くかと思えた矢先、大きな変調に襲われたのだった。

 四月に入り、反基地運動が急速に高まりを見せるようになっていた。が、反比例するかのように家族のチームワークから自分が脱落しそうになって行った。夜眠れずに朝は起きられない。食欲が無く当然ながら力がでない。時には眩暈(めまい)すら起る。深酒の習慣にも陥り、仕事への気力も萎えて時々休むようになっている。鬱病の診断が下された後、無理するな、やれる事をやってくれればいいと社長は支えてくれたが、休んだ分は減給された。その頃、妻は惣菜のパート勤めを増やしている。

 

 起きられるか、そろそろ行こうか。徹志の声に運転席で目覚めると、三本の木が新たに積み込まれていた。その添木を活かして頑丈な突き棒が立ち、五本のタイヤを二人がかりで棒に突き刺したところに顕正が牛と戻ってきた。

 目を輝かせた顕正が、行けと背を叩くや牛(トレウシ)はタイヤに向かって突進し、何度も角で突き上げた。初めての遊具に夢中になった子どものように牛は突き押しをやめない。顕正と徹志が笑みを浮かべ、二人の笑みは自分にも伝染してきたようだ、少しばかりだが。

 

「繋げよ、俺(ワン)にぃ」。

 ネックストサークルから徹志が叫ぶ。一点を追うワンアウト一塁。ランナーの顕正が走ったのが目の端に見えた時、正信が放った球は自慢の速球でなくスライダーだった。当てねばと球に喰らいついて体が泳ぐ。当たったボールは力なく、前進して捕った正信からセカンドそしてファーストへと送られ、ゲームセットの声が届く。

温厚な徹志、ピンチになっても表情を変えない奴が口を尖らせて詰め寄ってくる。

「なんだ、あの振りは。いいとこ無しじゃないか。思い切りのいいのが悟のバッティングじゃなかったか。監督に気合いを入れられて来い」

 監督の前に立つと、見た事の無い顔が睨(にら)んで怒鳴ってきた。異国語を聞いているような鹿児島弁で、理解できたのはスイングとゲッツーの二語のみだ。

        

 

 高校を卒業したのは昭和四十三年、西暦の千九百六十八年だ。

 島を出ると鹿児島市の紙器製造会社に就職した。七人の男性職人が寸法を決めて化粧箱等の紙函(かみかん)に折り目を付けたり裁断したものを、二十人程の女性従業員が内と外の仕切り目に併(あわ)せて組み立ていた。原紙を保管する大きなビルが建ったばかりだったから紙器製造の景気は良かったと思う。仕事は寸法決めと裁断の見習いから始まり、旧い職人さんが尺と寸で裁量決めをしていくのに最初は戸惑う。

 会社が家賃五千円を負担して借りてくれたアパートから歩いて通勤した。冷蔵庫は買えずじまいだったが倹約のために自炊生活を始めた。

 北部九州の国立大に進学していた徹志が初めて訪ねてきたのは八月に入って間もない頃だった。バイトは無いかと泊まった夜に言うので会社に頼んで雇って貰った。盆前は菓子箱の需要が増える時で初日に積み下ろしをやったのが、二日目に軽トラの助手で配達に行くと、三日目には一人で地図を片手に配達するようになっていた。不案内な町を地図一枚で配達をやってのける徹志の能力には驚かされもした。免許取っていて良かったよ、日当が三百円上がったからなと言う徹志に促されて夜間の自動車学校に通う事する。驚かされたのがもう一つだ。高校時代には語った事も無い政治の話を、ヤツが始めた事。

「六月によ。米軍ファントムが九大に墜落したのは知っているだろ」

ラジオで聞いた憶えはあったが詳しくは知らなかった。

「学生中心に十万人抗議集会があって、それに出たんだ」

「そうか」「だけじゃないぞ、原潜の放射能漏れ事故を知っているか」「いや」

「戦闘機墜落の一月前、佐世保港に入港していた原潜ソードフィッシュを追跡する放射能(モニタ)測定(リング)装置(ポスト)から通常の二十倍近い放射能が観測されたんド。科学技術庁は当初何と発表したチ思う。当日は風雨が強くて測ってないとか、数値はレーダー異常によるもの、と事実を隠蔽(いんぺい)したんだぞ。これはどういう意味だ。日米安保条約の本質は、日本が米国に隷属しているちゅう事だ」。

「隠蔽チバ何だ。隠すという意味か」

「そうだ。沖縄初の主席公選が秋にある。米国はありとあらゆる手を使って都合のいい主席を実現しようとするだろう、佐藤内閣と一緒になってな」

「じゃが、『沖縄の復帰なくして日本の戦後は終らない』と総理は言ったんだろ。復帰に熱心と違うんか」

「三年前だろ。その半年前に、俄(にわ)か勉強を始めた佐藤が『沖縄の人は日本語を話しているのか、それとも英語か』と側近に聞いたそうだ。そんなやつの本気度が信じられるか」。

 徹志はその後も盆と年末、彼岸前後とやってきてバイトをしていたが、野球で鍛えた体力と根っからの誠実さは評判が良く、紹介者として鼻が高かった。鹿児島でのバイトは帰島航路に乗るには都合が良かったのだろう。

予定の帰島を遅らせた事が一度ある。二年目だ。夏の甲子園の決勝、三沢と松山商の再試合迄を配達しながらのラジオ中継で楽しんだからだ。再試合が決まった十八日の夜は十八回延長の経過を実況みたいに詳しく語ってくれたのだが、試合と同じくらい印象に残ったのが甲子園の土だ。

「沖縄は外国になるから、検疫上、土の持ち帰りは出来ないらしい。初めて甲子園に招かれた十年位前か、沖縄球児は那覇港で土を捨てさせられたんだと」

 奴の常套語(じょうとうご)になっていた〈時代の潮流〉、そいつとかに初めて遭遇したのは、七年が過ぎようとしていた時だ。

 創業者に呼ばれ、いきなり切り出されたのが自分の解雇だった。日本全土を急襲した石油シヨック、それが引き起こした狂乱物価に最も直撃された紙函業界だった。「材料紙材が入らなくなり、整理縮小しなければ倒産になるんだ」との創業者の深刻な話に無理やり納得させられている。

 帰島の港に向かったのは四月の初め。

 土産品の買い物に立ち寄った店のテレビは選抜野球の表彰式をやっていたが、慣れ親しんでいた曲と異なるのが流されたのに不思議な気がした。それまでは曲名を知らなかったが〈意気を見よ 誉れも高く〉という誰もが馴染んでいるものだった。変更理由は後になって知る。以前の曲〈勇者は帰りぬ〉はユダヤ人を讃える歌なので、石油産出国のアラブ側を刺激しないために変えたという事だ、と。

 帰島の憂き目に遭った時、持っていたものは僅かの退職金に普通免許証のみで、帰る勇者とはほど遠い、敗残兵にも似た思いだった。

 船室で弁当を食い始めてすぐだ、黒糖酒の瓶を下げた男に一緒に呑まないかと声をかけられたのは。鹿児島弁とも異なるアクセントを最初奇妙に感じたが、男は馴れ馴れしかった。

