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 実存ヒプノ⑥ 共喰い改

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 モモジローが来たのはクリスマスの昼下がりだ。  

「洗車か、ブンタロ。スタンドでやって貰わないのか」   

無理だってさ、と手を休めず説明する。軽キャンピングカーは内装だけでなく外周りも改造されている為に断られていると。興味も示さずに聞いていたヤツだが、車体に貼っていた新たなステッカーには目ざとかった。

「辺野古基金にカンパしたのかい」

「最小限さ、余裕は無い。コーヒー飲むか」

「外で貰う、仕事中だ」。

温めなおした焼き芋をジニスコーヒーに添えて持っていくと、一口して言った

「うんめぇ。紅ハルカだな」

「そうだ。シラス土には安納より紅ハルカの方が向いているよ。線虫駆除をやって無いから見た目は悪いが」

「虫が喰う程旨い証拠だ。後を引かない甘さは、そこらの和菓子よりずっと上等だ。お勧めのコーヒーにも合う」

「だろ。吊るして寒風に晒(さら)してたからな」。

自慢を見透かされて芋を土産に持たす羽目になっている。印刷会社に勤めているモモは年末年始のチラシ注文取りで多忙らしく、コーヒーを飲み終えるとすぐ帰っていった。 

焼き芋が呼び水になった訳では無いのだ、が、夕刻には彼を電話で誘っている「液化芋の相伴に来いよ」、と。   

小説執筆の目途は付いておらず、年末の片付けも同様だった。だが堰が決壊したのだ、語らいたいという。

妻を喪って二年が経つ。三人の子供は家庭を持ち、独り暮らしとなった。〈咳をしてもひとり〉の〈単独行〉であるが、若い頃に山男をやっていたので食事には難渋はしない。携帯電話も持つのみだから、一週間会話無しも珍しくない。そんな独居生活なのだが、久々に学生運動時代からの旧い友人モモの貌(かお)を見た途端、人恋しさのうねりが押し寄せてきたという訳だった。

急ぎ、冷凍食の解凍にかかる。佐多のゲストハウスで催眠法(ヒプノ)の客をもてなす時は大隅半島の名産品にしているのだが、鹿屋の本宅では冷凍食品それも消費期限直前のものが殆どだ。廉価で購入して定価との差額分をカンパに廻す為だ。酒のツマミの殆どがそれらの類(たぐい)とヤツも理解している。期限の過ぎた冷凍食品を喰う二人の胃腸は余程強いのか食当りした試しは無い。

「昨日も今日も独りなのかい、ブン」

「何だ、唐突に」

「クリスマスじゃないか。一緒に過ごす相手はいないのかい。桃栗三年、後家一年と言うだろ」

「俺はクリスチャンじゃねえし。モモ、お前それってクリスマスファシズムと呼ぶんだぜ」

「何だぁ」

「クリスマスにはデートしましょ、プレゼントを買いましょうとの喧伝(けんでん)がひと月も前から押し寄せている、それを指すんだ」

「そうか。プレゼントの一つも貰えずに寂しいんじゃないかと思ってさ」

「慣れたよ、蛆も湧いちゃいないし。クリスマスプレゼントとダレスが称した奄美群島の本土復帰も今日だった」

「だったな。知ってるか、ブン。南スーダン情勢」

「国連安保理で日本政府が武器輸出禁止決議案を棄権し廃案にしてしまった事だろ」

「ああ。〈大量(ジェノ)虐殺(サイド)〉に道を拓いて住民へ最大のクリスマスプレゼントとなった」

「スーダン政府の機嫌を損ねたら、自衛隊を危機が襲うと懼れたんだ。本末転倒も甚だしい」

「おまけに七月のジュノバでの戦闘があった際の日報を最初は破棄していると言った。都合の悪い事は隠す、こんな国民侮蔑の傲慢極まりない政治が許せるか、ブン」

「我々の運動も、もっと力強いものにしなくちゃな」

「そうだ、世論だ。年明けには九条の会の新聞護憲キャンペーンの、カンパ要請から始める事になっている」

「昨年と同数、家族分五口用意しとく」

「頼むな。カンパをせびろうと思っていう訳じゃないが」

「何だ」

「お前の催眠(ヒプノ)療法(セラピー)よ、もっとPRすべきと思う。人助けした上でカンパ代を貰っている訳だろ」

「ああ」

「で、ホームページに加える文句を考えてきてやった、これだ」

差し出した一枚の紙に印字がなされていた。

「ヒーリングハウス北緯三十一度セールスポイント」

 ◎ハウスが高評価を戴いている八つの理由

一、セラピスト本人の人物をプロフィルで詳細に紹介し、〈顔が見えて責任の持てるセラピー〉を心掛けています。加えて過去二千人以上というヒプノ歴、に信頼(ラポール)を貰えているからです。

二、来談の前に、予習をして貰えるからです。ホームページ「てつとの部屋」の指定頁(ページ)を読んでから訪問戴ければ、事前カウンセリング(他の催眠療法では初回に相当します)を済ませたのと同等の効果を得られるのです。それが他所にない低料金に繋がっています。

三、内容の深いセラピーで効果を上げているからです。セラピストは作家として人間観察力、元社会科教師として過去世に対しての理解力に秀でています。

四、〈信じがたい過去世〉が出て来た場合に無条件に受け入れなさいという事はありません。フロイトやユング、アドラーなどの心理学理論を柔軟に駆使して、色んな解釈を呈示する事ができます

五、〈実存ヒプノセラピー〉は、理論も施術方法も、本邦初のセラピー技術です。新しい理論をお示しできるのは、セラピストの不断の研鑽(けんさん)があるからです

六、利益の為のヒプノではなく、戴いたお代は社会活動支援に充てています。セラピールームには、平和や人権、環境保護等社会運動団体のポスターが張り巡らされています。お渡しする施術内容紙に〈今回のカンパ先〉が記しています

七、良心的な〈おもてなし〉に努めようとしているからです。佐多ハウスで提供している食材の殆どが自家製有機農法か大隅半島産の安全な野菜類です。

八、リピーター様には代金二割引きの提供と致します。

 

