top of page

共喰い 実存ヒプノ五

              

  ドアチャイムの返事もせぬうちに、いるかねとの声。憶えがあった。吾が〈ヒーリングハウス北緯三十一度〉に死なない法を求めて来た客で強欲野郎とモモが名付けた男。

「過去世が牧畜業だった方ですね」

「牧畜業だぁ、ハードロッカーと呼んでくれ」

「何ですと」。

 見ろ、と開いたクーラー箱には氷の間に赤や黄も鮮やかな多くの魚。

「ハタじゃないですか、店頭に出ない高級魚」

「ほ、ご存じか」

「勿論。昔は遊漁船吾(わ)愛人(かな)の船長をやってたんですからね」

「そうか。こいつで一日の幸せを味わわないかね」

「おや、一生幸せになる術(すべ)をも習得しておられたとは意外だ、快諾ですな」。

 

   海岸のゴミ拾いに彼が行っている間に、アカとキジのハタにアラカブを刺身と焼きと煮魚用にと処理し、残りは腸(わた)を出して塩を振って冷蔵した、明日にでもモモと飲(や)ろうと。

「酒池肉林の肉食派とばかり思ってましたよ。七日の幸せはご卒業か」

「豚かい。肉のみはトンと短命を招く。前のヒプノで〈長生きしたければ、喰う寝るするを控えよ〉と告げられたろ。で、改めたのよ。荒磯の切れ込み(スリット)を探るのも新鮮なものさ、女性のも悪くないがね」

「ゴルフとかは」

「球を男が追ったら、ゲイだろ、共喰いみたいじゃないか」。

   話は続いた「鹿児島での仕事が早く終わって荒磯釣り(ハードロックフイッシング)をやろうと考えたのさ。買い求めた道具は福岡に既に返送したんだが魚は鮮度が落ちる。で、持ってきたんだ」と。

「円高もあって輸入業は順調だった。が、潮目が変わった」。

  愚痴に移った、会社を継がせようと思っていた息子が妙な事を言い始めた、〈独立して起業したい、自動車中古部品の輸出業だ〉と。

「反対したよ。自動車リサイクル法に廃棄物処理法など国内法に相手国の法律だろ、加えてバーゼル条約など多くの規制をクリヤするのは大変だ。ましてや円高で輸出業は逆風だ、と言っても聞く耳を持たない。自動車解体の資格を取って、同業者の施設を購入しようと動いているんだ」。

  ハァ、男は自信家らしからぬ溜息を漏らして続けた

「頑固は親譲りでも、俺が築きあげた財産を死後に食い潰すかと思うとやりきれん。〈親の心、子知らず〉というが、今の連中は孝も知らずなのかね」。

   旨い魚に、銘酒〈魔王〉の進んだ私は口を挿む

「孝ねぇ。〈父母に事(つか)えては幾くに諫(いさ)む。志の従われざるを見ては敬して違わず〉ですか」

「それそれ。〈労して恨まず〉よ。さすが先生だな」

と、上手く乗せられて、飛び込み客の実存ヒプノを引き受けている。

 

   翌朝。催眠導入に小さく音楽を流し始めた途端、男が言った

「〈魔王〉じゃないか。疾走馬は落ち着かないだろ」。

「ごもっともだ、失礼」。

    男に以前〈隙駒〉の話をした事を思い出した私は慌てて曲(シューベルト)を止め、催眠へと導いている。

「現在に最も関係深い過去世です。どこですか」

「叢(くさむら)だ」

「何をしています」

「用心よ。油断すると命を獲られるからな」

「命を、 誰に」

「シッ、ボスによ」

「ボスって。あなたは誰ですか」

「静かにしろと言ってるだろ。シッ、シ」

    額に脂汗が滲み、落ち着かない様子の男を誘導した。

「その生を終えた中間世です、前世は何でした」

「シシ、ライオンだった」

「ボスに命を狙われていたとは」

「父(オヤジ)を殺したヤツが新ボスになった。ボスは群れ(プライド)の若い雄の命を虎視眈々と狙っていた」

「虎視耽々ねぇ。共喰いですか、地位を守る為に」

「喰う事もある。が、共喰いというより子殺しだな。育児中の雌は発情しないから子殺しして交合を企てる」

「現世との関係は」

「ボスは息子だったような気がする」。

   前世でシシの貌が息子に似ていた訳ではない、雰囲気をそう感じたという。

   輪廻転生論で正確に言えば、動物には〈転生〉とはしない。一時的に〈宿った〉とする。

   覚醒後、彼の話はこうだった。動物を選んで宿る例は稀だ。よって人間でいう〈愛〉など学ぶべき課題も滅多にはない。今回は生存の厳しさに身を置いたという事か、と。

「だが食われずに済んだ。俺には走力があったからな。が、ボスが俺を殺らなかったのは餌取りに貢献していたのを知ってて見逃してたんじゃないか」。

「どうします今後、息子さんと」。       

   普段は控えている忠告をする気になったのは余韻か、昨晩の銘酒のなせる、高揚した肯定的自己(イリュー)錯覚(ジョン)が続いてたようだ。

「財力に余裕があるのなら貴方の目の黒いうちに新規事業をさせてみたら如何。静観して失敗から学ばすのも教えです。男のやる気を殺(そ)ぐのは去勢と似てませんか。落ち込んだ去勢犬を見かねて人工(ニューティ)睾丸(クルズ)なるものが開発され、付けられた雄達が途端に精気を取り戻したとの話もあります」。

 

 「金持ちは納得して帰ったのかい」

と、訊いたモモに頷く。

「動物園のライオンだが、去勢すると鬣(たてがみ)が貧相になるからと今はパイプカットらしいな。ブン、その共喰いとか、子喰いを幾世代に亘って研究した事例は無いだろ。共喰いはプリオンを生み、脳機能障害に陥るというのは狂牛病が証明済みだ。人肉共喰いのクールー病も同類」

「それが摂理かい、禁忌の」

「俺は、摂理説は採らない。ただ〈骨噛み〉に関していえば、だ」

「何だ、モモ」。

  私が愛妻の遺骨を斎場で噛み、飲み込んだのをヤツは見ている。

「人間的なあまりに人間的な、愛情表現の一つとして認めよう」

「マルキストがニーチェを使うな」。

  白い歯を見せて続けた

「動物と異なり、類的存在としての人間は意識した生命活動を行う。そこに歴史というものが作られる。出典は経哲草稿。ならどうだ、狸の金玉(きんぎょく)でマタ一杯」。 

 空コップを勢いよく突きだしてきたモモだ。  終り    

 

bottom of page