「私は宮崎育ちで島二世になるんです。知ってますか、昭和二十四年ですよ、島より早く全国に先駆けて復帰署名運動を始めたのが宮崎在住の奄美連合青年団だったんです。父と母はそこで知り合い、翌年私は生まれたんですわ。早生まれですから同学年になりますね」。

 再び男の甲高い声を聞いたのは島の港近くの居酒屋で、「宮崎の奄美連合青年団」とのフレーズに振り向くと、そこにいた。こんなに早く会えるとは思っていませんでしたわと、隣の席に座ってきて語りかけてきた。仕事を訊かれ、家の手伝いだと答えてキビの話に移り、耕運機が不調でと言うと、用立てしましょうと返した翌日には畝(うね)立て器を付けた中古の耕運機を運んできた。遅れていた砕土に畝立て後の植え付けまで終える事が出来、相応の借り賃と焼酎を下げて訪ねた場で一緒にやらないかと誘われ、借り賃は入らないという気風(きっぷ)の良さに即諾し、会社で五人目の社員となっている。

 とは言え、建設会社とは名ばかりの工務店と名乗るのすら恥ずかしい程の何でも屋だった。他の三人が大工と左官と板金塗装を担当して、家の増改築に屋根工事から造園、排水整備に運搬作業も請け負っていた。運搬は飼料に肥料、農業基盤整備に伴う土石や砕土以外にも、軽貨物の運送から人を運ぶ白タクまでやった。営業の社長が継ぎ目なく小さな仕事をも捜してきたのは開放的な性格が島に溶け込みやすかったのかと思う。

 「お前(ヌー)のとこの宮崎の奄美青年連合団の社長ナ」と何人かに言われて、社長がそれを〈売り〉にしている事を知る。二年経った時には社長に次ぐ二番目になっていた。辞めた三人が担当していた専門職には臨時を宛がい、新たな若手の三人には電気と水道にガスの取り扱いを担当させて、自分は社長机の合鍵も持たされて、緊急時の印鑑使用をもまかされるようになっていた。

 

 「開発計画」と銘打った書類を社長机の中に見たのはその年、一九七六〈昭和五十一〉年の四月頃だった。

調査の概要。本島の立地条件。住民の地域開発意識。立地可能業種。と、続く見出しを捲(めく)ると、地質調査の概要が『基礎地盤の地耐力はきわめて大きいと判断される』と纏(まと)められ、住民意識の調査項には『島人の自然に対する執着は、土地に対する執着と同様に根強い。新しい開発をするよりは、今まで通りのんびり過ごしたいという無欲的意識の方が強いと思われる』とあり、立地可能業種の頁に石油備蓄基地と核燃料再処理工場の文字を見つけた時、急ぎ、引き出しを閉じている。

その夕刻、印鑑使用の報告をした際、計画書見たかと問われて、表紙だけ見えたと答えると「見なかった事にしてくれ。勿論口外無用。いずれ話す」と口止めをしてきた社長は、いつになく厳しい眼をしていた。

 それから間もなくして、美保が入社してきて経理事務の担当となり、社長机の鍵は返却となる。

 

 事務所の奥の畳の部屋。持ち込まれた黒板にチョークで書き殴られた文字。地権者、町議会、商工会、農協、漁協他の組合や各種団体等が白丸で囲まれて幾つもの風船玉みたいな、それらを背に社長が熱弁を揮(ふる)っている。

「中高卒の九十%が県外に出ていかざるをえないのが現実だ。高齢化と過疎化が急速に進む島の対策は、今や待った無しの状況にある」     

「再処理工場が強力な地盤の上にできれば、人口流出に歯止めがかかる。工場だけでなく関連施設も多数建つ。一軒から一人は関連工場に勤められる。莫大な建設費が地元に落ちるだけじゃなく、固定資産税が入って交付金も付く。十年後には町の予算額は二倍を超え、町民所得は五倍以上になるだろう。立派な道路が幾本も通り、文化や運動やレジャー等の施設が整う。ホテルが立ち、島外から人が来る。歓楽街もできて若者は大喜びだ。どうだ何か質問はないか」

「歓楽街チ言うンは、ワンが想像したもんでいいかい、社長」と、若い者が立って続けた「その最初の、核再処理工場とやらの工期と規模はどれくらいのものになるのかい」

「七年、初期投資でざっと五千億」

「ハッゲエ。で、ウチの会社は小さいと言っては社長に申しわけないが、こんな大計画のどこで何をやることになるのかいね」

「それは今からじゃ。島口に『一歩(チッシャ)の遅れや十歩(トッシャ)の遅れ』チ言うのがあるだろ。最初が肝心チいう意味じゃ。乗り遅れこそ許されん」。

島の諺が社長の口から出た意外さに全員が白い歯を見せた。が、それは一瞬の事となる。

「この放射能再処理場計画〈待った無し〉プランに社の命運をかけるつもりだ。だが、原子力だと聞いただけで危険だとか汚染だとの反対運動が起こる可能性は充分予想される。当面は極秘だ、家族にも勿論。この計画推進に賛成できない者は退社も止む無しと考えるが、どうかね」

 皆の口が再び閉じられた時、立ち上がったのが美保だ。

「皆が付いて行くというのは理解しただろうね、社長。でも、全国の公害反対運動の勢いを見ても解るだろう、この放射能再処理の先頭に立つというならば汚れ水を飲んで反対を蹴散らかしても突進する、言い方を換えれば、危ない橋を渡らにゃならん場合も出てくるんじゃないかネ。そんな時、ヘタなタレコミから一網打尽になった日には会社は終りじゃろ? そこで提案じゃ。そうならんよう保険をかける。つまり、会社存続の為にこの計画から一人は外しておき、今後も一切知らさない。どうかね。そして、適任者としたら悟兄しかいない」

と、美保が自分を指差した時、これは二人の筋書きじゃないかと脳裏をよぎった。が、「外すのか、一の相棒をか、ウーン」と、への字に唇を結び、腕を組んで天井を見あげた社長の演技と思えない顔つきを見て疑念は消えている。 

「よし、それで行く。悟兄には外れて貰う。但し状況によっては方針変更もある。理解してくれ。くれぐれも極秘だ、他言無用だぞ」

そうして。敷地内の離れた処に、十日も経たずしてプレハブが建つ。三畳と六畳二間の建家で、三畳の方には流し場も置かれた作りだったが、二間は仕切られて出入り口は別になっていた。外には便所が置かれ、常時の宿直は自分が担当する事になった。そして六畳で会議がある時は、筒抜けになるので用を作って外出した。宿直を必要としたのは重要な何かが隣に置かれていたのか、或いは、計画から外した自分に疎外感を持たせない為だったかは解らない。

