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実存ヒプノ④ 共業         

             

 「アンタ、死ななくする事が出来るんかいね」

 チヤイムを鳴らすや返事も待たずにドアを開けた男は、ブランド物らしいスーツを纏い、小刻みに体を揺らしながら探りを入れる目線で返答を促してきた。

 出来ますよ。但しお安くはありません、特殊技能ですから、とブラックジャック風にやろうかと思ったが

「延命をお望みなら医療機関へどうぞ。うちではそのたぐいはやっておりません」

と、まともに応えている。

「何とかセラピーとかいう新しい医療法をやっていると評判を聞いて、わざわざ福岡から高速で来たんだ」

脂ぎった額を光らせる男は六十前後か。

「医療でなく私ののはヒプノ、いわゆる催眠セラピーです。本邦初の技法で実存ヒプノと名付けています」

「何だね、その実存ヒプノというのは」

「貴方の人生は貴方自身で創る、というものです」

「死ぬ時もかね、いいじゃないか。そもそもだ、人はなぜ死ぬのかね」

「死にたくないと」

「当たり前だろ」。

 玄関に突っ立ったまま、大声で勝手に自己紹介を語り始めた男にマイクを持たせたら選挙演説だ、自分の事業から財を成した経歴、家族構成へと喋りまくる。         金持ち自慢に耳を汚されるくらいなら海岸清掃ボランティアをやるか、街頭に出て戦争法反対のチラシ一枚でも配った方がマシだ、その方が救われる。

 誰に救われるかって? 

いい質問だ。それには、実存ヒプノをやってみたら解ると答えておこう。

「予約制を採っていますので。飛び込みはお断りです」

 当方のホームページを見ずに来た事を知り、予備知識の無いセラピーは相応の時間を要すなどと説明して丁寧に断り、御引き取り願った。

 本土最南端、南大隅町佐多の元漁村に開設しているわが『ヒーリングハウス北緯三一度』は、前泊が基本だ。寝食を共にする事でヒプノセラピーに必要なラポートが築かれると思っているからだ。魚は新鮮なものが手に入るのは当然としても野菜は容易ではない。安心安全で新鮮となると自家製に限るのだが、漁村ゆえ近くに農地が無い。離れた高地にて農作している隣人は、猿や猪などに年中食い荒らされてお手上げだと溢している。そんな事情もあって、車で一時間の鹿屋市にある本宅の、隣に借りた畑で農作はやっている。

モモジローが呑みに寄るのは鹿屋の方だ。

 書き損じ葉書を六枚持って来てくれてヤツが訊いた

「どこに送るんだい、今回は」

「ぺシャワール会だ。これで三十枚になった」

「カンパの方はどうだ、ブンタロ」

「年末は創作の為にヒプノを休業したので余裕が無くてさ、一ヵ所だけやった」

「どこだ」

「ナデジタ基金という所だ。チェルノブイリ支援」

「何だ、そこは。初めて聞くわ」

「長くなる。呑みながら話そう」

 肴はメジナの湯引きである。鹿児島産カンパチもいいが、冬場はこれに近くの辺(へ)塚(づか)ダイダイ蜜柑を垂らしての刺身の方がいける。辺塚は数年前、放射性廃棄物の最終処分場候補地として浮上し、反対運動に加わる為に自分が最南端の地に住処を求める所以をもたらした場所である。

「チェルノブイリだったな。その前に奄美の話だ。

 一九七一年、核燃料再処理工場計画が奄美群島の島に突如持ち上がった実話を元に近作を書いた。最後は青森の六カ所村として決着するんだが、その処理工場建設反対運動と島の闘牛を絡めた内容にしたのさ。

さて、闘牛と言うやつは闘いの最中に舌出しを始めたら限界が近い証拠なのよ。だが主役の闘牛は、勢子が伸びた舌を撫でたら奮起するという設定にした。構想する中で知ったのが、チェルノブイリ原発事故で被災した子供達の保養施設がナデジタ、日本語で希望という名前だと言う事だった。で、闘牛の名、ナデジタと重ねたのさ。タイトル借用のお礼がわりにと、そのナデジタ基金とかに初カンパさせて貰った次第よ」