「二割引きにするのか」、驚いて訊くと

「そう。良心的なもてなしのシンボルとするのよ」。

片目を瞑(つむ)ってみせたモモジローだった。

ヤツが起草した宣伝文句をホームページに掲載したのが効果あったのかは解らない、電話が来た。

二十年ぶりです、と名乗った女に思い当たりは無かった。教え子ではないが前世催眠(ヒプノ)をして貰ったと語る。

「助けて下さい、縋(すが)れるのは先生しかないと今になって思いついたのです」

「どうしました」

「廃人も同様なのです、主人が」

「廃人とはまた。どういう事でしょう」

「聞いて戴けますか。突然にご連絡を差し上げながらお願いするというのが厚かましいとは承知しております。でも今の私どもには恥も外聞もありません。主人の為に家族は崩壊寸前なのです」

「ご主人が原因の事でしたら、ご本人に来談して貰わなければどうにもならないのですよ、催眠(ヒプノ)療法(セラピー)は」

「ええ、理解できます、ホームページも見ていますので。でしたら、当方に来て戴く訳にはいきませんでしょうか」

「できかねますね。催眠は本人次第なのです、本人にセラピーの意思が無ければ無理でしょう」。

理解できます、でもどうしてこんな目に遭うのか、と、同じ言葉と深いため息を漏らした女性に電話を切るのは忍びなく、差し障りのない範囲で訊かせて下さい、と事情を訊きだしている。

夫が手の施しようもないギヤンブル依存症になった。自分に隠して知人親戚等に借金を重ね、闇金にも手を染めた挙句、会社の金にまで手を付けてクビになった。借金返済の見通しもつかないまま、社会人の子供達にも金策を始めている。金の為に再び犯罪に手を染めはしないかと怯える日々だ。離婚も覚悟でいる、そんな事情だった。次第に消え入りそうになっていく声で女が訊く

「私の前世も関係しているのでしょうか」

「どんな前世でしたか、前は」

「遊ぶ蟻でした。〈蟻とキリギリス〉のお話みたいな」。

ああ、思い出した私は声に出している。ショートの髪がクリッとした眼に似合っていて、チャーミングな女子大生だった。飲みに誘って三度付き合ってくれたのを思い出している。

「依存症患者の場合、ご家族が自分に非を感じられて悩まれる場合が多いのですが、家族に責任は無いのです。そう心に置いてお過ごし下さい」

励まして電話を切った後、二十年近い前に上梓した著「前世カウンセリング」を引っ張り出す。あった。〈踊る蟻――大学生〉のタイトルだった。

その頃勤めていた高校に、噂を聞いたという彼女が来たのは、当時は勤務があった土曜の午後。前世体験をしてみたいと語った彼女との催眠(ヒプノ)対話は長く、著書には前後編で掲載している。

過去世を蟻だと言い、「踊ったり歌ったりしている」、つまり〈遊んでいる〉と語ったので茶化したのだった。

「蟻は五日の雨を知るという事から、人間界では勤勉な人を蟻のように働くと言っているのですよ」

「ありがたくないオハナシね」

「何ですと」

「働いてこそ蟻らしいと仰(おっしゃ)るのなら人間はどうあったら人間らしいっていえるの」

「(考えてからゆっくり答えた)。フム。一、知性がある。二、社会性がある。三、歴史的発展をする。いかが」

「では聞くわ。知性があるってバカみたいな事はしないっていう意味かしら。では差別と偏見の感情と行動はどう説明できるの。あれって知性のなせるワザなの。戦争とか、自分の首を絞めている環境破壊とかはどんなふうに知性で説明できるの」

(私は不意に虫酸が走った思いになって黙り込んでいる。論づくめでくるタイプの女は好みだが逆に苦手ともしていた、矛盾しているようだが)。

「どうしたの、知性で説明して」

「考えとく。慎重に判断するのが人間じゃもの」

「いいわ。では次、社会性って何」

「人は支えあって生きる。分業がある。ルールを守って生きる。一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」

「ワンダフルね」

「どうだ、人間様は」

「なら、病人や障がいのある人、高齢者等働けない人は社会が完全に守る訳ね。助ける、そうよネッ」

「些(いささ)かは」

「些かぁ、それイカサマね。弱者の面倒を完全に見切れないで何が社会性よ。欺瞞だわ、蟻酸どころの比では無いッ。蟻だって仲間を助けるし支える、弔う。当たり前じゃ。それきしでいばるな人間といいたい」。

〈私は気押されている、蟻視が災いした〉。

「で、アンタんとこのリーダーはどう言ってるの」

「何を」

「非常時に備えての食糧とか、高齢対策」

「高齢に備えて保険はかけとけ。食糧は冷蔵庫に蓄えとけ、とは言わないか」

「冗談言ってる余裕ある? 世界的飢饉がきても大丈夫よね」

「そう思う(と言いながら、嘘をついてる気がしている)」

「なら、いいわよ、最後にもう一つ」

「はい」

「アンタは、遊ぶ蟻さんだと私を批判したけど単眼思考は禁物だわ」

「どういう事」

「景気は今どう」

「バブル崩壊」

「で、どうしてんの」

「辛抱しか無い」

「先の見通しは?」

「蟻さんの穴と一緒。真っ暗」

「どうしようとしてるの」

「不明。今から失われし時を回復するのに何年かかるか」

「キリギリスの遊びを否定しているようではだめね。発想の転換が必要よ。倹約は美徳ってまちがい。消費こそ美徳と言いたい」

「へ、なんで?」

「みんなで遊び、消費する。消費の拡大が景気を刺激する。これ常識」

「遊ぶ金は」

「リーダーに要求する。我々に金をよこせと」

「ハアー(私の溜息である)」

「私は声を大にして言いたい」

「はい、聞きますよ。これで最後にしてね」

「蟻よ遊ぼう、人間も遊べ、遊び無しに将来なし。ご清聴ありがとうツ」

(ほとほと疲れ果てた私だ。話がアリきたりでなかったせいか)。

以上で、〈踊る蟻〉の後編の項を閉じている。

生き生きとしていた彼女の表情が浮かんできた。それが今では怯える日々だとの事。込み上げてきたのは憐憫だったか愛しさだったか。

 