 「どんな女(ウナグ)なのかい、あれ」、美保の事を猛が訊いてきた。

 「宮崎から社長が連れてきた。嫁じゃない」

「流行(はや)りの、愛人というやつか」

「そうでもないみたいじゃ。ベタベタした様子は見た事がない」

「なら、悟兄(ニィ)が貰う気はないのかい」

「愛想がないのは苦手じゃ。ヘラヘラも好かんがの」

「宿直を置くチ、変な会社じゃの。何か新しい事でもやろうとしているのか」

「解らん」

「得体が知れんのう」。

 猛に不審がられる始末だったが、例の計画について自分が訊かなかった以上、何も解らなかった。

 しかし。その計画が大地震となって島中を揺るがすのに時間を要しなかった。海が一気に引いて隠れていた海底を曝(さら)け出すように、津波の役を果たしたのが地元新聞だった。秋口のある日、核燃料再処理工場計画が新聞スクープ記事として白日に曝されるや、島は大騒動となる。

 日を置かずに反対のビラがまかれ、署名が始まったとも、専門家が呼ばれての講演会が連続してあったとも聞いた。

「反対の町民会議が結成されるチよ。行ってみらんね、悟兄。行けば様子が判るじゃろうし、あんたは色付きだと思われとらんじゃろうからどうかね」と美保が促がしてきた。

 大群衆で騒然とした会場に着くなり「偵察じゃなかろうね、悟兄(ニィ)」の声にたじろぐが、猛だった。眼が笑っていた。その眼には「当たり前じゃ」と平然と返している。

 顔色を変えたのは社長だ。手渡した決議文の『原発の恩恵など全然受ける事のない島に、汚物持ち込みなど絶対許さない。我々は無知蒙昧(もうまい)の民ではない、かけがえのない海や空を金に引き換えるような拝金亡者でもないし、ましてや権力の脅しにすぐにまいるような臆病者の集まりでもない』」〈注一〉を読みながら、顔を紅潮させていった社長だが〈開発案撤回まで断固戦う〉の最後まで読み終えて、「復帰運動をしのぐ戦いだと」と口にした時の言葉は震え、顔色は赤を通り越して青く変色していた。

 

「〈待った無し〉計画から撤退する腹を決めたらしいよ、社長」と、美保から聞かされたのはその二か月後くらいだったか。県議会で総務委員会が反対陳情を採択した、とのニュースが出てすぐの事だったと思う。

 そうして、社長は角の折れた闘牛(トレウシ)になったかに思えた。

 

 だがしかし。

「悟兄よ、牛をやろうチ思うとるんじゃが、どう思う」。

社長が前触れもなく言ってきたのは、宿直業を解かれて家に戻って何か月もしない頃だ。

「闘牛(ウシオーシ)な」

「おう。じゃがお前が賛成してくれんと進められん」

「牛飼いは大変じゃぞ。本気な」

「賛成してくれたらお前が専任じゃ。そして牛が来たらよ、宿直復活じゃ」。

 闘牛の事を別の島口方言で〈慰み(ナグサミ)〉ともいう。例の計画断念で落ち込んだかに見えた社長の気分転換にでもなればと賛成し、二人で牛主や仲買人(バクロウ)を訪ね、試合も勿論観に行った。角の特徴、首と頭、体格に脚腰の見方から山牛と使役牛の違い、強い牛(トレウシ)に必要な根性、粘りに覇気、戦闘意欲の見分け方。野球にも攻守の得意があるのと同様に牛も闘い方に個性がある事等を社長に教えていった。

 買う時は相談してから決めると言っていた社長だが聞かされたのは「決めてきたぞ、三日後に来る」。それも一頭でなく二頭というもので、突貫工事で牛舎を増築した。二頭とも三歳牛で、鎌型角のトガイ牛と、ヒラと呼ばれる横開き気味に伸びた角の牛だった。

「鎌(ト)角(ガイ)一頭のつもりじゃったが高いと言うたらヒラを付けてくれたんじゃ。左目をやられているが、カマセ牛(注。練習用)で使えるか」と、ヒラ角牛を指差した。しかし。片目を負傷したボクサーなら死角を攻撃させないよう必ず反対側へと廻って戦う。ヒラ牛も右へ廻る癖ができていると考えた。癖を持った牛をカマセ牛にするのには疑問が湧いた。それでも社長は意欲的で、二頭に早々に名を付けている。鎌(ト)角(ガイ)が〈暴れん棒将軍〉、ヒラ角は最初が〈ヒラ〉で次に〈石松〉に変わったが、強そうな方がいいという事で、〈ガッツ石松〉になった。

 自分一人の時の散歩は将軍一頭だけしか連れ出せない。すると〈石松〉が何度も啼いて、追い縋(すが)る様子を見せるものだから、遅れて若手が連れてくる事になった。

 山腹の土手で穴掘り練習をさせた後、鼻綱をつけたまま二頭を組ませる。本来、かませ牛は本命牛に自信を着けさす為の牛として扱うのだが、〈石松〉は喜んで組み合い、離そうとしてもやりたがる持久戦タイプで、逆に〈将軍〉は太い角での〈突き(ワリ)〉を得意とする速攻型だった。

 練習場に他の牛が来れば進んで組ませた。練習(スパー)試合(リング)の中で、牛も勢子も特技特徴を知って行くのだ。

〈将軍〉のデビュー戦は四歳になる少し前でミニ軽量級。畜産会社所有で沖縄から移籍の〈沙織(さおり)〉号が相手と決まる。黒褐色牛の沙織も初戦で、タレント歌手名のチャラけた相手なんて将軍は速攻で軽く片づけるだろうと思った。

 先に入場していた天(タッ)角(チュー)(注。天に伸びた角)牛の沙織号は横腹を見せて悠然と待機していた。しかし交角して始まるや首を引き、勢いよく〈突き(ワリ)〉を打って来た。沙織の天角(タッチュー)が将軍の角の根元に当たってバキンという鈍い音が立った。力まかせに殴りつけるような、重い〈ハンマー突き(ワリ)〉を食い止めようと将軍はすぐに頭を相手に押し付けて交角させる。相手の突きを封じ込める〈角掛(つのか)け〉という技であるが、沙織も押し込ませまいと態勢を低くして四脚に力を入れて踏ん張る。将軍は左右に体を揺らしては沙織の重心を崩し、その間に〈突き(ワリ)〉を何発も相手の眉間に打ち込んでゆく。反動をつけて重い〈突き(ワリ)〉を打ち込んだ時、沙織の天(タッ)角(チュウ)がカウンターになった。ガギッ、ゴキッとした鈍い音の連続の後、グェッと洩らした将軍は再び〈掛け〉に持ち込み、太い角で相手の頭をねじ上げようと力をいれる。させまいと沙織も反対方向に力をいれ、角のすれ合う音、焦げる匂いが立ち上る。力を振り絞っている将軍の腹が大きく波打つ。「

 おうりやっ。それっ、そうれっ」と、沙織の勢子(せこ)が途切れ無く嗾(けしか)けているのは向うも限界が近いとみているからだ。

 今こそ将軍を得意の速攻、腹取り(注。横から腹を突く決め技)で決着させよう、と背中を叩いて合図を入れようと添えていた手を離した瞬間、将軍は素早く横に跳んだ。が、しかし。一気に反転すると一目散に後方へ疾走し始めている。敵(かな)わぬと覚(さと)った必死の敗走だった。 