「そうか。で、作品ナデジタとやらの出来は?」

「試行錯誤だ、未完」

「大変だな、ブンタロの趣味も。一読者として俺に言わせて貰うならば、だ。お前にしか書けないものを書けと言う事だな。加えるなら」

「何だ」

「日常描写とかでなく、現代に警鐘を鳴らすようなものを書いて欲しいわな」                 

「そんな大層な作が書けるものか、ちまちました独り暮らしの俺に」

 社会変革を求めて学生運動に加わった昔、殴り合いをもやった同志,モモジローは四十年経った今では反戦反原発の市民運動を共にする唯一の戦友だ。とは言え、昔歌った〈インター〉が、今では〈思えば遠くへきたもんだ〉に替わってしまったのだから、共に馬齢を重ねて来たには違いない。それでも、昔と変わらないのは、杯を重ねれば意気軒昂になる事だ。

「今年は勝負の年だな、ブンタロ」

「おうよ、戦争法を廃止させにゃならん」

「川内原発差し止めの本訴訟も勝たんと、な」

「呑んでいる暇なんか無くなるぞ」         

「まさしくだな。今のうちに狸の金玉(キンギョク)だ、マタ一杯」

 闘争のみならず、酒乱が原因での留置場泊の経験をも持つモモだが、今では無茶ぶりは姿を消した。「顔は鏡で見ろ、心は酒で見ろと言うだろが」で飲み始め、進むにつれ「朝飯前の煙草と、死ぬ時の気付け酒は何も効かんのよ」を「狸の金玉」と繰り返しては督促する。キンギョクと呼び換える照れも変わらない。

 不意にモモが訊いた

「金持ちはどうなった。死なないようにして欲しいという強欲野郎は」

「未だ、だ」

「どうするつもりだい、処方箋は」

「なに、大したこっちゃない。『なぜ死ぬか』には『子供達が後に閊(つか)えているでしょ』と答えるさ。

こんな話を知っているか。昭和天皇から『人は何故眠るのか』と訊ねられた学者が『布団屋さんがおりますので』と答えたそうな。同じ論法だ」

「納得しない時は」

「この本やるさ。東大医学部の現役救急治療部長が書いた近刊だ」。

 そう言い〈人は死なない〉というタイトルの本を見せたのだが一瞥したのみで興味を示さなかった。唯物論者を自認する彼が輪廻転生本の類に興味を示すべくも無いのだが

「青春とは酒無き陶酔で老いとは陶酔無き酒と言うが、全く左様ですわな。歳を取って酒量は弱くなるどころか逆だわ」と、コップ焼酎を傾けている。

 

〈死なない〉を求めて、件の金持ちが訪ねてきた予約日。前泊で出した料理は足チビィティに耳ガーとソーキ汁。飲み物はオリオンビールに、泡盛は菊の露と沖縄バージョンにした。

「長生きしたけりゃ沖縄料理喰えと、佐渡山豊が〈ドゥチュムニィ〉で歌っていますからね。さて本題ですが、なぜ長生きしたいのですか」

「もっともっと人生を楽しむ為さ。そう思わないやつがいるのかね」

「楽しむとは」

「ずばり酒池肉林よ。男の夢だろ」

「酒池肉林ねぇ。酒の飲み過ぎと肉食は命を縮めると言ったら」                        「そんな事があるもんかね。欲を隠さぬ者こそ老いずに若々しい。政治家を見ろ、いい例だ。そもそもだ、利己的行動こそが人類の発展に寄与してきたのよ」

「ですかねぇ。では私の話を聞いて貰いましょう。利他的行動を取る二種類の蛾の話です。  

 先ず一例目は保護色の強い蛾。これは産卵後、急激に動き回って死に急ぎます。死後早く腐乱する事で、外敵に獲物を学習する機会を失わせるのです。

 もう一つは毒を持つ蛾。こいつは産卵後動かずに長生きを謀ります。すると外敵に捕食される機会が増える。捕食した外敵にこの毒蛾は不味いという事を学習させるのです。二つの蛾とも仲間を守る為に、死に臨んですら利他的行動をとる例です。