「大変だな、ブン。依存症の夫か」

「引き受けた訳じゃない」

「アルコール依存症に一歩手前のお前なら、ギャンブル依存症の気持ちは解りやすいだろう」

「まだ引き受けた訳じゃないと言ったろ」

「依存症患者がどれくらいいるか、知ってるか」

「いや」

「厚労省ではアル中患者数を百万、病的ギャンブラーはその五倍の五百四十万と発表している」

「多いな」

「そうだ。カジノのある米国やフランスの総人口の一%台、同じく韓国の一%未満に比べ五%に近い我が国は突出している」

「比較方法は」

「SОGSという世界的判断基準の結果だ。こんなギャンブル大国日本にカジノができたらどうなる。依存症が途方もなく増えるのみだ」

「経済成長戦略の一環だとか」

「何も生産せずに右から左へと金が動くだけのシステムが、経済成長に繋がるものか」

「外国人客を呼びこめるとも言っている」

「呼びこめないね。リゾート法推進派は国内利用客が八十二%と試算している。知ってるかブン。ギャンブル依存症が〈共(カニ)喰い(バリズム)〉と言われる所以(ゆえん)を」

「賭けに負けたら他の支出を削る、借金を重ねた挙句に家族をも巻き添えにして貧困の蟻地獄へ引きずり込む、からか」

「金銭だけでないぞ、依存症精神疾患はサポートの仕方を見つけられない家族迄をも病に引き込んでしまう。消費を抑制する為に地域経済をも凍結させる。これぞ〈共喰い〉の実態だ。他にもデメリットとして、ギャンブルの隆盛は犯罪の温床となる」

「だろうな」

「実例がある。米国ニュージャージー州のアトランティックシティという街だ。カジノ創設で犯罪発生率が全米で五十位からトップに躍り出た、僅か三年の間に、だ。そして周辺商店街はゴーストタウン化した。理由はカジノ内のサービス店舗にタウン周辺の同業者が軒並み潰されていった事による」

「カジノ内では過剰サービスでプライスダウンする訳だから、あり得る話だな」

「デメリットはまだあるぞ。家族をも健康破壊へと強いるのがギャンブル産業だが、患者数が増えて言ったらどうなる、ブン」

「現行医療保険制度の崩壊か」

「正解だ、恐るべき事態となる。専門医も医療機関も不足している現状でカジノ誘致とは暴挙も甚だしい」

「経済活性化のシンボルとして期待する人々もいるぞ」

「カジノ誘致を企む金持ちのヤツラか」

「まぁそうだ」

「ブンタロ。思い出したぞ。お前、二年前の作品に富の集積を書いたろ」

「ああ、世界の下半数分の財とトップ六十七人の資産が等しいと」

「財の集積は進み、今年は八人で世界の下半分の富を持つに至った」

「凄い収斂(しゅうれん)度だな」

「日本の実態を知ってるか」

「いや」

「トップ四十人と下半分の富が同じだ。アベノミクスが経済格差を増殖伸長させた」

「何ともはや。俺が四十人に入るのはいつの日かね」

「そんな日は未来永劫(えいごう)に来ないね、ブン。墓堀人に徹するしかないぜ」

「そうかね。ならモモ。批判じゃなく、お前の経済活性化への提言を言ってみろ。短く、な」

「よし、言わせろ。格差是正政策による経済成長を図る。税制の本旨である弱者救済を柱に据えるのさ。六人に一人が貧困児童という、それらの支援。手厚い奨学金で教育の機会均等化と人材育成。健康保険の充実。ワーキングシェアによる雇用創出。失業手当や職業訓練制度の充実。そういう人的資源に重点投資、配分して経済成長の推進力とする、どうだ」

 

依頼のメールは隣県からの三十代女性だった。

どんな問題ですかと問うと、「会ってからでないと話せない」との返事に、厄介な事案(ケース)ではと感じた。複雑な人間関係や重い病気等は事前に対応策を想定しておく。困難な愁訴(しゅうそ)こそ事前学習も必要となるのだ。だが、女性は頑として理由を明かさなかった。やり取りの中で、心療内科への治療歴無し、特定の信仰も無しという事だったので引き受けるとした。そうして。

「レイプされたのです、私」。

言うなり、口を一文字に結んで女は睨みつけて来た。

感情を堪(こら)える方法を他に思いつかなかったのだろう。走った眼は潤んでいたが、涙は落とさなかった。意思の強さを見たのだが重大な過去を打ち明けられているのである。緊張を隠し平静を装って向き合った。

「私を信用して打ち明けてくださった事に感謝します。セカンドレイプという語も承知しています、簡単に教えて下さい」と、訊く。

女性の語りには特徴があった。短いセンテンスで区切って繋(つな)げていく。混乱を排斥しようとの姿勢か、聡明だと思わされた。結婚五年目で子供はいない、から始まった女性のレイプ概要は省く。事件後、病院で避妊処置と性病対策をして貰い、警察への被害届も一人で出して三か月経った。妊娠はしていなかった。主人にも誰にも話していない、と。

「なぜ、私はこんな酷(ひど)い目に遭ったのでしょう。過去世にどんな因果があったのか、加害者とは過去世で関係あったのか、そして、これは私に予定されていた課題だったのか知りたいのです。未来も知りたいのです、犯人は捕まるのか、私達夫婦はどうなるのか、」と。