 懸命になって将軍を追いかけた、客席に跳びこませない為だ。会社の若手も前方から飛び込んでくる。彼らは叫びながら後方を指差し、観客は立って大笑いをしている。振り返って見たのは、同じ様に脇目も振らず反対へと疾走する沙織号だった。

同時敗走という九分間の引き分け試合となったその夜。牛舎に戻って見たのは棒を持って将軍を罵(ののし)っている社長だ。無様(ぶざま)な、という言葉が聞こえた時、怒りに震えて社長の前に立っている。「何のつもりか、社長」

「叩くなら俺(ワン)を叩け。勝てなかったのは俺(ワン)の責任だ」

雇い主を前に、怒りを鎮めるのは叶わなくなっていた。

「闘うのは牡の本能じゃ、勢子の為でも牛主の為でもない。精一杯挑んで敵(かな)わぬと思い知らされた時に、逃げなければどうなる、怒り狂った相手にただヤラれるだけよ。だから必死になって一目散に逃げるんド。

怯(おび)えを知った牛をこれ以上怯えさせてどうなる。励ましながら弱点の克服をして自信をつけさす事じゃないのか。でなきゃいっそ廃牛(注。殺処分)よ。俺(ワン)の言う事が正しいかどうか決めるのは社長じゃ。間違いというなら降りる」

両手で手を握ってきて社長が言った。

「お前の言う通りじゃ。任せるといった以上任せるのが筋じゃ。すまん、これからも頼む」

「なら、社長よ。将軍の慰労会を二人でやろう今から。ビールを一ケース頼む。冷え過ぎはだめだよ、将軍が腹を壊すといけんからな」。そう言って、手を握り返している。

 素面(しらふ)の時に飲み込んだ言葉は、酒が進んでから出した。「覚えとって欲しいんじゃがノ、社長。闘牛(トゥレウシ)試合ではナ、勝った時は牛の手柄で、負け試合は飼い主の責任チ言われとるんド。組み合わせは飼い主が承認した訳じゃからな」

 半眼の社長が言った「解った。肝に染めとこう」。

 島口では〈チム〉と発音するところを〈きも〉と言った社長だったが、その言葉には安堵している。

試合後の将軍を休養させている間にも石松は散歩をせがんだ。散歩の途中での練習(スパー)試合(リング)も好んでやった。デビューさせてみようと社長が三か月後の試合を決めてきた時、目のハンディがあるからと乗り気ではなかったのだが、石松の公式試合を見てみたいと思ってからはトレーニングに励んだ。

 八百キロを超していた石松は軽量級デビューで、相手は将軍と同じ鎌(ト)角(ガイ)型の、五歳にして二戦二勝の対戦成績を持つ〈ももえちゃん〉号だった。引退を惜しんだ人気歌手の名からつけたものらしい。ウチの相手はカワイコちゃんばかりやな、と社長は笑っていた。

 いったい、〈ありさ〉号とか〈みかちゃん〉とか女の名前の牛は珍しくはないが、ももえちゃんも立派な睾丸をぶら下げた持ち主にして二勝とも三分以内で下して、〈花形牛〉と格付けされた新進気鋭の速効型牛だった。

開始するや石松の押しに負けじと押し返して、〈突き(ワリ)〉も互角に打ち返してきた。横に回り込んでの腹取りを何度もしかけようともしてきた、が、石松の横に伸びたヒラ角が妨げた。五分が過ぎた頃だ、ももえちゃんの舌が伸びた、疲れた証拠だ。行けっと勢いよく背中を手で叩いて後ろに飛び下がると、察した石松は素早く右からの腹取りに動き、相手に防御をとらせる暇を与えず柵の方へ押し込む。柵際まで押し込まれながら、かろうじて腹取りから抜け出したももえちゃんは耐え切れずに柵沿いに逃走を始めている。

 大抵、怒り狂った勝者は制止されるまで敗者を追いかけるのだが石松はしなかった。闘う気があるなら向かって来い、そんな闘魂を見せつけるように動かずに見送っていた。その勇者ぶりに勝利を確信した俺は、ももえちゃんにプレイバックももえ、と呼びかけようとして、喉元迄出かけた言葉を呑み込んでいる。余分の観客サービスは真剣に闘った彼女、否、彼に失礼だと対戦勢子役として思い直したからだ。追って来ないと見て取ったももえちゃんのゆっくりとなった走りに白旗が挙がって、石松のデビュー戦勝利が決まっている。

 戦勝祝いの席で、社長が真っ赤な顔で繰り返した「石松は米(こめ)櫃(びつ)じゃ」。「米櫃チ何よ」「相撲界で部屋を儲けさせてくれる関取のことよ。社長、今日は儲けたんじゃろよ」など大声と哄笑(こうしょう)が飛び交う中、社長の破顔も朝方近くまで絶えることは無かった。

 ところが。一月も経たないうちに石松は売られて行く。

何日か前に社長に訊かれた「石松は全島一を目指せる器かいの」「中量級横綱には成れても全島一はどうかな。ハンディがあるし、体格もそこまで行かんじゃろう」

「なら手放していいか。是非欲しいと言う人がいるんじゃ。俺も全島一クラスの牛が欲しいし」。

 考えた末答えた「社長の思う通りでいいんじゃないか」。

 無差別級の横綱、全島一牛を持ちたいのは牛主全ての夢だ、仕方がない、と思った。

買い主の牛舎を訪ねた時に石松はいなかった。沖縄に出したと牛主が申訳無さそうに言った。試合で見せた根性に惚れたと高値を積まれてな、との言葉の中にトレードという語があったか憶えていない。

将軍の二戦目はそれから五か月後。軽量級で沙織を破ったという〈南乃海〉号で、ヒラ角で四歳のパンダ牛(白黒牛)だった。鎌(ト)角(ガイ)での鋭く重い〈眉間(マキ)突き(ワリ)〉を繰り返した将軍はパンダ牛の白い眉間を赤く染め上げて七分間を闘い、腹取りの押し込みで初勝利をあげている。

 

「悟よ、時は来たれりじゃ、大勝負じゃ」。

〈大勝負〉と大層な言葉で切り出してきた時、社長は興奮を隠さなかった、否、隠せなかったのだろう。それは将軍や石松を送り出したものとは全く異質の闘いへの出陣、社長の言葉で「会社の命運がかかる」闘争となる。国政選挙に、今まで会社が推してきた現職に対抗馬が出るとの話だった。そうして、牛から馬へ乗り換えて、社長は十年に及ぶ政争の死闘を血眼になって走り続けていく事となる。対抗馬は本島出身の大物で、全国に百を超す介護ホームを展開中の立志伝中の男で現内閣と対立する大派閥が推薦して、大臣クラスの国会議員や有名タレントが多数応援にくるとの前評判すら広まっていた。