まだ他に例はいっぱいありますね。カバキコマチグモという蜘蛛は産卵後、子どもの成長を謀る為に、なんと自分を食わせるのだそうです。これも利他的行動の例と言えるでしょうね」

 つまらん、を大きな欠伸で表明した男だった。

 

 翌日。ヒプノセラピーである。

 ――現代に関係深い過去世です。何をしていますか

「帰る途中だ。もうすぐ家に着く」

 ――そこはどこですか。 

「そうだな、ロンドンから十マイルの辺りか」

 ――ブリテンですか。何時ごろか解りますかね 

「千八百九十年か、その前だ」

 ――自分の事を教えて下さい。

「男だ、名はショーン。五十一。小さいが牧場の主だ」

 ――お、小さい、と謙遜で来ましたね、現世の貴方らしくもない。

「何だぁ」

 ――失言です、気に留めずに。ロンドンは何の用で

「飼っている犬と猫が増えすぎたもので、動物専門医に相談に来たのよ。医者は去勢と避妊を勧めるんだな」

「そうですか」

「最近、動物愛護協会とかが騒いでいるらしい」

「そちらは動物愛護の先進国みたいですね。現代でもペットショップでの売買禁止だとか」

「何だい、それは」

「またまた失言、気に留めないで。で?」

「俺の経験上からも、種馬種牛という特別な優秀馬牛を除いて、牛馬とも早い時期に牡は去勢をすべきだな」

「理由は」

「病気になりにくい、長生きする、ストレスも無くなって飼いやすい、そして旨い」

「そんなものですか、デメリットは」

「無い。犬猫も去勢すべきだろな」

「へえ。では、長生きしたいという現世へのメッセージを貰えますか」

「無いね」

「話題替えましょう。何か面白い話ありませんか」

「面白く無い話ならあるぞ。ロンドンでセンセーショナルな事件が起こっている。聞いてないか、切り裂きジャック」

「あ、知っていますよ。その頃か。ロンドン市内の街娼ばかりが十人ほど殺害され、臓器の一部が切り取られたという事件」

「そうだ。ミステリアスな事件だ。ロンドンに出かける時は用心しているよ、殺害犯が捕まっていないからな」

「どう思います、犯人像を」

「警察じゃねえぞ、俺。解るもんか。ありふれた推測だが街娼ばかりを狙うというのは何かしらの憎悪を感じるね。俺は娼婦を否定はしないがな」

「そうですか。ではここで、酒池肉林を続けたいと言う現生へのメッセージを貰えませんかね」

「無いな」

「それじゃあ私の商売が成り立たないんでーー。ではあなたは今、牧場主の生を終えて中間生にいます。どうかメッセージを」

「長生きしたけりや」

「はい」

「食う寝るする、を制御抑制する事だ、以上」   

 ここで一旦覚醒し、当人に訊いた

「メッセージを覚えていますね。さて、その課題を担った時と無視した時の二つの未来を見られる、というのが、吾が実存ヒプノの眼目ですが如何しましょう」

「止めるわ。去勢して長生きするのと、節制せずに短命から何が学べる? どっちにせよ面白くなさそうだ」

との答えに、未来催眠は終りとしてまとめの話とする。私の評価や意見は控えていた。未来をどう選択するかは、自己責任と思っていたからなのだが。

「過去世で牧畜業という事でしたので馬の話を致しましょうね。種馬ではなく当て馬の話でもありませんよ。戦国武将は薩摩、島津義弘公の愛馬〈小紫〉の話です。義弘は関ヶ原で豊臣陣に加わり、負け戦の中を〈島津の退(の)き口〉として知られる勇猛な敵中突破で脱出します。ところが愛馬小紫を帰国の船に乗せる事はできない。泳いで後から追いかけていた小紫は断念するや、神社の柱に自ら頭を打ち付けて自死したと伝えられています。二代の主君に仕えぬ〈殉死〉と言えましょう。〈二代馬は飼うな〉との俗信も同じ理由から、主の代の馬は放ての意味です。馬にしてかくも忠義に殉ずるのですから、人としたら如何でしょう。肉欲の多情主義は馬にも悖(もと)る事になりますまいか。