そうして、退行催眠で〈今の問題と最も関係ある過去世〉へと導いた。

〈何をしていますか〉

「歩いています」

〈周りが見えますか〉

「見えません、夜です」

〈なぜ夜道を歩いているのです、どこか解りますか〉

「家に帰る途中です、海沿いの道です」

〈解る事を教えてください〉

「前に提灯が見えて後を附いています。送って貰っています。男の人です」

「誰ですか」

「後ろ姿が現在の主人のようです」

〈過去世でも二人は夫婦だったのですね〉

「違います。家には亭主がいます」

〈え、現世でご主人だと言う、送ってくれている男性とはどんな関係なのですか〉

「ナジン、さんです」。

(馴染ンさんとは好意を持っている関係だ)と言ったが、現代風に言えば肉体関係有りの意味となる。  

彼女は〈ネヤ〉つまり若衆宿からの帰りだ、と言う。若衆宿とは幕藩体制期の農漁村での独身男女の出会いの場だった。そこでは夜なべ作業だけでなく性の交歓もあったらしい。独身者だけでなく数合わせや性の手ほどきの為に既婚者にも声かけがあり、呼ばれた者は体調不調でない限り出るのが掟だったそうである。

過去世の亭主に、現世で思い当たる人物はいないと彼女は言った。過去を終えて中間世に導く、教えて貰わねばならない。私は訊いた

〈レイプの加害者はその世界にいたのでしょうか〉

「いない、と言ってます」

〈言ってます、とは誰の答えですか〉

「私を導いてくれた光さんが言ってます」

〈そうですか。では光さんに伺います、現世での今回の事件は因果に起因するものですか〉

「違うそうです」

〈用意した課題なのでしょうか〉

「違うそうです。それよりも」

〈え〉

「何が起きたかより、それをどうするかが大事だと言ってます」

〈という事は〉

「私の事後処理は良かった、と。」

〈犯人は捕まるのでしょうか〉

「捕まった時に考えれば良いではないか、と」

〈そうですか。それでは現世への教訓を教えてください〉

「もっと愛せよ、セイを楽しめ、だそうです」

〈セイって〉

「性(セックス)、だそうです。性という漢字は生きるにリッシンベンの心が付いてるだろう。心を持って性を楽しむ事だ、そうです。さすれば生殖が伴う、と言ってます」

ここで覚醒(かくせい)させ、彼女の話を聞いた。

「納得のいく過去世でした。お尋ねにならなかったので答えませんでしたが、私には三人のナジンさんがいました。私は淫乱なのでしょうかと問うと、光さんが答えました〈善いのだよ、そういう時代なのだから〉って」

〈そうでしたか。では、今から課題の『もっと愛せよ、性(セックス)を楽しめ』を引き受けた時の未来、そうでなかった場合の未来を実存催眠(ヒプノ)でやりますか〉

と、促すと彼女は躊躇(ためら)ったのだ。

「夫を愛すべき、の課題は解るし、そうすべきだと今迄も思ってきました。でも駄目なのです」。

一気に言うと堪(こら)えていた涙が溢れ出た。そして繰り返した

「もっと主人を愛せよ、との課題は担おうと当然思いますよ。でも出来ないのです」。

零(こぼ)れ落ちる鼻水と涙を拭き取ったテイッシュがテーブル上に山積みとなっていく中で、彼女は続けた

「彼から求められると、拒絶反応が起きるのです。引き付けみたいに体が震えだし、胃液がこみ上げて呼吸ができなくなり、気づいた時には彼を突き飛ばしているのです。トラウマは自分が創っているのだから原因探しをやめよ、とのアドラー理論も勉強しました。頭では理解はできるのです。ですが、どうしてもセックスへの嫌悪感を追い払う事ができないのです。彼に申し訳なくて、離婚の文字が頭をよぎる事もあるのです」

〈はい、話すのはそこまででよろしい。事件の記憶を消しましょう。ついでに、あなたの性感アップもしてあげましょうかね。以前よりもっと歓びを感じられる体になるように〉

「そんな事ができるのですか」

〈ええ。信じて下さい、自分自身を、それと私を〉。

私は彼女の手に自分の手を重ねた。泣き腫らした目で彼女は私を見つめてきた。

 

「エロ事師の真似までやるようになったんか、ブン。おまけに、いつから官庁文学をやめてポルノを書くようになったんかい」

パソコン画面の作品から目を離してモモジローが言う。

「待て、二つ一緒に訊くな。官庁文学って何だ」

コップ焼酎を一口流し込んでからモモは答える

「お前の小説よ。わざと難しく書いて解りづらい、官庁文学だ。それがいつしかポルノ作家になってる」

「どこがエロ事師だ。よく見ろ、体を重ねたなんて書いてない。重ねたのは手だけだ、それも一瞬。信頼(ラポール)を形成する為の抱擁(ハグ)の代わりだ」

「どういうこっちゃ」

「記憶を消すのは〈後(ポスト)催眠(ヒプノ)〉暗示。覚醒後も効果が残るやつ。食を細くする等ダイエット催眠とかで効果がある」

「そうか、ブン。ならお前、自分の酒量が弱くなるとかやったらどうだ」

「死んでもやらないね。性感アップは自立訓練法の温感のバリュエイションだ。どっちともそれ程難しくはない」

「そんなもんかね。もし記憶が消せたとして、だ。裁判所からとかの呼び出しが来たらどうするんだ」

「すぐ俺に連絡するように、これも後催眠暗示をかけておいた。その時迄は気づかない」

「もし気づいたら」

「性暴力ワンストップセンターに連絡するようにも暗示済みだ。俺への連絡は来ていない。こちらから連絡しないのは流儀だ」

「ブラックジャック気取りじゃないか、ブン。お前の措置はさておき、彼女の刑事告発は評価するね、精神の殺人を許さないという強い意思だ。南スーダンの報道特集見たか。去年の七月、首都ジュバで外国人NGО女性職員が政府軍兵士とみられるヤツラに性的暴行を受けた。彼女達もその事実をマスコミに告発した、家族にも伝えられないままに、だ。許せない話だ」

「同感だ」

「横須賀米軍兵士によるレイプ事件を憶えてるか」

「いや。いっぱいあるだろ」

「十五年前、在日豪人のキャサリンという女性が被害に遭った。実名で告発した著〈涙のあとは乾く〉を出してる。それによれば、被害届を受理した日本警察と検察の対応は全く杜撰(ずさん)で、理由も示さずに不起訴とするんだ。加えて、彼女が民事訴訟を起こしている間に加害者は米軍指示で帰国逃亡する」