「社員とその親族で、敵陣側につきそうな者を炙(あぶ)り出せ」との社長の最初の指示に、二人の社員が辞めて行った。

「親族以外の、中立で口が固い男を雇え。半月契約の二十人」が二番目の指示。それには同窓生と野球仲間を捜したが、告示一週間前には中の半数に契約満了で辞めて貰った。去った半分とは相手に付く事を意味し、厳しい選挙が予想された。身内で敵陣に付いた筆頭格の猛が吼(ほ)えてきた。

「悟兄(ニィ)、兄は奄(ア)美(マ)群島(シ)振興(ン)特別措置法がなければ島は立ち行かんチ言うが、アマシンの七割は本土の事業者に搾(と)られてるんぞ。アマシン漬けになってる限り、島はいつまでも取り残されたままになるのが解らんか」。

檄(げき)を飛ばし続けたのは社長だ。

「島に老人施設と託児所を大量に作って老託一体で長寿と子宝の島にするという大ボラに目眩(くら)まされて、仕事が増えると読み違えた族(ヤカラ)がいるのよ。負けた族が逃げ出した日こそ、ウチも孫請けから子へ格があがる時よ」との言葉に、建設業界にも陣取りがあると強く思い知らされる。

 完全目隠しをした裏選対所と幾つかの見張り小屋作りから始め、牛舎には三頭の山羊が入った。立て看板(カン)にポスターを貼って立てに行く。ビラ入れしながら、何か御用はと訊いて廻る。政治への注文から壊れた電球の取替えまで何でも屋の御用聞きだ。得た感触を美保に報告し、彼女は住宅地図で支持者塗りをしていた筈だが見た事は無い。地図の入った社長机の合鍵は彼女が持つようになっていた。 

 三頭の山羊は刺身と鍋に消えた。名の通り接待のスケープゴートになった訳だ。家での屠殺処分も認められていたが、浜での屠殺と血抜き、炙(あぶ)った後で湯に漬けて毛抜きをするまでの下拵えは任せて、自分は調理を担当した。刺身はネギを塗(まぶ)し、ゴマ油に醤油をかけて和辛子を添えて出す。骨付き肉はアクを取りながら水から三時間ほど煮込み、冬瓜(シブリ)とネギを加えて味噌か塩で味を調える。匂いが気になる客には蓬(よもぎ)の葉を添えた。肉と野菜炒めには血を味付けに用いたのが好まれて、三頭は骨のみを残して健啖家の腹に収められていった。

 選挙期間中、山羊の匂いが身体に沁みついて取れなかったのには弱ったが我慢するしかなかった。独特の臭気は自分だけかと思っていたが、後にマスコミかなんかで〈山羊汁選挙〉という言葉を聞いた時、自分だけでなくどこも似たような事をやっているんだ、とホッとした気になった記憶がある。闇の中での配達もやった。社長が明示した家に焼酎を配って回り、灯りの消えた家に敵のビラが入っていた時は持ち帰った。ポスターの剥(は)がし合いが始まると深夜の見回りも任務となった。

「ガンガン飲ませて寝返りそうな奴やスパイを探し出せ、お前の眼力が頼みじゃ、悟」と言った社長に「何票かい」と訊くと、「確実の二百五十」と真顔が答えている。

 公示に入ると事前投票への送り迎えも加わり、日に十人ほどを投票所から連れ帰った後には会社で接待をして、菓子折りを持たせて帰していた。接待役の美保に「毒マンジュウの味はどうなんかいね」と冗談めかして訊いたら「ウマイに決まっちょる」。ウインクが返ってきている。

 選挙は僅差で勝ったが町内票の総数では負け、それは翌年の町長選挙でこちらの推した現職の敗北として見せつけられる。新町長の当選演説「私の任期の最初の二年は干されていた業者に仕事をさせる」に社長は顔色を失った。が、皮肉というか天の僥倖(ぎょうこう)というか、後に県の行政指導が入って救われる事となる。島を二分した政争のシワ寄せは将軍にもやってきていた。対戦相手が見つかり辛(つら)くなり、三年間で一勝一敗の二戦しかできなかった。    

 

 再対決となった次の国政選挙では、山羊達のみが臨時雇用となり、彼らもまた殊勝に運命を受け入れると前任同様に生贄(いけにえ)となって客の胃袋に消えて行った。焼酎配達と事前投票の送迎は若手にやらせ、社長が頼んできたのは〈打ち込み〉、つまり現金買収だった。前回プラス五十がノルマだと言った社長は肩に手を廻してきては繰り返した「我(ワン)らは運命共同体じゃが。頼むぞ、悟」。

 二人で廻って、不在の家には現金(ジツダン)入り紙袋を置き去りにして戻ったりした。その後で、コンパネ越しに社長の電話する潜めた声が届いた。「寄ったけども不在じゃったが。紙袋の忘れ物な、もう要らないものじゃからそっちで適当に処分してくれんな」。電話を置く音に続いて、よしとか、確実との独り言が聞こえたりもした。

「ハンディはいくらだ。何? 解った」。ハンディという語が聞こえるようになったのは投票数日前だ。

投票日の朝は若手を一斉に投票所に送り込んだ。

 中の一人に未記入の投票用紙を持ち帰らせ、会社で書いたものを持たせて未記入の用紙を持ち帰らせる。裏で言う〈たらい回し〉というやつで、二十名ほどを運んだ。

国政選挙で投票率九十パーセントと、鎬(しのぎ)を削り合った結果、前より差を広げている。

知り合いの有力者に「お前(ヌー)ンとこの社長は頭(ハマチ)がいい。選挙も勝つわ、こっちもたんまり懐に入ったチ話よ」と、親指と人差し指で丸印を示された直後だ、公選法違反容疑で逮捕されたのは。五十人を超した被疑者の中で、買収行為が特定されて起訴された事案は自分が二件で社長が三件だった。法を犯しても迷惑は広げない、それが決まり事だった。結果、二人とも罰金と公民権停止の判決を受ける。

 

「しばらく内地に出てみるか悟よ、ホトボリが冷める迄だ」との社長の提案に従う事にした。

闘牛の試合では終ればそれっきりだ、遺恨など残るべくもない。比べて自分には禍根、身内には遺恨すら残す争いからスッポリ抜けたい、そんな思いが離島を決めさせた。

 社長が紹介してくれた燻蒸(くんじょう)会社は博多湾の近くにあった。九大が近くにあり、前に徹志が熱く話してくれた戦闘機墜落事故だけでなく甲子園の土の話も思い出したのは、それと関わる検疫業務に就く事になったからだと思う。

植物検疫法で定められた燻蒸処理を施す仕事で、臭化メチルや青酸ガスを使い、飼料はサイロ、外材は本船か陸揚げされた木材団地、輸入果実は倉庫でガスマスクを着けてやった。植物検疫作業燻蒸作業責任者の資格を取った翌年には転勤となり、鹿児島新港の近くに部屋を借りて住んだ。