〈隙(げき)駒(く)〉、或いは〈白駒の隙を過ぐるが如し〉という諺があります。隙間から見た白馬が疾走するが如く、人生も瞬く間に走り去るという意味です。

 年を経たる者、残る短い余生で何をすべきかを真剣に考えるべきではないでしょうかね、以上です。」

 憮然を隠そうとしない男にお土産と渡したのがかねての本、東大矢作教授著〈人は死なない〉だった。

 

 訪ねて来たのは二十歳前の青年だ。

高校で不登校になり現在ニート中。完全な引きこもりでなく近所の買い物ならたまに出向くのだと言う。不登校になったのは学校に行くのが〈怠く、面倒〉になったからだ、と。

 退行催眠で、現在と関係ある過去世に誘導した。

 ――どこですか、何をしていますか

「東京さ。何をしてるって? 毎日美味い物を食ってるわナ」

 ――いい御身分ですね、何時ごろですか

「前は徳川、今は治まるめいの世よ」

 ――治まるめい? 

「明治とかを、茶化したのさ」

 ――名前、年齢、職業を教えて下さい

「何で教えねばなんねえ、お前マッポか」

「マッポって?」

「薩摩っぽ、よ」

「です。今は鹿児島県人」

「ならなお教えねえ」

「何でですか」

「オイコラ警官だろ」

「いや違いますよ」

「そうか、商売敵かと思ったぞ」

「商売敵って? ひょっとしてアンタ犯罪者?」

「フフ」

「解りました。じゃ名前年齢抜きで、仕事の話でも少し聞かせて下さいよ、絶対チクリませんから」

「チクル?」

「密告」

「そうかい。なら話してやろう。今は詐欺師だ。侍の時世には娘師と呼ばれていた」

「娘師って?」

「娘はおしろい、白いはお蔵。つまり土蔵破りだな」

「ヘぇ、どうやって」

「目当ての家に入る前に、先ずは〈気伏せ〉だ、門口で糞をして成功を祈ると同時に犬の臭覚を狂わせて吠えなくさせる。次は戸板に小便して滑りやすくする。忍び足で進み、枕元を通る時は〈深(しん)草(そう)兎(と)歩(ほ)の足術〉、屈んで手の甲に足を乗せて進む。土蔵の鍵さえ手に入れればおやすい御用よ」

「御用ね、捕まらなかったんですか」

「手は踏んでもドジは踏まん」

「現在の詐欺師と言うのは?」

「誰が本業を教えるかい」

「そこを少しだけ」

「なら少しな。騙(かた)りで寸借よ」

「どういう事?」

「徳川様か天子様ゆかりの者と思わせて寸借さ。高級旅館やホテルとかではご馳走喰らってトンズラよ」

「よくバレませんね」

「なに、後で電報一本打っとくのよ。〈キュウヨウデキタ マタノキカイニ〉で充分。休養と読むか急用と読むかは相手に任す。高貴な方がお泊り遊ばしたと大方が満足して、被害届も出して無いんじゃないか」

「そんなものですかね。ではここらで、現世の自分に為になる教訓とか貰えませんか」

「そうか。なら〈急いては事を仕損じる〉。どうだ」

「なるほど。いかにもその道のヒトらしい」

「何だと」

「いや失礼。貴方はその生を終えて中間生にいます。もっと深い教訓メッセージとか無いですか、是非」

「そうか。じゃ〈積善の余慶(よけい)、積悪の余殃(よおう)〉だ。善を積めば一族が繁栄したのに、悪を積んだ為か次世は短命らしいや。反省したよ」

「何? と言う事は、現世は短命だと?」

「いや、次にもう一つの生がある」

「へえ。でも私は、因果応報説には立ちませんけどね」      

 興味深かったので、詐欺師と現生との間のもう一つの前世を見る事にした。

 

