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​ラストダンスはチークでーー実存ヒプノ5

   (作者注ーー内容はあくまでもフィクションです)

「ブンタロ、お前、〈一人チーク〉は封印したのか」

「まぁな」「という事は、婚活にケリをつけられそうかね」「ケリね、そう容易くはない、何よりキン力に自信がない」「キン力だと。性力か財力の方か」「どっちもだ、モモ。同じ歳だ、解るだろ」「男は自信だぜ、お前、もう一人、子供を生すとこの前ヌカシタばかりじゃないか。それ、狸の金玉(きんぎょく)だ、また一杯」

と、遠慮なく酒を請求するモモがやってきたのはイブの日だ。昨年やってきた時も、クリスマスを一緒に過ごす女はいないのかと嗾(けしか)けてきたので、クリスマスファシズムの商業主義の先導を担ぐつもりかと反撃してやった記憶がある。モモことモモジローは凡そ半世紀前、学生運動時の同志だ。被逮捕後消息不明になっていたヤツだが同じ街の平和市民運動で遭遇してから、交流が復活した。四年前に俺が妻に先立たれてからは、よく訪ねてくるようになった。〈一人チーク〉とは俺の宴会芸である。運動時の血気盛んな頃、指導者のカムイは仲間内の飲み方を禁止していた。口論転じて喧嘩になる事を予想していたからだと思われるが、現実そうだった。喧嘩を防ぐには、とそれぞれが編み出したのがいわゆる宴会芸である。モモは「ドイツ語版野ばら」の歌唱だった。男性合唱部に所属していたからときいた。一度だけカムイの舞踊をみたことがある、「流転」に合わせた正調の日本舞踊だった。俺は二つを持ちネタとしていた。一つは「座頭市」である。棒を居合刀に見立て白目を剥きながら低音で歌う座頭市の物まねは評判がよかった。が、間もなく封印した。今更盲人のマネでもあるまいと。もう一つが〈一人チーク〉だった。スタイルはこうである、胸の前でクロスさせた手をそれぞれ肩にかけ、後ろ向きになる。そうして踊りだすと観客からはあたかも手を乗せられて二人で踊っているチークダンスに見える。曲は客が歌える歌ならなんでも良かったのだが、俺が好んだのは当時人気のあった藤圭子の〈新宿の女〉だった。誰もが知ってるフレーズ〈バカだな、チヤチャチャチャン。バカだな、チャチャチャチャン。騙されちゃって〉から合唱に合わせて大げさに腰をくねらして喝采を引き起こしたものだ。

「封印するもなんも、見ろ」

 向き合ったままで、クロスして挙げた両手をモモに見せてやった「手が肩に届かない」

「体躯の変化という訳か。歳をとるもんじゃないな」

 ひとしきり笑った後で、モモが訊いてきたのは夭逝したカムイに思いを馳せた時だった。

「で、東京はどうだった、女捜しの旅は」。

 露骨な物言いだが、折に触れて再婚を勧めるヤツが俺の身を案じていることは伝わってくる。

妻に先立たれて四年目、齢六十八となった。晴耕雨読で家庭菜園をたしなみ、時たま依頼のあるヒプノセラピーに反戦反原発の市民運動が柱である。元気なつもりでいたが、師走になって大ケガを続けてした。一つは呑み過ぎて転んで頭を打った。出血が止まらず、救急車に来て貰いホッチキスで縫合した。施術した担当医は歯科医師だったが、彼が言うには「アンタ、常用の血液サラサラ薬をここ飲んでなかったって? 不幸中の幸いというか九死に一生だったな、危うく失血死だったな」と。もう一つは呑んでなかったのだが自宅の階段を踏み外した。足の甲の靭帯は切ったが骨折は無いと言われたのが上京予定の三日前。松葉杖とギブスでは移動困難だろうとの医師の判断でサポーター着用をして上京する羽目となった。