 仕事で会うのは事業先の担当者、植防検疫官、バイトにくる学生だけで女とは無縁のまま四十を過ぎていた。

アカヒゲと出遭ったのは現場近くにできた弁当屋だ。昼の混む時間だったが注文を素早く復唱して敏捷(びんしょう)に動く姿、澄んだ声とどんぐり眼の人懐こい笑顔に魅かれた。島の名鳥アカヒゲの名をこっそり女に付けた時、一目惚れを自覚した。バイト学生達から注文を引き受けて弁当買いに行くのが楽しみになった。

夜警用の弁当を買いに出たその夕方、女の方から声をかけて来た「いつも有り難うございます、近いんですか」。

仕事だと燻蒸の意味を簡単に説明し、今日は詰所で夜警だと言うと「夏は日が沈むのも遅いから退屈でしょう」との言葉に、退屈しのぎに付き合ってあげましょうかと続くのを一瞬期待した。が「釣りはされないのかと。警備だからダメか」だった。「そんな事はないさ」と返すと「港内で釣っている人を見ますよ、今は○○とかが釣れるみたい」と言ったようだが、聞き取れなかったので問い直した。それに「キス」と返って来たのだが、スと丸めた唇は可愛く、微(かす)かに赤らんだ頬を見て独身だと確信した。   

 釣り場に立ち寄った女に、クーラーからキスを十匹ほどくれてやった時に浮かべた片笑窪も可愛く、笑窪が見たくなると燻蒸したてのパインやバナナを持って行った。そうして誘いに付き合ってくれるまでになったが、デイトと呼ぶような洒落たものでなく、場所も二人の住まいに近い居酒屋か学生食堂みたいなところでの食事だった。アカヒゲが八つ下の三十四と知る。話題を持たない自分は仕事の話しかできなかった。夏の日射に外材燻蒸は肌が焼けるのでサンオイル液を塗るようにした事。南洋からの外材に付いていたサソリを見た事、木材団地に張った天幕の中に入り込んだ犬の死骸も見た事など、自分でも面白くないと思う話をどんぐり眼は興味深げに聴いていた。

 アカヒゲ、みよ子が異変を指摘してきた時、四十三になっていたから一九九二年だ。

「お銚子が震えてるわ、言葉も変よ。酔ってるというより薬でラリっているみたい」。

自分では変だと思わなかったが、先輩達を観察していると大して飲んでないうちから足を掬(すく)われている様子なのだ。間もなくみよ子が教えてくれた。使用している燻蒸薬の臭化メチルはモントリオール国際環境会議議定書で削減が既に決定していて、三年前に発効しているという事を。

 今度は国際潮流か。環境問題とかいう課題が突きつけられて唖然(あぜん)とするしかない自分に、みよ子が訊いてきた「メチル薬剤とかの廃止はまだ先みたいだけど、どうするの」。

先の代替薬剤など一介の作業員に解りようもないだろうし、みよ子が訊いてきたのは唯一判断できる転職の事だろうと考えた。潮流に吞み込まれようとしている今、自分にできるのは転業しかなかった。島の社長に電話で離職の相談をすると、いつでも帰ってこいとの返事だった。

 しかし、別の課題が残っていた。帰島をみよ子に打ち明ける事だった。予想をし、既に決心もしていたのか、ついて行くわと好きな唇がすぐに応(こた)えてくれた。どんぐり眼を吊り上げたのは、両親は賛成してくれるかなと訊いた時だ。酒が入って口が滑らかになっていた事を後悔させられる。それでも。自分から訊かずにおれなかったのには理由があったのだろう、と後になって思った。父からいつも聞かされ刷り込まれていた島唄が脳内のどこからか聞こえてきたからだ。

  大和ン人(チュ)と 縁結ぶなよ

  白帆巻き揚げれば 落とさん涙(ナダ) 落とすんド

という唄。薩摩藩の圧政期にあった島娘に〈大和人と結ばれれば落とさなくてもいい涙を落とすことになるぞ〉と諭(さと)した教えとは逆だ、自分は男性である。時代も異なる。〈唄半学〉という言葉も浮かんだ。学問を伝えられなかった時代、島人は若者に島唄を歌い継がせる事で教訓を教えていった。島唄を学ぶ事が学問半分というものらしい。父も子供達に歌い聞かせようとしていたのだろうか。

    美人(キヨラ)生まれン女(ウナグ) 島ン為ン成りゅみ

    大和衣装着りゃぬ為ド 成りゅる

 綺麗な島娘はみな大和人に奪われてしまう、との怨嗟(えんさ)、それらを歌い継いで聞かせる事に意味があったのだろうか、と千々に乱れ始めた思いを、鎌でキビを伐採するかのように一気に断ち切ったのはみよ子の一言だった。

「私の人生じゃもの、私が決める。当たり前じゃが」

「それに島は年中、常夏でしょ。魚も釣り放題でしょ。天国だわ」

「じゃが、不便も一杯で」

「今の時代に、島は嫌ですなんて釣書にも書きはせんわ」。

 釣書というものが見合いの為の女の履歴書と知った夜、キスで釣った女と初めてのキスを交わした。

 

 社長が電話で機械整備師資格者が欲しいと洩らしたのを聞き、大型特殊免許を取った後に公立の高等技術専門学校に入学したいと考えた。一年遅れると社長に告げた時、笑い声とともに帰って来た言葉はこうだ。

「ゆっくりでいいぞ。法改正で奄美は鹿児島一区の中選挙区になったわ。敵が今やライバルよ。彼女の票も頼むぞ。確実二票だな」。

 内地の高校教師になっていると聞いていた徹志の実家に連絡すると、ヤツが学校の案内書と過去の試験問題まで送ってくれて助けられ、一年後の卒業時には建設機械運転資格を取って、建設機械と農業機械の両方の整備士の受験資格を得たのだった。

 

 みよ子が島に来て、顕正が生まれた。受け入れてくれた社長の恩義に応えるべく懸命に働き、十五年が経った今では会社も中堅クラスになった。将軍は自分が島を去った後に手放したと聞いた。

      

 仕事を行ったり休んだりするようになって一年近くなる。牛の名はエスペランサとなった。

「フェニックスは、故障続きのフランス原発の名前で、脱原発主義者の俺にはなじまないな。チリ鉱山での救出カプセルの名前がフェニックスだから悪くはないんだが、救出を信じて待ち続けた人達のテント村の名、そこで生まれた赤ちゃんの名、そっちのエスペランサの方が良くないか。希望という意味だ」という徹志の意向だった。

 ところが。エスペランサは初戦敗退したのだ。前夜の激励会を家でやった。勢子に付くのは自分の予定で、早めに床に就いたつもりが皆の大声に眠れず、安定剤と睡眠剤を多めに飲んだのが翌日に堪(こた)えてしまい、勢子どころか試合すら観に行けなかったのだ。意気消沈した。昔、遊び心から「プレイバック」と呼びかけようとした自分が、今や一歩も踏み出せなかったという事実の前に。