 ――ひとつ前の前世です。何をしていますか

「呑んでるとこよ」

「酒ですか、それはまずい」

「何だと。まずい酒が呑めるもんか」

「いや、酒呑む状況が。場所と時間を変えて下さいよ」

「ヨーソロ」

「ヨーソロって、船乗りさんですか」

「うんにゃ、単なる漁師だ。前世は〈陸釣(おかつ)り〉、つまり泥棒だっただろ。で、海釣り業を気取ってみたのさ」

「なんだ、洒落か。で、時が変わって。呑んじゃいませんね今、何をしていますか」

「山里から帰ってきたところよ」

「あれ、山ですか、漁師なんでしょ」

「おう。夜焚きって解るか。漁火用に多くの薪が要るのよ。八駄つまり馬の背に八頭分くらいの薪がな。それで魚と交換してきたところさ」

「何を捕るんですか」

「流し網で鯵、鯖、鰯、鰤に飛び魚だな。他に鰹釣りなんかもな」

「危険な事もあるでしょうね」

「そりゃ〈板子一枚下は地獄〉と言うからな。じゃがよ〈河豚にあたれば鯛にもあたる〉とも言うじゃねえか。災いを恐れていちゃ何も出来ゃしねえよ」

「オッ出ましたね。それがメッセージですか」

「何だ、そりゃ」

「違うのか。もっと何か話して貰えますか」

「村や里でしきたりが違うのは当たり前なんじゃろが、海と山では真逆があって面白いものだなと」

「真逆のしきたりですか」

「おお。獲物で言えば〈山は毛切りで最初に傷を負わせた者の、海は突き止めで最後に仕留めた者の獲者〉。リョウ場に行く時も〈山は大口、磯は目配せ〉と逆じゃ。他にも〈山は死に不浄嫌い、海は生き不浄嫌い〉ときている。山と沖での忌み言葉の違いも聞くかね、長くなるが」

「長いのは結構です。アンタ短命だったと聞いているんで」「何だぁ?」

「いえ。ここらで、転生した未来へ生きた教訓を貰えませんかね」

「教訓て、何だね」

「生きていく上での指針です」

「指針て何だね」

「出漁する時に目印とする山あるでしょ、あれみたいなもの」

「山立ての事か。解った。じゃこれだ〈オコゼの腸(わた)はうまい〉。オコゼって魚は解るよな。見た目は悪いが腸は旨いのさ。つまり何だな、食わず嫌いは駄目よ。人生というやつも何でもやってみる事だな。こんな話だ、オコゼがボラのやつにフラレたんだと。そん時に、アタシャ見た目は悪いが腹の中は綺麗なんですよと叫んだんだと。だから腸は美味い。別の話だ。オコゼの奴は山の神に気に入られてるんだ。何でだと思うかね? 俺が思うに見た目が不器量だからじゃねえかな、山の神は女神だからな。それで、猪を獲った山の衆はオコゼの鱗一枚を山の神にお供えするんだとさ。ところが、オコゼときたらこいつに刺された時は死ぬほど痛い。特効薬があるのよ。女性の大事な毛で患部を撫でると疼きは消えるんだな」

「ヘッ。で、教訓は?」

「さっき言ったろ。オコゼの腸は旨い。案じるよりやってみろだ。鹿児島の諺に似たのがあるだろ。泣こうか跳ぼうか、んと」

「〈泣こかい跳ぼかい、泣こよかひっ跳べ〉ですか」

「そう。人生は短い。渋柿が長持ちしたってしょうもないだろ。柿渋は網を強くしてくれるけどな。オレ、前に〈急いては事をしそんじる〉と逆みたいなのを言わなかったか。だが逆も真なりよ。人生とはそんなものだ。あれこれ悩む前に跳んじまえだ」

 

