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西郷(セゴ)どんと遇ってきた少年 

‐‐実存ヒプノ七       

いらっしゃいますか。九州最南端の澄んだ大気を切り裂き、飛び込んで来たのは溌溂とした声。吾がヒーリングハウスでは耳にする事の無い心地よい響きに扉を開けると一人の少年。マウンテンバイクを背に、憶えてますかと問う童顔に見覚えがあった。
「おお、厨房(チューボー)クンか」。

「もう高校生ですよ」と応えた彼は、中学時に母に連れられセラピーにやってきた少年だ。

「飽きっぽくて何をやっても長続きしない」事を心配した母が連れて来た。

 過去生に退行すると、島津藩お抱えの調理頭石原様の元で見習いをしていると答えた。

 「長続きしない事への教訓は『急っ鍋滾らず』と言うものだった。意味は煮物を急いで、蓋を取りすぎると煮る事が逆に遅くなる、と言うもの。じっくり落ち着いてことを構えよの意味となる。

「西郷さんの没後百四十年の例大祭に出たら先生を想い出して」と語り始めた彼が、西郷ファンになったきっ掛けは陽羅義光著『小説西郷』だったという。過去世催眠(ヒプノ)で、江戸末期の島津藩お抱えの料理人見習いだと想起したので、同著を進呈したのだった。

 景勝鹿屋バラ園へと車で案内すると「開聞岳でしょ、あれ。標高をご存じですか」と訊いてきた。

「元山男ぞ、知らんでか。九二四よ」

「流石(さすが)だな。西郷さん命日と同じなんですよね。根占(ねじめ)の湯に浸かって薩摩富士を眺めていた時に弾薬庫事件の報が届き、『しまった(チョッシモタ)』と発して西南戦争へと担ぎ出されるんでしたね」「よく知ってるじゃないか」

「フフ。西郷さんと遇ったんですよ僕」「何ちな」。

 彼の話はこうだった。催眠(ヒプノ)体験後、自己催眠に誘導できるCDを手にいれ、過去世を体験した。西郷どんとは幕末での調理人の生を終えた中間世で遇ったという。

 「声をかけられたんです『イケメン(よかにせ)君(ドン)、旨か豚骨の作り方を教えて呉いやんせ』」と。で、焼酎と黒糖で煮る方法を教えてたんです。

 そしたら「旨か蒲鉾はドゲンすればできるけ」と割り込みがあって、「視察な金玉ドン、俺(オイ)の方が先じゃが」と前の方が言い、「ご無礼じゃした、陰(いん)嚢(のう)さぁ」と後者が引っ込んだのです。卑語で呼び合う二人でしたが、 後の金玉(きんぎょく)氏の方が陰嚢氏に敬意を表しているようでした。

 それから蒲鉾製法に移ろうとしたら「鹿児島ん衆は蒲鉾よっか薩摩揚げを喰わんこて」と陰嚢氏が異を挟(さしはさ)んだりして食物論の後、政治論へと移っていきました。

 その頃には陰嚢氏の正体が西郷さんで金玉氏が川路利良氏。そう、西郷さんに引き立てられて初代警視総監にまでなりながら、下野した西郷さんに密偵を送った奴だと判りました。密偵の目的等の話題は出るべくも無く、朝鮮半島の話になりました。

「陰嚢さぁ、侮蔑的な行為を我が国に続ける輩を黙って見逃す手は無かち思いもすが」

「うんにゃ。急速は事を破り寧耐が事を成すとじゃ。冷静な判断こそ肝要ごわす」

「そげん事言うちょる間に敵は戦の準備をしちょいもそ。国防こそ国難突破の要。喫緊(きっきん)の課題と」「間違(マッゲ)じゃ、そいは。戦争ちゅうのは外交の放棄じゃが。こげな時こそ信義を尽くした外交対話が必要とさるっとじゃ。斬首や刺殺とか論外でごわす」

「うんにゃ、今ぞ国民一丸となった国防です。民に外敵を見据えさせて国を纏める、これぞ王道です。国論統一には報道統制、放送法の厳格化からですな。次に緊急事態条項導入による憲法停止。特別高等警察による反戦主義者の摘発、準拠法は治安維持法もとい共謀罪法。えい、呼び名はドゲンでも良か。特別裁判所設置で軍人処罰の迅速化」

「待ちやんせ。そいは覇道じゃ。果てなき軍拡競争の罠に嵌るが畢竟(ひっきょう)、出口無しの隘路(あいろ)でごわす」

「甘か。失礼じゃが陰嚢さぁは温泉でふやけたごたる」。
 熱くなった討論に突然割り込みが入りました「お前(オマン)さぁ達は戯談(ハラグレ)をしちょいやしとな」と。

「おや、ユウレイどんじゃっごたるな」と応えたのは陰嚢もとい西郷さんでした。ご存じのように中間世というものは肉体が無いので霊性はイメージ化によるしかないのですね。幽霊とはその点が異なるんです。割り込みした人物の正体は最初判りませんでした、と少年は語った。
「金玉さぁの論には抜けがありもす。兵が消耗品だチ視点じゃ。長期戦や負傷兵が大量に出た時の兵補充策が無か。軍人志望を増やすにはドゲンすればよかか。聞きやんせ。不況(デフレ)策を続けて失業者の軍志望者を増やす。多額の奨学金を背負わせ、軍歴を務めた者には返還免除とする。学校では男女ともに銃剣道等の軍事教練を必修とし、予備役扱いとする。祖国防衛意識が国民に徹底した後に徴兵制じゃ。ドゲンな」。
校長の訓話みたいに長かったユーレイ氏の話しぶりから初代文部大臣の森有礼だと思いましたね。
「国民皆兵や徴兵制はならん。俺(オイ)は絶対反対でごわす」と西郷さんが反論した時、過去世催眠が終わってしまったのです。いわゆる『征韓論』でなく話し合い外交を彼が主張したという事が少し理解できました、と少年が語ったところで家に到着したのだった。
「元社会科の先生でしたね。現実の北朝鮮問題、どう考えたらいいのでしょうか」との彼の問いに即答した「金持ちが戦争を始めて死ぬのは貧乏人だ。それを心に留めて考える事だな。サルトルの言葉だよ」。
「解りました、また来させて下さい」。
 言い残して少年は勢いよくペダルを漕ぎ出している。   終わり

 

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