 初めての勢子を務めて戻った徹志も

「勢子の差で勝たせてやれなかった。五十キロの体重差をものともしなかったさ。突き押しも五分以上だと思ってよ、速攻でガンガン行かせたくて声をかけた。それで早い腹取り合戦になり、再び押し合いになった。それから向うが巧さを見せた。退きながら横に廻ってよ、一直線には押させない。首もたせで頭を抑え込まれた時、こいつに撥ねあげる余力は無かった。腹が大きく波打って疲労が見えた時だ、相手が全力で押してきた。よろけた一瞬に腹取りを決められて横倒しにされてしまった。全く俺(ワン)の戦法ミス、俺(ワン)の責任」と、自分と同様に項垂(うなだ)れた。

二人を励ましたのは顕正だ。

「首の筋力ならもっと付けてやる。まだエスペランサには体重増が見込めるチ思う。スタミナも付けてみせるぞ、見ちょれ。絶対にリベンジさしちゃる」と。

 顕正の散歩時間は倍になった。練習試合の時の勢子をも一人でやるようになり、遠くへの出稽古にも付いてきた。

負けを経験した牛は格下とやらせて自信を取り戻さすのだが、格上とやっても怯(ひる)まずに向かっていくほどになっていた我が牛(トレウシ)だ。エスペランサから名前を変えた。再スタートの意味を込めてだが、きっかけは顕正だ。

「粘りが出てきたチ思うド。舌出しする時は普通ベローンと丸めて限界の時じゃろ。ところがこいつは出した舌を伸ばして息を整えようとしとったんじゃ。舌に触ってみた途端、息を吹き返したみたいに突進したんよ」

 やってみたらしい徹志が興奮して語った

「舌を撫(な)でたら、まっこと奮起したわ。二枚腰になった、奥の手になるぞ。よっしゃ、名前をナデジタにしよう。希望と言うロシア語で、エスペランサと同じ意味よ。チェルノブイリ原発事故で被災した子供達の保養施設、日本の子ども基金が支援に加わっているその施設の名がナデジタ、希望なんだと。これで行こう」。

 それからの徹志は新生ナデジタの為に奔走したらしい。闘牛連合会と、前回に黒星をつけた相手飼い主の元を訪ねては、再戦をさせてくれと頼みこんだそうだ。再戦試合は普通組まない慣習だ。勝ち牛は自信を持っているし負け牛はその逆で、両方とも記憶が残っている為に再試合では戦いにならず、委縮した負け牛の方が敗北を重ねるのが常だからだ。それでも徹志は熱意で指名試合と言う再戦を決めてきた。それを聞いた顕正が試合を待ちきれない顔で言った

「今度首持たせに来たら見ちょれよ、強烈な撥ね上げで驚かせてやるぞ。楽しみだなぁ」。

 成長盛りの四歳鎌(ト)角(ガイ)牛、ナデジタは旺盛な食欲と練習で体重も八百八十キロまで押し上げた。顕正の丹念なブラッシングで黒光りする艶のいい肌は濡れ烏の羽のように光沢を放って美しく、堂々とした風格を漂わす程に成長していた。削(さく)蹄(てい)は業者に任せたが角研ぎは自分がやった。試合二週間前の大安日に、塩と御神酒を角にかけての清めから始めて鎌とヤスリで荒(あら)砥(と)ぎしていく。形を整えながら、角先はガラスの破片を使って尖らす。塩を擦り込むのは固くする為と災厄除けの祈願を込めて。キメの細やかなサンドペーパーで丁寧に仕上げたのが前日の朝。芋の葉の青汁で磨いて艶がでると、若武者に似つかわしい立派な武装となって、仕上げを見ていた徹志が大きく頷いた。

 猛の差し入れの鶏肉や小魚に徹志からのニンニクや乾燥ハブ肉をすり潰して卵を加えたスープ、それら栄養価のある特別食も大会が近付くにして減らし、草主体にして腹を軽くして前日はお茶だけとする。ナデジタも解っているのだ、角研ぎと、飢えさせられた事で闘争心が掻き立てられ、対戦間近という事を。

 試合前夜。〈祈必勝〉の焼酎を下げて来た客はナデジタに声をかけ、神棚に手を合わせた後、思い思いの場所に陣取る。徹志と猛の夫婦、社長に美保と会社の仲間達。選挙で一時期疎遠になった親族も今は同じ輪の中に居る。牛育てを褒められている顕正の顔は綻(ほころ)び、勝利を信じ切っているかにみえる。

 ナデジタはこの三月で退職する徹志に帰す約束になった。牛舎を完成させた徹志が言う。

「世話になったよ。顕正にも悟にも。勝手を言ってすまなかった」

「いや(アラン)、ナデジタがいたからこそ。助けられたのはこっちだ」

「悟も牛(トレウシ)飼えよ。燃え尽きるには早かろうが」

「そうだな。ナデジタという練習相手もいるし、顕正の張り合いを作ってやるとするか」。

 三線で島唄が始まっている、朝花節だ。

 声を大きくして徹志に訊いた「お前(ヌー)も難儀な牛(トレ)飼い(ウシ)に嵌(はま)りそうだな。何がいいチ思うたんか」

「血よ、血」

「血じゃと、ナ」

「おう。こんなに血を騒がせるのが他にあるか。選挙だって血は滾(たぎ)るが、闘牛ほどはない。もう一つある。生物学専門の俺が血というと、おかしく聞こえるかもしれんが」

「なんだ」

「闘牛は、血統を問わない。牛個体の努力と気力に育て主の愛情、それらだけが丸ごとぶつかり合う判り易い真向(まっこう)勝負じゃ。八百長なんか入る隙もない。最高チ思わんかい」。

 聞こえてきた島唄は〈前原(メーバル)口説(クドゥキ)〉だ。

  前原牛ぐゎの形ぐゎ清らさ 兄(シダ)の仲(なか)信(のぶ)坊や草刈りど

  弟(ウト)の豊兼(とよかね)坊や牛ぐゎ浴みし 妹(ウナリ)の鶴(つる)千代(ちよ)や牛賄(まかない)ね

 

 亡き父が好んだ唄だ。方言の事で喧嘩になり、怒られて半べそで戻ってきた猛と一緒に聞いた唄だが幼い頃だ、意味が解る訳も無い。多くの島人(シマンチュ)が好んで歌う唄、〈前原(メーバル)口説(クドゥキ)〉は闘牛を歌ったものだ。三百年前の昔、前原という島人(シマンチュ)がいた。その前原坊の所有する牛に、薩摩藩下の代官が闘牛試合を命じた。代官支配の麦穂牛に比べると前原牛は親子ほどの体格差。劣勢を跳ね返したのは農耕牛の根性と一家の応援だった。予想を覆した前原牛の逆転勝利に島人が喝采するという内容だ。