「米兵からすれば日本はレイプ天国を絵に描いたような事例だな」

「根本原因はどこだと思う、ブン」

「日米地位協定の欠陥にある」

「よし。そのどこだ」

「米軍人にとって日本国法令は尊重するものであって従うものではない」

「それ、十六条は外れだな。正解は十七条、日本が米兵の刑事裁判権を放棄しているところにある。それが一九五三年の発効以降、密約となっていた。旧安保改定時に米国側が公認文書にしようとした時、当時の総理岸が密約のままにしてくれ、国民の反発が起きるからと頼んだ。以来現在迄、協定改定を政府は一向に取り組もうとしない」

「岸と言えば総理が尊敬する爺さんだな」

「そうだ、デンデンなってない。腰巾着、もとい狸の金玉(きんぎょく)だ、また一杯」。

空コップで催促してきてからモモジローが言った

「ブンタロ。〈名誉殺人〉についてはどう思う」

「どんなだったかいな、それ」

「ド忘れしたか、飲みすぎじゃないのか」

「お前ほどじゃない」

「何を言う。俺が三杯の時、亭主は八杯やっている。名誉殺人とはレイプを含めて婚前性交と婚外性交した女性は家族の名誉を汚した者として一族の男性によって殺害されるを可とする習俗だ。驚くなかれ、国連発表では年に五千人ほどの女性が殺害されている」

「歴史的宗教的経緯があるにせよ、反対だ。いかなる殺人にも与しない、死刑制度も同様だ」

「よろし。酔ったにしちゃ正解としよう。共謀罪が名称を偽装して復活しそうだな」

「ああ。もう戦争前夜の翼賛国家だ。日本ペンも日弁連も批判している」

「言ってみろ、どんなふうに、だ」

「日本ペンはこうだ。〈憲法で絶対的に保障されている内心の自由を侵害する〉。こうも批判している〈現行法で十分なテロ対策が可能であり、法新設の理由に東京五輪を持ち出すのはオリンピックを人質にとった詭弁(きべん)〉だとな」

「フム。いい纏(まと)め方だ」

「俺の纏め方を褒めたのだな。次、日弁連」

「俺だって知らん訳じゃない。纏めてみな」

「よし。一、犯罪とは既遂をもって成立要件とするものであり、未遂を処罰対象とするのは現刑法体制と異なるものだ。次に未遂の犯罪合意を捜査機関が立証する為に、盗聴や潜入捜査等の手段が用いられる場合が増える。恣意的運用が際限なく可能になり、組織犯罪集団だけでなく一般市民が常に見張られる状態となる。以上でどうだ」

「可としよう。戦前の悪法、治安維持法の復活だな」

「そうだ」

「治安維持法が成立した時、当時の政府は何と言ったか知ってるか、ブン」

「いや」

「本法は伝家の宝刀であり、本法によって社会運動が抑制される事は無い、だ。政府の立場をマスコミも喧伝(けんでん)し、結果があの戦争だ」

「解りやすい纏めだ。密告の奨励される監視社会の到来を食い止めないと、な」

「そうだ。くたばるにはお互い早いぜ」

歯を見せて笑った後に機嫌よく戻っていったモモだが、電話が頻繁にかかってくるようになる「どうだ、実存ヒプノは」と。ホームページの改編をした己の宣伝効果を知りたがっているかに思えた。

「生理が止まってしまった、と訴えられた」。

そう伝えると、受話器を落としそうになる程の大笑いが伝わってきた

「エロ事師め、ついに本領発揮か」。

「待て、若い女性だが妊娠じゃない。勿論俺がいかがわしい事をしでかした訳でもない、聞け」

色白の娘だった。事前に年齢を聞いていたのと着衣から辛うじて娘と認識できるくらいで、で無ければ全くの年齢不詳と言えた。若さに特有の性フェロモンの香りが微塵も伝わってこなかった。髪は薄く化粧気も無く脂肪分すらも削ぎ落とした娘は、二枚の写真を取り出して見せた。六年前、学生時代という一枚は笑顔である。スリムとは言えるが今程極端には痩せていない、髪も少ないとは言えない。もう一枚が四年前、社会人三年目の写真では別人と思えるほど太っていた。

「病院で写したものです。過食症と診断され通院治療を始めて、半年後には退職しました。集中力が無くなって仕事を続けるのが無理になったからです」。

二年程前からは逆に食べられなくなり、現在は向精神薬と栄養サプリメントを服用中だという。心療内科への入院歴もあるという。実物を見た事は無いが、骸骨の手と形容する他に語を知らない。写真を戻す娘の手から目を逸らしながら、白衣の私はゆっくりと語る

「ホメオスタシスの変調ですかね、生理が無くなったというのも」。

ホメオスタシスという医学用語、体のコントロール機能を指すそれを使ったのも、白衣の着用も患者(クライアント)に信頼(ラポール)を得る為の技法である。だがことわってある。医者でない自分に治療は出来かねる、ヒプノセラピーは自己回復の手助けである、と。

「お前、過去世絶対説には立たないんだよな」とモモ。

「そうだ。信じがたい過去世が、例えば現世の夫婦が過去世では殺し殺され、の関係だったと想起した患者(クライエント)はどうなる。混乱を避ける為に過去とせず、自らの創造夢の産物として心理分析させる方法も取る」

「で、摂食障害とやらの彼女はどうなった」

「治療中の人には催眠(ヒプノ)はやらないのだが、懇願されてやったよ。同じ精神病(サイコパス)質でもツィッターで大ボラを吹いて世界を困惑させて平然としている輩(やから)もいるご時世だからな。話を戻すぞ。〈現生に最も関係ある過去世〉に戻した彼女だが、過去は飢饉(ききん)の江戸期。トメという名の、農民と言うより年端の行かない少年だった」