 結婚二年という三十前の女性だった。これから子供を作ろうという時になって旦那の浮気を知った。過去世に何かあるのか、これからどうすべきかのヒントを得られたら、とやって来たと言う。

 ――現生にもっとも関係深い過去世です。どこですか、何をしていますか

「れんで、おどぉを」

 ――何? 現世の言葉でどうぞ

「父を捨ててきました」

「どういう事でしょう」

「姥捨て、棄老です」

「え、曽野綾子が最近言い放った話ですか、老人は要らない」

「その? その人知りません」

「ごめんなさい、余計だった。父親を捨ててきたんですね」

「はい」

「姥捨ては村の習わし?」

「そうです」

「仕方無かった、と」

「ええ。みんながやっている事だからと。でも歳をごまかすとか家で匿うとか、方法はあったのにしなかった」

「悔やんでいるの」

「はい、少し」

「そうですか、現生との関係は?」

「捨てた父は、今の主人みたいです」

「え、そうなんですか」

「置き去りにした私を見送った父の顔と、浮気を問い詰めた私に開き直った主人の顔が重なりました」

「はぁ、では現世の課題はなんでしょうか」

「もっと愛せよ、だそうです」

 ここで彼女を覚醒させた。実存ヒプノで何年後の未来を見たいか、の確認の為である。

  姥捨てのケースは過去二千件ほどの事例中、二例目だった。棄てられた本人が山中で同遇の老人達と助けあい、生き甲斐をもって暮らしていたとの二十年前の事例を書いた旧作〈前世カウンセリング〉を謹呈して、彼女の希望の三年後である。

 

 ――課題を引き受けなかった未来です、何しています

「子どもはいません。二人の暮しです。彼は私を愛そうとしているかのようです」

「それが愛の課題を担わなかった方ですか」

「はい。でも彼の仕草全てが演技に思えて虚しさが残ります」「信じられない、と」

「ええ」

  ――では、愛せよの課題を引き受けた方です

「別れて一人になりました。自由です、楽しいです」

「それが課題を担う方なんですか」

「ええ。自分を愛する方を選びました。無理なく自然に生きてます、私」

  覚醒した彼女に語った。

「どちらを選択した方がいいか選ぶのは貴方です。責任を負うのも貴方ですから。これが実存ヒプノです」 

 「彼を愛せないと言う方は、要は彼の努力を信頼しないという訳だな、自己愛が自己犠牲に勝るという事か」

モモジローが語る。

「〈人間を人間とみなし、世界に対する人間の関係を人間的な関係とみなせば、愛は愛とだけ、信頼は信頼とだけしか交換できない〉とマルクスも言っている。ところでどうだね、ブンタロ、創作は」

「さっぱりだ」

「最初、愛しのジュリエットが愛だろ。次のハムレットでは復讐の愚かさときた。新作はマクベスでどうだ」

「テーマは?」

「保身の醜さ」

「ハハ。悪くはない。でもウチにセラピーにくるゲストは、保身というより己の実体すら感じていない場合が殆どなんだ。金持ちや権力者なんが来る事の方が珍しい」

「だろな。ところでブンタロ、知ってるか、戦争絶滅法というヤツを」

「いや」

「こんなやつだ。戦争開始後、以下の者は十時間以内に最下級の兵卒として最前線に送るべし。

 元首、首相以下の開戦に反対しなかった男性国会議員。その際、年齢健康は考慮に入れてはならず、招集後に軍医の検査を受けるべし。該当者の妻娘、姉妹も戦争継続中は最も砲火に接近した野戦病院に看護婦または使役婦として勤務させるべし。

 どうだい、保身を企てそうな者から先に選抜する戦争絶滅法は」

「いいじゃないか」

「ホルンというデンマーク人の提唱を長谷川如是閑が翻訳した、百年ほど前だ。九条の会の発起人井上ひさしも紹介している。そもそもが、だ、好戦論者に限って後方から勇ましい事を言うんだからな。魚に例えるならオコゼだ、見た目厳つくて口ばっかり」