「〈最南端〉を引っ提げて上がったよ」「その足でか、一升瓶だろ」「ああ、オオボラ吹いてきた」「何てな」「今年の漢字一文字は〈北〉だったですが、来年の風は南からでっせ、西郷ドンも始まる事ですし、とな」「お前らしい、で、女の方は」「待て、それで全作家を一次会で退席する時、女(スケ)を待たせてるんでこれにて失礼と人差し指を見せつけるようにしてバイバイしたさ」「で、女は」「デイトは翌日。三人の美魔女に囲まれてハーレムだったわ」「おう、中の二人は独身。三十二年ぶり再会の元女子(ジェイ)高生(ケイ)」「そのジェィケイって何だ」「女子高生の略、知らないのか」「知るか、で今幾つだ」「四十七。熟れ頃」「ヘッ、その中に本命はいたのか」「勿論よ、独身の一人。遇うなりハグしてきて、乾杯するとすぐに抱き着いて頬にチューしてくれた」「ホントかい」「ほんとだ。その娘がチュー写真をフェイスブックにアップした証拠もある」「ヘッ、どんな女だ」「若かりし頃の秋吉久美子だ、プッツンも一緒」「プッツンだと」「トンでる、ところ。俺のクラスになったハナからまとわりついてきた、最初に名前を憶えて貰おうとしたんだってさ」「ふーん。それで」「明るくて優しい気遣いができる娘だったが、教師達には跳ねっかえりだと思われていた。俺は忘れていたんだが、先生は恩人だとこんな話をしてくれた。母と喧嘩して家を飛び出そうと退学を決めた日、異変を察したか俺に呼び出されて占いをされたんだと。結果も今の決心は誤りだ、やめたがいいと言われて翻意して帰宅したら母が泣いて喜んだんだ、と」「占いは信頼されていた。催眠もやってた。授業では映画も見せてたし、学校行事の時は焼きそば、たこ焼き、かき氷など大量に作っては振る舞っていたよ。生徒たちに言わせると毎日がカーニバルだったってさ」「お前らしい、型破りだな」「楽しい学校にしようと心掛けていた」「でも管理職からの評価は悪かっただろ」「そうでもなかったよ。校長の息子も在学していたんだが、彼の評価がよかったんじゃないか。離任する時、校長が、生徒達との心の交流を目指したホントの教育だったと送ってくれたからな」「お前にとっちゃ過分な評価だな」「フン。じゃ、もっと羨ましがらせてやる」「なんだ、ブン」「離任する時、生徒達から寄せ書きの色紙を貰ったんだが、例の秋吉久美子は『大人になったら一緒にのみましょうね、きっとよ』と書いていた、もっとある」「何だ」「プレゼントと言ってビデオテープをくれたのさ.。何が映っていたと思う。美少女のパンチラ映像よ」「パンチラだと」「おう。カメラに近づいてきた久美子がウインクするや、振り向いてスカートを捲るのさ、純白のパンティが一種映し出されるというお宝映像だった」「ほんとかい」「おう。嫁の眼を盗んで隠し見るのを楽しみにしていた。が、いつの間にかどこかにやってしまった。記憶も曖昧になってたんだが、この前の再会で、別の娘が証言した、ホントに撮影したと」「という事は、石屋の引っ越しか、ブン」「何だ、お前もその娘に気があったという訳だろ。なら、オモイオモイの両おもい、となるだろ。時は来たれりじゃないか、何歳下だ」「二十一だ」「離れてるな」「秋吉久美子の再婚相手だって二十六下の男だったぞ」「なら、後は決心次第と言う訳か」「大きな壁が有った」「なんだ、相手は独身なんだろ」「ああ、五人の子育て中だった」

 

 ヒプノの依頼がきた。ホームページ「ヒーリングハウス北緯三十一度」をみての依頼はメールでやってきた。相談内容は面談の時で無いと言えない、と言う。が、できるだけ早くヒプノをやって欲しいとの依頼に対し、何回かのメールでのやり取りをした。本来なら、依頼内容を聞き出して、心理療法の準備をするのが万端なのだが、特定の信仰無し、現在心療内科への通院無しという事で引き受けた。