「四大飢饉のいずれか、だったという訳か」

「詳しいな、時代は不明だった。毎日コッパを作るのが自分の仕事で、手はヤニで真っ黒だと言ったな」

「コッパって何だ」

「保存用に芋を平切りしたやつ。鳥やネズミなんかに取られないように番をするのも仕事だと。それに野草や虫なんかも食えるものは何でも喰うと言った。野鳥は勿論ご馳走で、セミにバッタにコオロギにカタツムリ」

「でんでん虫ね、エスカルゴだな。おっと閃(ひらめ)いたぞ。帰りに寄るわ、今日は飲まん。コーヒーと焼き芋でいい、じゃな」。

 

夕刻。ハックルベリコーヒーを飲んでモモが訊く

「で、過去世とやらが教えてくれた課題とは何だったんだ、ブン」

「〈感謝して食べ物を食せよ、そうすれば自愛の念も湧く〉、だった」

「妥当な線だな。先刻のカタツムリで浮かんだ小話だ。題して〈ほうかん訪米〉」

「訳の解らん題だな、韓国訪問に米国訪問かい」

「ノン。ほうかんは韓国訪問にあらず、ヨイショ野郎つまり太鼓持ちよ。聞け。(大尽(だいじん)でなく大統領に、幇間(ほうかん)野郎が褒められました。『打たれる前から良く鳴るでんでん太鼓ですね』と)。どうだ、俺の作品だ」

「ストレート過ぎだな、文学性は微塵も見られない。捻(ひね)りが必要なんだ、そして読者に創造を膨らます行間の隙間を残す。幇間でなく行間によ。それでこそ文学作品と言えるんだ」

「別に、小話で文学と言って欲しい訳じゃ無いし」。

それ以上モモは言い返さなかった。酒が入っていた自分に比べ素面だったのだから勝負は端(ハナ)から決まっていたと言える。小話で俺の鼻を明かそうとしたのが返り討ちに遭った恰好で、ヤツはマスクを剝がされたレスラーも同然にリングを跳び出している。

夜を待って電話した。

「悪かったな、文学性云々は言い過ぎた。自信作だったんだろ。お前が帰った後反省したよ、俺の作品こそストレートそのものだと」

「気にしちゃいないぜ別に。他に何か用か九日十日」

「さっきの続き。課題を引き受けた未来を語ってない」

「喋りたいのだろ、聞いてやる。話せ短く、な」

「〈食に感謝せよ〉、の課題を担った何年後かを彼女は指定しなかったんだ。だから勝手に二十年後に行かせた」

「二十年後だと。お前生きてるつもりか、それ迄」

「何をぬかす。摂食障害は思春期女性特有のものだからいずれ収まると踏んだ。俺の個人的興味からは三十年後の食糧事情を訊いてみたかったんだ、世界人口が二十億増え、七十億になって食糧危機になると多くの学者達が警告しているからな。だが、依頼人に遠慮して二十年後にした」

「フフン。で、結果は」

「課題を引き受けた彼女は、結婚して子供も一人育てていたよ。その上、賢明な菜食(ベジ)主義者(タリアン)のオバタリアンになっていた。新築した家は二階建ての屋上バルコニーにソーラーシステムと菜園まで造り、野菜は自家製で賄(まかな)っているんだ、と。ベジタリアンになったきっかけは肉類の高騰からだった」

「で」

「話を纏めるぞ。穀物メジャーによる市場支配が進んだ。穀物が石油以上の戦略物質になった。各国は軍事同盟以上に食糧安保を重要視している。日本もアジアアフリカ諸国に食糧資源を確保しようと必死になっているんだが、打つ手が遅いんだと。米国一辺倒が続いたからだと」

「フン。想像に難くない」

「自給率を上げようと行政も必至だ。兼業での農業を奨励している」

「農業は企業参入と法人化が進んだんじゃないのか」

「広域化できなかった遊休地の利用促進だよ。趣味を農業とする人達が増えているらしい。他に増えているのが釣り人だそうな。老人達がグランドゴルフクラブを釣り竿に換えているんだと。釣果は喜ばれるし、近場で釣れる青魚の高栄養価が見直されているからだと」

「フフン。じゃ俺も今から釣り人でも目指すかな」

「お前こそ二十年後も生きてるつもりなのか、モモ」「何をぬかす。それより戦争を訊いてみたか、わが国は、それ迄参戦していなかったか」

「あ」。

 

〈廃人もどき〉のギャンブラーは妻に伴われ、というより背中を押されて来たと言った。強制入院するか当方のヒプノに行くかと迫られた、とも。

「私、先生に懸けます。賭けの字ではありません、命懸けの懸けです。今が剣が峰と自覚しています。先生のお力でどうか夫にギャンブル断ちをさせて下さい」

二十年数年ぶりに出会った〈蟻さん〉は心労からか痩身ではあったが、年相応の色香が伝わってきた。真剣に依頼してくるゲストにセクシーさを覚えるとは不謹慎と思われようだが、当方は老い近きとは言え独身なのだ、意馬心猿も致し方無い処だろう。逆に真剣な依頼にこそ余裕が必要だと思っている。

「全力を尽くしてやりましょう」と前置きして彼女には別室に移って貰い、初対面の夫にかけた最初の言葉が「よくいらっしゃいました」、との労(ねぎら)いだ。

「依存症の方は三猿状態にあるといわれる。見ざる、言わざる、聞かざる、です。自分の現状を見ようとしない、語らない、人の意見を聞かないです。当方へおいで頂いた貴方はそれとは異なる」。