「待て、オコゼの例えは無茶だ」

「ヘンだったか。じゃ話を戻そう。戦場の最前線に送られるのは実際、最下層の子弟だからな。傭兵だって似たようなものだ。貧しき者から戦場に送り込む事は容易い、経済的徴兵制だ」

「奨学金苦の学生、若者が多いって言うじゃないか。奨学金返済免除を条件に、十・二一学徒出陣もありうるかね、モモジロ」

「ありうるね。GDP中、教育費にあてる公的支出の割合はOECDの中の最低国だぜ」

「もう一つ俺が憂うるのは、我が国の報道の自由度が世界六十一位にまで落ちた事だな。国境なき記者団発表だが過去最低だ。どこが自由と民主主義の国だ。立憲制を破壊し、特定秘密保護法の行き着く先は、紛う事無く戦争当事国よ」

「モノ言わされなくなった挙句、〈私は貝になりたい〉と後で臍を噛むのだけはゴメンこうむりたいな」

「同感だ。モモジロ、お前、サザエの教訓って知ってるか」

「アタボウよ。磯のサザエが捕まえられそうになり、あわてて首を引っ込めました。首を出してみた時には店頭で、値札が付いてましたというやつだろ」

「そうだ。気づいたら前線で銃を持たされていました、にならないよう食い止めなきゃ、な」

「おう。ブンタロお前、国境なき医師団へのカンパは続けてるんか」

「たまにな。この前は名前シール貰ったよ。それよりシリアで医師団病院がまた空爆された。もっとマスコミには大きく報道して貰いたいもんだ」

「特定秘密保護法成立にも総務相の放送法恫喝にも声をあげず、渡航禁止令にも従順なマスコミに期待ができると思うかね」

 

 若い女性は、浮気相談だった。驚くには及ぶまい、浮気の事例は多い。

 浮気をしていた夫の気持ちが知りたい。だが当の夫は昨年、一人息子と自分を残して交通事故で即死した。霊界の夫と語れないか、というものだった。

 浮気は気づいていた。気づいていた事を夫が知っていたかは判らない。浮気して帰宅中の事故だったと、携帯の記録で判ったと言う。恨みの一言も言えず悔しい。どんな気持ちで逝ったか、今どんな気持ちでいるか知りたいという。

 私は断る。死者の魂を自分に降霊させて語る霊媒師がやるみたいな事は出来かねる。自己ヒプノによる妻との交信は特別のケースなのだと。  

「何とかしてできないか」と、粘る彼女に説明する。

 私は霊能者ではない、ヒプノセラピストなのです。私の考えはこうです。この世に転生してくる時に望まないカルマを背負わされたとは考えないし、まして金を積んでカルマを浄化できるとの手法は愚かだと思います。課題は自らが課して転生してくるし、未来は自身で選択創造できるとの思想スタンスなのです、と。

「課題と言われましたね」と、彼女は食い下がる。

「ヒプノ体験はありませんが、先生を訪ねる迄多くのスピリチュアルに関する本を読んできましたの」

「セラピーもピンからキリまでありますからね」

「必死に探したというのは解って貰えますね」

「ええ。でも、過剰な期待を抱かれても困ります。貴方が主人公の転生ですから自分の魂としか交われないのです」

 実存ヒプノの手法をようやく理解して貰って、開始である。

 