 五十を過ぎたばかりという女は女優と名乗っても不思議でない整った顔立ちで年齢を感じさせなかった。ただ、顔に精気が薄いという事を除いては。

「嘘をつきました」と女は挨拶直後に言った。現在心療内科に通っている、抗うつ剤を服用していると。

本来ならセラピー対象外とすべきお客(クライ)さん(エント)である。

が、話をきいてみることとした。円形脱毛が発症したのは四年前。医師は自立神経が変調をきたしている、原因である夫との別居を勧めた。〈この人なら私らしく生きさせてくれる〉と思った夫との結婚は三十年近い。幼くして両親と事故で死別した自分は厳格な祖父母に育てられた。今の夫は紹介で知り合い猛アタックを受けて二十歳で結婚した。早婚は愛に飢えていたからと思う。二十五歳になる長男は作業療法士として自立し、高校生の次男と二人で暮らしている。夫が家を出て三年になる、女と暮らしているようだ。夫の態度が突然変容した理由は解らない。職場環境が変わったといったストレスからか、女ができたからか、暴力を振るうようになった。医師からの別居の話を切り出すと夫が出て行った。パートに努めているが生活費に難渋している。夫との離婚を請求していて、成立すればまとまったお金が手に入れられるのだろうが夫は印を押してくれない。時たまやってくる夫は体を求めてくる。拒否すれば暴力が怖いので体を任せている。そして満足した夫は幾らかのお金を置いていく。夫の満足した顔を見るのが嫌で、一方、生活資金を当てにしている自分も嫌なのだがどうしようもない。そこでヒプノ依頼に来たと語った女性に言った。

「あなたの話は、精神障害患者にみられがちな保身的な論理や矛盾性が極めて少ないと思われる。聡明な方とお見受けした」

「精神病(サイコ)質(パス)ではないと?」

 魅力的な白い歯をやっと見せた女だった

「専門用語を知っておられるんだな」

「こちらのHP(ホームページ)を真剣に見指して貰いましたの、特に〈心理学講座〉は三百回を超えていたので時間はかかりましたけど」

 女の熱心さに押されてヒプノセラピーの開始とする。現生の課題は何としますか、に女はきっぱりと言った「夫との関係です」

「目を閉じてリラックスして下さい。身心が落ち着いていくにつれ、貴方の魂は過去に戻っていきます。

現生と最も関係深い過去が浮かんできます。何がみえますか」「井戸です」「あなたは何をしています」「水を汲もうとしています」「目を開けてください」

 リクライニングに沈んだまま、目を開いた女性に

説明する。

「今のは過去生ではありません。貴方の想像です。

まだ催眠をしていないのです。殆どの人は今の状態では何も浮かばないのですよ」

 何故このような解釈をここで入れるかと言うと、

真にヒプノで過去世を想起した時、自分の想像だと言い張る依頼者もいるからである。その論を封じるためのトリックである。納得して貰い、真の催眠へ。

――何がみえますか

「レンガ造りの家が幾つか。遠くに鐘のある建物、あ、教会です」

「何しています」「家に帰るところです」「場所わかりますか」「エディン バラというところです」「そこはどこ」「スコットランドです」「それはどこです」

「北部ブリテインです」「そうですか。名前、年齢を教えて下さい」「リリーという名前でしたがアメリアに変えられました。十歳です」「他に解る事を教えて下さい、年代とか」「千八百年を過ぎたとこです」