自尊心を擽(くすぐ)り、信頼(ラポール)を作ってから実存ヒプノへ誘う。

――最も関係深い過去世です。何が見えますか。

「何も見えない」

「ゆっくり息をして。はい、見えてきます」

「見えないね」

「見えてきますよ」

「いや、見えない。目を閉じているからな」

「なんだ、寝ているのですか」

「いや、休んでいる」

「周りの状況とか解る事を教えて下さい」

「今、食べた物を吐いたところだ」

「喰いすぎですか」

「いや、習慣だ。喰っては吐く、また喰う為に」

「聞いた事ありますよ。ひょっとして時代は古代ローマ」

「そう。パトリキ」

「パトリキって何でしたっけ」

「貴族」

「そうか。名前は判りますか」

「クリスチャンセン。クリスと呼ばれている」

「そうですか。クリス、色々教えて貰えますか」

「いいぞ。腹ごなしになる。退屈してたところだしな」

「いつもは何してます」

「特に何もしてないさ」

「仕事は」

「してない、パトリキだからな」

「退屈でしょ」

「楽しみならあるぞ。寝ながらにして旨いものを喰う」

「はぁ」

「喰っちゃ寝、だよ」

「それで幸福感は味わえますかね」

「あるさ。吐いては何度も旨いものを味わっているからな」

「好みとありますか」

「海老、それとアヒルの肝だね」

「フォアグラですか、美食家ですね。こんにゃくなどはいかがかな」

「こんにゃくだと、そんなの知らないぞ」

「接待に使われるらしいのですが、無縁ならいいでしょう。それにしても、生きる為に喰うのを本来とすると、現代のセックスと似てる気がするなぁ。生殖の為と異なって楽しむ為にする」

「何だ、それ」

「いえ、気にしないで。独り言です。他に楽しみは」「闘技場での剣(グラディオ)奴(トル)の試合を見る事さ。奴ら真剣だぞ、殺し合いだからな」

「残酷と思いませんか」

「思わないね、それが奴らの仕事だからな。他に何ができる」

「そうですか、スパルタクスの乱はご存知か」

「何だ、それ」

「後にマルクスが〈古代被(プロ)抑圧(レタリ)階級(アート)の真の代表者〉と評価した、剣奴スパルタクスが引き起こした反乱です。一時期はローマを除きイタリア半島全域を支配下に置く勢いで、支配者階級を震撼(しんかん)させた反乱が起こったのですよ。レーニンは奴隷の処置改善に繋がったこの闘争を〈正義の戦争〉と呼びました」

「信じられないね。売春婦と同格の、最下等の野(イン)蛮(ファーミス)人にそんな叛乱等起こせるものか。スパルタクスにマルクス、レーニンだと。聞いた事もない」

「あったんです、実際」

「仮にあったとして、どうなった」

「二年後鎮圧されたそうです」

「そうか。で、俺に何か要件があったんじゃないのかね」

「そうです。現世への伝言を戴きたくて」

「何だね、それは」

「教訓とか、あなたの信条を貰いたいのですが」

「そんな柄じゃないがね。じゃ一つ」

「はい」

「〈髭(ひげ)は哲学者を作らない〉。間違えた、もとい、〈カルペディエム。つまり、今日の花を摘め〉だ。明日には枯れるかも知れんだろ」

「あ、私も間違った。死んで貰います」

「何だと」

「いえ、健さんのセリフでした、お気になさらずに。貴方はその生を終えています、中間世です。心はとても落ち着いています。どうでしたか、貴族の一生は」

「答える前に一つ。私は歯磨きが苦手でした。ポルトガル人の尿を用いて磨くのが最高とされていたんですがね、他人のシッコはイヤでした。現代でも歯の美白効果に尿素が用いられているそうですね。話を戻しましょう。最期が大変でしたよ、私。現代の医学で言うなら贅沢病の痛風に、塩(サラリー)の取り過ぎから来る高血圧症、おまけに膀胱炎もやってましたから。食事中のトイレ厳禁が原因です」

「ほぉ」

「あれは辛かった。日本のどこかの幼稚園でも同じくトイレ使用制限の虐待をやっていたとか」

「おや、お詳しい。現代が解るのですか」

「ええ。中間世、魂(ソウル)の世界では時間は無いに等しいものですから」

「では改めて訊きます。今世での自分の学びは何なのでしょう。貴方が過去世から教えられるものは何ですか」

「欲を自制する事です。限りない欲は身を滅ぼします。人の欲とは鉄に付いた錆も同様です。錆び付いた鉄を元に戻すのは難しい、漬物になった大根は元に戻せません。同じです」

「欲の自制ですか」

「それに尽きます。強い刺激を求めてドーパミンを大量に排出するようになった脳は元に戻りにくい。アルコール依存も似ています、奈良漬けの脳は元の瑞々(みずみず)しい大根には戻らない」

「生々しい表現とは思いますが上戸には苦々しい」

「自制、節度を持つのです。奈良漬けとは上手い表現でしょう。漬物を作っていた前世もありましたからね。妻とはその時も夫婦でした。ここに妻も来ているのでしょう」

「ええ」

「妻に伝えて下さい。お前が責任を感じる事は無いと。妻は過去世で〈遊ぶ蟻〉だった事が、私をギャンブルに走らせた原因かと思って悩んでいるようでした。漬物を拵(こしら)えていた時は二人とも働き者でしたから、その思い込みは間違いなのです」

「そうですね。以前、私も責任を負う必要は無いと同様に言いましたが、貴方の言葉としても伝えましょう。では実存ヒプノを続けましょうか。十年後の未来です。課題〈欲の自制〉を担った場合と担わなかった場合です」

彼が語った未来はこうだった。

担った場合。妻と孫を連れて水族館にいた、楽しかったと。担わなかった場合。離島の病棟にいた。閉鎖病棟の個室で

他の患者との接触は制限されている。自由な交流を許された場合には、一攫(かく)千金したギャンブル話で花盛りとなって悪効果になるからの制限だろうと思った、と語った彼は娯楽の無い孤独の生活は囚人の独房だと漏らした。

そこで覚醒させて、妻を部屋に招いてから言った。

「ご主人の現世での課題は〈欲の自制〉でした。そして十年後ですが、課題を担った方は家族での楽しい生活、担わなかった方は寂しい生活でした。詳しくはご主人にお訊ねください」。