 島人(シマンチュ)が現在でも好む唄に聴き入っていた時、やってきたのは社長だ。

「徹志の喋りには参るよな。一緒に飲む機会が何度かあってよ、同期と言う事で話が弾んでの」と、切り出してきた。

〈参る〉が闘者の前での禁句と思いつかないのだろう。比べて徹志は〈無理〉の語を〈勝手〉としてきた。勝利に賭ける意気込みの現れか、と察しがつく今宵だ。

「徹志がよ、米軍基地の話になった途端に喋るわ喋るわ。基地移転は縮小じゃなく拡大だとか、基地依存とは限定された経済だから、普天間基地が撤廃されるなら現在の数十倍の経済効果をあげる筈だとか、建設業界が一時的な金の為に米軍基地誘致に動くなら自分の首を絞めるようなもんだとか、社長がもしアホな基地誘致で動くなら悟はますます板挟みになるだとか、独演場だったわ。島ぐるみの反対運動に立ち向かうのがムダな事だと思い知らされたよ。話が合ったのは一緒に島唄を習おうかという事じゃった」

「蛇皮線(サンシン)かぃ」

「そうだ。最初の曲がワイド節(注。闘牛勝利の祝い歌)というのでも一致したわ」。

 思わず笑ったのに構わず社長は続けた

「ナデジタは全島一になれるかの」

「まだ先の話じゃ。スピードはあるし、重量級とやっても押し負けん。あと五十キロ増えたら面白くなるかも知れん。明日の試合次第じゃ」

「全島一になったら化粧着物(注。牛の化粧回し)を呉れんかチ徹志にせがまれたのよ、会社名を入れさすからチ。

悟、これからも稼がせてくれよ、頼むぞ。春一番(注。馬鈴薯)に加えてな、茶もやるつもりじゃ」  

 押し負けている牛(トレウシ)のような目で頼んできた社長に

「紅ふうき茶か、解った」

と頷く。頼られるのも悪くないと思えている。

 社長が外した座に再度やってきた徹志が訊いてきた。「社長は、なんチ言うとったかい」

「なんの事かぃ」

「ナデジタの化粧着物よ」

「お前(ヌー)にせがまれて困った顔で言うたわ、まだ儲けんばチ」

「で、どうするちナ。儲け話は基地誘致じゃないじゃろ」

「春一番と紅ふうきの生産拡大から始めるチ」

「おう、正解じゃ。俺(ワン)の見立てと一緒じゃが。南瓜に生姜に、マンゴーなどもブランド品として売り出せる。農業振興こそ発展の道よ。農業は基幹産業じゃからの。安全な食材の重要性が見直される日が必ずや来る。その時よ、日本一の長寿兼子宝の島はもっと注目されて観光客も増える」

「客が来るかい。何もない島に」

「必ず来る。屋久島を見ろ。世界自然遺産に登録されてからツーリストが俄然(がぜん)増えた。俺達(ワキャ)の島も、兄弟島の沖縄と一緒になって世界自然遺産登録も先の話じゃない、そしたら屋久島どころの比じゃない」

「まるで観光プロデューサーみたいじゃが。その自信はどこから来るのかぃ」

「太古からの原生林や貴重生物が手つかずのまま残っているのは屋久島と同じじゃが、俺達(ワキャ)の島には杉がない。ヒノキも無ければ花粉症の避粉地ツァーとして最適だ。農地も漁場も空き家も豊富だから、年間を通して農家民泊も漁業体験も組める。結いの精神が篤い島人(シマンチュ)の人情に至っては申し分なし。イベントもやる、闘牛サミットだ。ルールを統一して全島一ならぬ全国一大会をやる、どうだ。」

 興奮した牛みたいに徹志の鼻は次第に膨らみ、荒い鼻息も伝わってきた。

「闘牛には、残酷チ印象が付き纏(まと)うという人もいるらしい。全国的イベントまでなれるかいの」

「何を言うかい。残酷チ抜かす人には、牛肉を食うなと俺(ワン)は言いたい。戦うのは牛の本能じゃ。立派な角はその為に持っとるんじゃが、それに」と、一層鼻息は荒くなった。

「床の間に兜や刀剣を飾る内地と、三線を立て置く島の習俗とではよ、どっちが好戦的でどっちが平和愛好家か、と俺(ワン)は言いたい」

「ハイ。俺(ワン)が言いたいのはそこまでよ。十分じゃろ。オシマイじゃが。もう腰をあげんと。明日が大事じゃろうが」

と、徹志を連れに来たのはヤツの嫁(ツゥジ)の郁子(くにこ)だ。一廻り歳下の教え子と聞いたが徹志に物怖じするところなど微塵もない、夫婦だから当然といえば当然なのだが。

「待っチくりぃ、あと一つ言わせチくれ。番(つが)いやペアを指す島言葉よ。〈母(アンマ)と慈父(ジュウ)〉と母から言うだろ。夫婦なら〈妻夫(トジウト)〉と妻が先。兄弟でも同じ〈姉妹(イヒリ)に兄弟(ウナリ)〉と女(ウナグ)が先になる。女性を大事にする文化こそが島社会だ。つまり、レディファーストという旧き良き伝統が命脈として息吹いているのが我が島だ。子宝の源泉はここにある」

「フフン。なら、もっと大事にして貰おうかね、私(ワン)も」

言うなり、嫁(ツゥジ)郁子は徹志を引っ立てている。

 

 当日。トラックに乗り込もうとしたナデジタが後ろを振り返り、俺を見てンモォ、大声で一吠えして太い首をゆっくりと戻した。それから顎を力強く杓(しゃく)ってみせた。付いて来いとの促しに思えた俺は「行くぞぉ、お前の勝つところを是非見させて貰うからな。勢子にもつくぞ」。

 劣らぬ大声でナデジタに返している。

 

 花道を、塩を撒(ま)いて清めていく俺の後にナデジタが続く。

 鼻綱を握るのは最初の勢子役、徹志だ。猛が小太鼓(チヂン)を叩き、顕正が指笛(ハト)を鳴らす。後ろから手舞いで四人の女が続く、みよ子に美保に、徹志と猛の伴侶たち。

 闘技場に入ったナデジタに気づいた観客達からざわめきが起こる「元エスペランサじゃないか」「一度負けたヤツか」「それじゃのう」。 

 ざわめきを切り裂き、蹴散らかしたのは顕正の鋭い声だ

「行けっ、ナデジタ」。

 合図を待っていたナデジタが見究めた敵に向かって一直線に走り出す、小走りから突進へ。ガツッ、ゴン。

 会場を揺るがしたのはざわめきではない、どよめきだ、お、お、おう。どよめきの中、俺は右手を大きく振り回し、ナデジタに届けと叫んでいる

「行けっ、ナデジタ、そこじゃ、行けぇ」。

                  終

                  

参照文献

一、「待ったなし計画」。大阪府立大学人間社会学研究収録6「徳之島の核燃料再処理工場立地計画と住民による反対運動の形成過程について」二千十一年〈樫本喜一〉。

(注一)は、「死の灰から生命を守る町民会議決議文からの引用である。

同類として鹿児島経済大論集〈一九七七年刊行一七の四〉に、「徳之島使用済み核燃料再処理工場建設計画」

〈МAT計画について〉〈大久保一徳〉がある。

二、米軍基地移転反対闘争

  「徳之島の戦い」南海日日新聞 二〇一〇年刊行

                                       2018/3/15       完

 

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