「家にいますよ、何をしています」「食事をとってます」「何を食べてますか」「パンそしてスープです」「どんなスープなの」「豆が入ってるので緑色です」「周りの人を教えて下さい」「誰もいません」「そうですか。別な場面です。一緒の食卓にいる人は誰」「母と伯父さんです」「オジさんですか。お父さんは」「二年前に亡くなりました。その後に母と私は父の兄である伯父さん宅に引き取られて三人で暮らしています」「どんな生活ですか」「母が再婚した伯父は薬草業してます」「薬草業?」「はい。ユリ(リリー)やひ(サン)まわり(フラワー)などを育てて薬にしているのです。他に香草(ハーブ)や薬木なども栽培しています。私の名前が変えられたのもその為です」「どういう事?」「父がつけてくれた名前のリリーは、色白で細身の私には似合っていると母も言ってくれて気に入ってたのですが、商売上、紛らわしいと伯父が勝手にアメリアにしてしまいました。働き者という意味です」「そうですか。貴方は新しい父が好きでないと」「ええ」「では、現生との関係を教えて下さい」「父母は現生の父母でした。新しい父、伯父は今の夫です」「現生に繋がる課題とは何でしょうか」「〈無言〉」「成長させましょうか、二十歳です。何をしてます」「台所の片付けと選択です」「伯父さんの家ですね、お母さんは?」「亡くなりました。病気です。私は何もしてあげられませんでした」「そうですか、お気の毒でしたね。現生の課題は解りますか」「解りません」「では三十歳です。何をしていますか」

  ーーー以下、後編に続く〈後編アップしました〉

              

 「スケッチをしています」「何を」「新種の薬草です」「薬草、という事は伯父さんの仕事ですね。今の状況を教えて下さい」「伯父が夫になりました。でも連れ子でしたので夫婦と名乗らず周りは私を家政婦(メイド)として接しています、薄々は気づいているのでしょうが」「スケッチとは」「発表の為です。分類して効能などの解説を書き加えていきます」「ご主人は?」「足腰が弱くなって採取などフィールドワークには私の手伝いが欠かせません。視力も衰えた為に新種薬草の彼のレポートは殆ど私が書き上げています」「そうですか、他に家族は」「いません。二人だけです」「現生に繋がる課題は何なのでしょう」「解りません」「ではその生を終えて中間生です。何を思っていますか」「私は子供に囲まれた優しいお母さんになりたかった。でも出来なかったわ。母は看取れたけれど私自身は寂しい最期でした。課題でしたね、自由です。自由こそが自分らしく生きられるのだと」「では、魂は現生へ戻り、未来へ行きます。五年後です。自由という課題を引き受けた未来と、引き受けなかった未来です。まず引き受けた方ね。何をしています」

「椅子に座って誰かと向き合っています」「どこですか」「狭い部屋、会議室みたいな」「何を語っています?」「人生相談みたいな」「もっと解りますか」「カウンセリングみたいです」「え、カウンセラーなの?」「ええ。切実な依頼に私も懸命に答えようとしています」「楽しい?」「と言うより、やり甲斐らしいものは感じていますね」「そうですか。では課題を担わなかった未来です。何が見えますか」「何も」。

執拗に誘導したが、何も見えてこないと言うのでヒプノを終了した。翌日メールが届く。

「昨日は有難うございました。延長までして戴き、時間の経つのが早かったこと! 先生ご自身の誠実なお人柄、チャレンジングでユニークな生き方がセラピストとしての在り方にまっすぐ繋(つな)がっているんだなと思いました。 自然豊かな場所で晴耕雨読しながら、人の為になる仕事をする…というのは、私の憧れのライフスタイルです(笑) ヒプノセラピーの提供だけでなく、共に過ごす時間をクライアントさんと一緒に精いっぱい楽しむというスタンスが素晴らしいなあと思う事でした。また寄らせて下さいね」。

返礼メールを送って二週間後、再メールが届いた。

「お元気ですか。ご報告があります。私、ある心理学研修セミナーに参加する事にしました。半年で百時間の講習で家族療法セラピストの資格を得られるというものです。ヒプノ体験をさせて戴いて関心が擡(もた)げてきたところにセミナーを知り、扉を叩いたという次第です。同期生の中に先生に催眠をして貰ったという男性がいらして先生の話で盛り上がりましたよ。資格取得まで頑張ろうと思います。でも、先生の知識と経験はセミナー同様に魅かれるものがあります。また勉強に行かせて下さい。今度は一泊の佐多コースが希望です」

 