それから彼に向き直った。

「課題を担うか担わないか、選択し決断するのは御自身です。貴方の人生は貴方が創る他に無いのですよ。実存ヒプノは以上です」。

彼は私の眼をみて言った

「課題を担う方を勿論選びます。今日をもってギャンブルからキッパリ足を洗います」

「よろしい。鳥にすら一(いっ)巣(そう)一枝(いっし)の楽しみ有りといいます。限りない欲で身を亡ぼすのは鳥にも及ばない、そうなりませんか」。

それから私は女を見やった。目は潤(うる)んでいる、何度も同じ言葉に騙(だま)されたという目だ。それでも今度迄は信じてみたいという強い眼差し。

「よろしい」。

同じ言葉を強く繰り返すと私は別室から用意の書類を持ち出してきて、テーブルに置いた。

「新たな旅立ちを決められた貴方にハナムケを準備しましょう。漢字では贐(はなむけ)は大きな祝宴,餞は逆に小さな祝宴の意味らしいですが、どちらをご希望か」。   

僅(わず)かにはにかみを浮かべて彼は答えた。

「どちらもお断りですね、食事でしたらもう結構」

「それならば御餞別に致しましょう。用意したのはこのハウスの購入契約書です。ご覧なさい、本家屋を暴力団事務所として使用させない等の確約もある、きっちりした物件です。この権利証を差し上げましょう」。

はにかみは消え、男は怪訝(けげん)な顔になった。

「でもタダで差し上げるのでは面白くない。貴方はギャンブラーだった。どうです、賭けませんか。家の価格を当てるという賭けです。三十頁有るこの契約書の中に購入価格を書いてある頁があります。前後で十万円の範囲内は当りとします。いい環境ですよ、ここ。一番近くのパチンコ店まで車で一時間はかかる、誘惑を断つには最適だ。簡易民宿か外国人用ゲストハウスでもやれば工夫次第でいけると思いますがね、いかが」

「フム。では逆に負けた時、つまり価格を当てられなかった場合はどうなるんでしょう。賭けだ、当然何らかの条件はあるでしょう」

「ええ。貴方が負けた時は」

一呼吸おき、交互に二人を見てゆっくりと言った

「奥様と別れて貰います。貴方の依存症がこれまでどんなに奥様を苦しめてこられたか、お気づきと思います。別れたいという気持ちに揺れながらも踏み切れずにいた奥様です。苦しみから解放して差し上げたらいかが。すぐとは言いません、三か月以内でどうです。離婚したら彼女は自由です。誰と再婚しても当然文句は付けられない。例え、それが私だったとしても」。

穏やかだった彼の眼が真剣味を帯びたのが解った。隣で彼女が息を呑んだのが伝わってきた。

 

「ブンよ、その女に思い入れでもあったのか、昔関係があったとか。家を賭けるとはな」

モモが電話で訊く。

「誘った事が一度有る」

「はぁ」

「二人で飲んだ時に賭けた、彼女が負けたら一晩付きあうという勝負。ブラックジャックでの一回勝負は彼女の勝ちだった。負けた代償は何だったか思い出せない。勝負には負けたが自信を貰ったよ。こんな俺、既婚で何の見栄えもしない男との勝負に付き合ってくれる女性がいるという事に」

「ホントかい」

「ホントだ」

「俄(にわ)かには信じがたいが」

「ほんとだ。だが、その後は何もない。今更プロポーズを引き受けるべくも無いだろう」

「はぁ。なら何故賭けた」

「二十年前の返礼よ」

「家を、かね」

「 元々は妻と二人で民宿を始めようと思って求めたセカンドハウスだ。妻亡き今、価値は無い。それで彼女が悲惨な共喰い生活から脱せられるのならお安いプレゼントじゃないか」

「ヘ。そんな大口カンパせずとも必要な小口のカンパなら山程あるぜ」

「尤(もっと)もだ。今のは綺麗事だ。モモ、俺がマジックを特技としているのは知ってるだろ。契約書の中には異なる数字を二枚用意していた。どちらの頁でも俺が開(あ)けられるようにな」

「彼は外したのか」

「いや」

「何だと。当てさせてやったのか」

「どちらも違う。彼は穏やかな目に戻って言ったよ。〈賭けは止す事にします。先刻封印したばかりのドーパミンが大量に復活すると困りますからね〉とな。よし、大丈夫だと思ったよ」

「フン、いかさまディーラーにしてはいい結論だったじゃないか。依存症対策は本人の覚悟以上に環境浄化だ。カジノ阻止にも力を入れないとな。大体、政府自らが最大のギャンブラーなんだからどうしようもないがな」

「オルタナティブ投資か」

「そうだ。俺らの大事な年金資金を海外の不動産に投資するハイリスクをやっていながら国民には実態を報せない。とんだ胴元野郎だ」

「同感だ」

「このイカサマにも騙されんように目を光らせんとな。それよりブン、自分の賭けの方はどうするつもりだ」

「自分の賭けって何だ」

「再婚よ。結婚こそ人生の最大の賭けというだろ。お前、みよ子さんとの賭けには勝ったと思ってるんだろ」

「ああ。大当たりを引いたね」

「次の賭けには挑まないのかね、もう」

「次の賭けねぇ」。

答えながら庭のモクレンに目をやる。二百個ほどの蕾の枝ではヒヨドリが開花を待っている。

「枯れ木だと自分を思ったら、花は咲かせられないぞ」

と勢いづくモモに答えた

「そうだな。もう一人子供を生(な)して革命戦士に育て上げるとするかね」

「いいな。グッドタイミングで法ができるわな、家庭教育支援法というヤツだ。家庭教育支援の公的政策に地域住民は協力する責務を負う、責務だぞ。地域住民の大いなる支援を受けて革命戦士を育てるんだな」

「相互扶助という隣組に見張られて革命戦士を育てるのは容易じゃない。育つのは戦前の小国民でしかありえない」

「それよ、臨戦体制を巧妙に作るのこそ敵の狙いじゃないか。付け加えれば、だ」

「何だ」

「困難の中でこそ人は鍛えられて成長する、それがお前の眼目だろうが」。  

耳を劈(つんざ)いてきたのは、逆境等、足蹴にしてみせるぞと言わんばかりの、ヤツの高らかな笑い声だった。

               完

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