「誠実な人だと、お前がか、ハハ。自然の溢れたところで畑作をしながら人の為になる仕事をするのが憧れだと。ブン、その彼女と一緒になったらいいじゃないか」「離婚が成立してない」「どんな女だ」「美人だ、理知的で控えめ」「女優でいえば」「酒井和歌子かな」「青春時代のマドンナだな。いいんじゃないか。催眠使ってでも早くモノにするんだな」「催眠(ヒプノ)で離婚を急(せ)かすのか。立場を利用して改憲を急がせるアベに似てないか、モモ」「なら撤回しよう。だが今年はいよいよ正念場だな」「そうだ。考えてもみろ、長年の政権の間に世界有数の戦力を作っておいて今更にして九条との間に齟齬(そご)を生じたから改憲なんて本末転倒だ」「盗っ人猛々しいわな。ブン、お前、モリカケ問題をどうみる」「国権の私物化」「それ以上よ、戦争準備さ。森友にさせようとしたのは皇国教育のモデルだ。カケにやらせようとしているのは兵器転用可能の生物化学研究さ。専門家の生物(バイオ)災害(ハザード)の警告なんか無視だ。これらを抱合するものが九条形骸化の戦争準備内閣だ」「改憲反対の三千万署名活動を広めんといかんな」「そうだぜ、ブン。お前が夢見る幸せな家庭は平和な社会あってのものだと肝に銘じて置く事だ。解ってるな」「幸せな家庭だと? 別に夢見てるわけじゃないし」

 

例(くだん)の女性からメールが届いた。

「今日セミナーで学んだのは〈共依存〉」というもので、親子夫婦関係です。幼い頃の私が自分の感情を抑えていいコを演じていたのは〈見捨てられ不安〉からくるものだったという事。その延長に今の夫婦関係があり〈私が彼を支えている、私は必要とされている〉と思い込んでいい妻を演じようとしていた事、それは過去生にも通じる事では無かったかと。もっと勉強したくなりました」

 返答する。「片方が倒れたら共倒れになってしまう状態を共依存関係といいます。支え合うのを夫婦関係と思いがちですが、まずは個として自立した上で支えるのが本来ではないでしょうか。人から必要とされる以前に自身の中に生きる価値を見出す、それが真の〈自己重要感〉といえるものだと考えます」

 

  教え子の子供と遭遇した。尤(もっと)も精神(スピリ)世界(チュアル)では偶然は無く、共鳴(シンクロニシティ)が招いた必然とするのだが。寒気が押し寄せていた夜、繁華街で一人、生ギターを抱えて路上ライブをやっている青年だった。立ち止まる客は見られず、二十歳くらいの彼が尾崎豊を歌い終えたのをシオに近づき、屈(かが)んで語りかけた「浜田(ハマ)省吾(ショー)と長渕(ツヨ)剛(シ)を歌えるかい、曲はまかせる」。やりますと言うと、両手を服に突っ込んだ。使い捨てカイロで温めたかと思うや、楽譜集を捲(めく)ると歌い始めた。曲風の異なる二人の歌手(シンガー)の二曲を終えた彼の開いたギターケースに千円札一枚を入れ、他に何も入って無いのを確認して訊いた、どこからきたの。東京です。今夜泊るところは? に返答はなく幼い笑顔を浮かべた若者を誘った。ウチに来ないか、独り暮らしだから気兼ねは要らない、と。路上(ストリート)芸人(ミュージシャン)が寝袋一つで公園やビル街に寝泊まりするのは知っていた。家に青年を招き入れ、スト―ブのおでんと焼酎でもてなした。何故鹿児島への問いに、東京はヘブンアーティスト条例とかがあって路上ライブの規制が厳しい、それで感性を磨こうと旅をしている。寒い時期は南国がいいかなと、それに鹿児島は父親の郷里だしと健康そうな歯を見せて語った。催眠(ヒプノ)療法(セラピー)をやっていると語ると、父も高校時代に催眠をやった経験があるとの返答に自分の事だとすぐに直感した。県内で催眠をやれる教師を他に知らなかったし、父の出身だという土地には勤務歴があったからだ。だが青年の顔と苗字から父親の顔は思い浮かばず、訊いてみた、過去生は何だったのかな。考え込んだ後、彼は口を開いた「確か、〈といびき〉とか語ったような」「といびき、って」「鉱山の中で出水を汲み出す仕事だったとか」「へえ。いつの時代だったのかな」「無宿改めとかに引っ掛かってヤマへ送り込まれたと、江戸時代かな。憶えてませんか」「残念だけど。個別や集団催眠(ヒプノ)併(あわ)せて二千人はやっているからね」

催眠談義に話が弾んだ後、彼が言った、自分もやってみたいですと。で、翌朝実施と決める。飲酒後はやらないのが鉄則だし、青年は当HP(ホームページ)を見ていない。代金を貰うで無し、過去生が出なくても仕方はない、親子二代の催眠は過去数件やってきたが興味が湧いた。

――現生に最も関係深い過去生です。何をしていますか

「水屋が遅いんで、心配してんのよ」。

「水屋って」「水商い」「水を買うんですか」「当りきよ。来るのは間違いねえんだが、担ぎ屋の爺さんが転びでもしなかったかと、な」「もう少し詳しく教えて貰えますか」「何をだい」「どこでいつ何をしているかなど」「江戸は深川、商売は夜(よ)鷹(たか)よ」「夜鷹って街娼さん?」「からかってみたのよ。夜鳴きだ、蕎麦屋よ」「おお、いいなぁ」「何でぇ」「私も蕎麦打つんですよ、二八とか」「同業か、最近やたらと増えてるからなぁ」「いや、こちとらは趣味なんですわ」「そうか」「水屋を待っているとは?」「買う為さ」「井戸は無いんですか」「ここらは塩っぽくて使えないから買うしかないのよ。水は命だからな」「値段は」「一荷、二桶四文」「蕎麦は」「十六文が通り相場よ。だから二八」「おお。水屋さんの事を教えて貰えますか」「いいぞ。蕎麦はよ、捏(こ)ねに湯がきに出汁(だし)にと水は欠かせねえだろ。だから買っている。万一の用心の為に二人から仕入れているんだが、この二人ともが信用できるんだな。一度たりと御用に間違いはない。儲け無しの商売なのによ、見上げたもんだ。爺さんは引退したいらしいんだが跡継ぎが見つからないらしいや」「大変なんですね。で、出汁は何ですか」「鰹削り」「おお、私と一緒だ。他には」「よせよ。何で教えねばなんねえ。同業が増えてると言ったろ」「では、その生を終えた中間生です。どうでしたか、一生は」「はい。真面目に商売に精出して家族も養った人生でしたが、評判が悪かったのが残念でしたね」「どういう事?」「夜鷹蕎麦とか慳貪(けんどん)蕎麦とか良くは呼ばれなかったな。直接、自分の事では無かったのですが」「慳貪(けんどん)蕎麦とは」「つっ慳貪(けんどん)です。客あっての商売に愛想無しは駄目でしょう」「そうですか。では現生へのメッセージをお願いできますか」「出汁の話に戻りますが」「ええ」「隠し味は愛情とか言うでしょ」「はい」「調理とは美味しいものを召し上がって貰いたい、その真心に尽きます。音楽家(ミュージシャン)も同様でしょ、曲で自分が伝えたい心は何か、そこを見失わない事、以上です」

 

 「心を伝えるねぇ。で、その青年の未來生催眠はどうなった」「しなかった。彼が望まなかった」「だろうな。昔風に言えば青年は荒野を目指すものだ。未来を見る必要を感じなかったんだろ」「ああ、元気よく発(た)ち去った」「情熱(パッション)抱(いだ)く者は別のパッションつまり受難をも引き受ける覚悟で突き進めって事だな」。

頬を緩(ゆる)めたモモが真顔になって言った。

「水といえばブン、お前、水道法改正をどう思う」「改正だと。水は地方自治体運営だろ。ライフラインだ」「それが四月から、施設は自治体保有のままで運営権を民間委託できるようになった、コンセッション方式だ」「狙いは」「TPPの一環」「国鉄や郵政にしろ、民間で何か良くなったか。いずれ水道料金値上げや水質悪化など、利潤追求の民営化の先は目にみえている」「事は簡単ではないぞ、ブン。自治体の多くが赤字の水道運営に困窮している。設備の老朽化、担当能力者の減少、住民の節水意識などだ」「節水意識は大事さ。だが自治体赤字は税制を変革すれば簡単な事だ、だろモモ」「そうだ。世界中で多くの自治体が水道事業の民間委託に失敗して再公営化に必死に取り組んでいるのが趨勢(すうせい)だ。それよりもだ」「何だ」「国難だと非常事態を煽(あお)る以上に、飲料水の確保こそ根本の生命線だ。ライフラインは国の最重要責務とすべきだ」「同感だね。もう一つ重要な事がある」「何だ、ブン」「世界的自然災害や戦争が発生した際の食糧確保の件だ」「食糧安保か、前にも話した事があったな」「同じくこの四月に種子法が廃止された」「どういう事だ」「食を供給する責任は国に有りとして、戦後間もなく制定されたのが種子法だった。種子を大事な遺伝資源とみなして国が生産と普及に積極的関与していた、それを撤退して民間参入に道を拓いた」「TPPか、これも」「そうだ。多国籍企業が農産物市場を支配して安心安全な食べたい物を食べられなくなるというのは食糧主権の喪失だ。実際、俺が作っている野菜の種子は殆ど外国産よ。おまけにF1だ」「何だ、それ」「次の種を採られない」「種は毎年購入か」「そうだ、食糧支配だ」「男なら無精子症を作るにも等しい行為だな、F1とやらは。ところでブン、お前の家族計画はどうなってるんだ。革命戦士を産み育てる、というヤツは」「進行中」「そうか。残された時間は少ないぜ。期待しているわけじゃないがせいぜい頑張る事だな」

 

 新規メールが届いていた。

「初めてご連絡差し上げます。HPを拝見しました。心理学講座の一部を見て、アクセスさせて貰う気になりました。私、アラフォーの独身女性です。交際どころか人間関係すら作れません。女性の職場なのですが恋愛話が出るだけでもおぞましさに鳥肌が立ってしまう精神状態です。それでも結婚願望は強いのです。ヒプノご依頼できますか」

「メール有難うございました。恋愛恐怖症、男性恐怖症なりを克服して結婚したいとのご依頼とみてよろしいか。人づきあいが苦手とされるアスペルガー症でも根底には人好きな面がある事や、美女恐怖症を自認する私でも深層では美人好きという矛盾した面があるというのも真実です。貴方も自分の二面性に気付いておられるのではないでしょうか」

 少し砕け過ぎかと迷ったが、思い詰めたタイプには奏功(そうこう)する場合もある。そんな賭けに返事は来た。電話したいが時間のご指定を、と言うもの。そして電話が来た。

  「初めまして。緊張するものですから、お酒を一杯戴いて電話しています」「全然かまいませんよ、貴方のお酒ですし。私も酒好きです。ですから飲んでからの電話は禁止というルールを作るつもりもありません」。良かったぁ、に続けて小さな吐息を洩らし、女は続けた「二面性で仰(おっしゃ)りたかった事は何でしょう」「その答えは後にしましょう、貴方は気づいておられる筈だから。男性だけでなく女性とも会話ができないとの事ですが、幼い頃から引っ込み思案でしょうか」「いいえ。小学生の頃は活発でした。勉強も運動も好きで男子達ともよく遊んでいました」「どんな遊びを」「普通のです。鬼ごっこに陣取り、影踏みとか。それにスカート捲(めく)りもよく狙われました」「それってイジメで?」「じゃないと思います。自分で言うのは変ですが、かわいくて人気者だとその頃思っていたんです」「それで」「ある時、男子達の体臭を嗅(か)ぎつけてしまったんです。汗が動物の生臭い匂いに思えてきたの」「うん」「それから匂いが気になりだして嗅ぎ分けるようになりました。いつかそんな自分が気づかれるんじゃないかと不安になって、男子達と距離を置くようになったんです」「洗濯物をお父さんと一緒にしなくなった、とか」「そう」「思春期の女子なら珍しくない傾向ですよ」「そうかしら。でも、それから別のものに注意を惹(ひ)きつけられるようになったの」「何かな」「ごめんなさい。ここまで話すので精一杯です。次にして貰えませんか」「ええ」

 

「先日は有難うございました。長い電話相談を無料で良かったのでしょうか」「構いませんよ。元美少女という魅力的な女性から当方も勉強させて貰えているわけですし」「魅力的かどうか」「声はタイプです」「上手ですわね。お酒を召しておられる?」「貴方にお付き合いして少しばかりね。本題に入ります。今日は私から話をさせてください。心理学はさておき、生物学の進化論からいきましょう」「理系は苦手なので解りやすくお願いしますね」「ええ。宇宙の創造主は進化を望まれた。全ての生命ある者の繁殖です。人間もしかり。子孫繁栄の為に異性に優秀な遺伝子を求める。利己的遺伝子論といいます。男性が女性のバストやヒップに視線が喰いつくのもそう。フェティシズム解りますね」「ええ少しは」「貴方が注意を惹きつけられると言ったもの、それって男性の手でしょ」「よく解りましたね」「視線すら交わせない人が注意して見るものと言えば手しかないでしょ。手には生命力が現れる。貴方の好きな手とは、大きくごつごつした骨格で太い、毛深い、血管が浮き出ている。人差し指より薬指の方が長い、どうです」「薬指の長さはともかく、当たらずとも遠からずといったところでしょうか。でもどうして」「自分の手の特徴を言ってみただけです。男性に多い、肉食系男子の特徴です。肉食系解りますね」「フフ、ええ」「勿論、逆の細く長く白い手とかの男性を否定するものではありませんよ、同質化は種の絶滅の危険性を孕(はら)むから。そこで貴方の父親の匂いへの拒否感ですが」「ええ」「近い遺伝子との交わりは危(あや)うい。近親婚の弊害ってご存知でしょう。よって遺伝子レベルで無意識に拒否感を持つように組み込まれている」「そうなんですか」「自説です。手フェチも一種の性強迫神経症に分類されますが、日常生活に支障のない限り気にする事はありません。神の意志からも、生物進化論上も望ましい事です」「良かった」「それにしても」「何でしょう」「性的な内容に関わるご相談を男性の私によく持ってこられましたね」「フフ」「苦手な事から少しずつ克服していくのは立派な心理療法、行動療法です、ただ」「ただ?」「私のカウンセリングではタロット占いもやります。貴方の左手に私の左手を重ねて互いを見つめながらカードを混ぜるのですが、貴方が耐えられるかどうか」。

控えめで微(かす)かな笑いが聞こえて来た。

「ブン、お前、カウンセリングのフリして女を口説いてるのか」。モモが言った。

「そんなつもりはない」「電話の声に惚れたとか若さに惹かれたとか、美貌にとか事象(ザッヘ)に特化するのは元来の〈物(フェティ)神化(シズム)〉論だ。〈疎外論〉と双璧を成すマルクス理論の真骨頂だ。女性も人格(パーソン)として全体像で見なくてはいけない。〈金で買えない女性の心なんてない〉と塀エモンとかが昔ヌカしやがったが、金の亡者こそ物神化論者の最たるものだ。神の意志論も利己的遺伝子論も倒錯した意識だ。明日を創るのはそれらで無く、社会性を意識した類的存在としての人間でしかない。だが」「何だ」

「祝福はするぞ、ブン。チークダンスを二人で踊れる日の到来をな。肉食ジジイのお前が食指を動かしつつある三人よ。子だくさんの秋吉久美子、心理学を学んでる酒井和歌子、手フェチのまだ見ぬ女。いずれかと結ばれて革命戦士を成す事だな」「おう。告白(プロポーズ)の言葉は用意している」「言ってみろ」

「私のとこに来ませんか。戦争に強い農業やってますから、貴方を飢えさせる事は絶対ありませんよ、食だけでなく無論愛情も」。

「臭ぇ。それにお前、戦争を告白のダシにするつもりか、ブン」。 

眼を剥(む)いてみせた後、豪快な笑い声を送りつけてきたモモだ。      終り

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