 ――現生ともっとも関わりある過去世です。何をしていますか

「イチゴを食べに出かけるところです」

 ――イチゴ狩りですか

「ええ、子どもを連れて」

 ――いいですね。時代や場所が解りますか

「時代とかは解りません。場所は棲家の近くです」

「棲家って、家?」

「穴です。でも今日はここを離れるつもりです。私、熊のようです」

「熊、野熊?」

「ええ、眠りから覚めたところです」

「ほお。現生との繋がりを解るだけ教えて下さい」

「二歳になった二人の子どもがいます。二人は主人と子供のようです」

「現世でのご主人と息子さんがそちらの二頭の小熊という訳ですね」

「ええ。今日は子離しを決めたのです」

「どういう意味?」

「山イチゴのある場所に出かけます」

「うん」

「子ども達がイチゴに夢中になっている間に私は隠れて立ち去るのです。棲家のある山からも離れます」

「親子を断つ、という事ですか」

「そうです」

「寂しくないですか」

「寂しいに決まっています。ですが子は自立させねばなりません」

「そうか。人間の場合は子供が親から旅立って行くが、その逆というわけですね」

「ええ。子供達からすれば自分達は棄てられたと思うでしょう。でも仕方ありません、子供の為です」

「では、その生を終わって中間生、つまり魂の世界です。熊の生での学びは何だったのでしょうか」

「伝えられない愛がある、子離しもその一つだ、と」

「現生への課題は何でしょうか」

「同じだそうです、伝えられない愛もある、それを学ぶ事だと」

「一般論としては解りますが、貴方の場合はどんな意味になるのでしょうか」

「自分で考えよ、だそうです」

「私が貴方に替わって質問するのではいかが」

「答える、そうです」

「現世の貴方は彼に裏切られたまま悲しみや辛さを伝えられなかったと言った。それは愛を伝えられなかったのとは逆なのでは」

「〈思い知らせてやりたい〉も愛の裏返しなのだよ。今生では伝えられなかったが、それを理解する事だと」

「解らないなぁ」

「いずれ時が解いてくれる、そうです。〈解く〉は〈時〉から来ているのだと。いったい、夫は相手と別れて自分と縒りを戻す途上の事故にあったと考えないのかね」

「その言葉は誰ですか」

「解りやすく言えば、本人の守護霊と考えてくれて結構」

「それで?」

「或いは、彼は死の間際に悔い改めて謝罪したかったとか」

「だから、それを聞きたいとお願いにきたのですよ」

「できない。こっちに転生してくれば解る事だ」

「彼女が転生する前に旦那さんが再びこっちに転生して来たら会えないでしょ」

「そんな事はない、こちらでは魂はいつでも交流できる。それに世界は一つではない。無限にある」

「へえ」

「夫が事故死しない世界も、彼女と浮気相手が入れ替わっている世界もある」

「という事は?」

「憎しみでなく許す事だ」

「それだったら、浮気公然だ」

「浮気は駄目だ。本気はいい」

「なら、戦争で殺す人も許せ、となる」

「違う。殺しあう世界は憎む」

「どうやって」

「殺すも殺さないも無い、皆が一斉に武器を置いて二度と取らない」

「簡単じゃ無い」

「人間というものを信頼する事だ。不信というものが全ての躓きの源なのだ」

 ここで彼女を覚醒させた。催眠中に見た全ては記憶にある。それで今後の課題は何だと思う、と問うとすぐに答えた

「愛、そして信頼だと思う」と。

「課題を担うか否か、の未来を見られる実存ヒプノをやりますか」

「いえ、充分です」

「貴方の意志が優先です。が、何故?」

「今の対話で理解しました。将来も見える気がしたのです」

「どういう事?」

「愛と信頼という課題を担わなかった場合、私は過去に付き纏われてずっと悲嘆の日々を費やす事でしょう。逆に引きうけた場合、子供の成長を励みに前向きな日々を過ごせそうな気がします」

「解りました。実存ヒプノで未来催眠をしなかった分のお代ですが」

「値引きは不要です。規定のお代をお支払い致します。カンパに充てられるのならこれも愛の使命を果たす一歩かと」

 

「不倫の花盛りだな。資本主義もいよいよ退廃期に入ったと、よぉく理解できるね」

と、モモジローが言った。

「法で禁止すべきかね、モモ」

「バカ言え。江戸期の不義密通罪も戦前の姦通罪も、家父長制を柱とする封建制の残滓(ざんし)だ。だがイスラム法では今も大罪だし、韓国での姦通罪違憲判決は昨年だ」

「そうか。マルキストとしての意見はどうかねモモ」

「〈個人的性愛は愛としてのみ結びつく〉。エンゲルスだな」「出典は」「ドイツイデオロギーではなく、共産党宣言でもない、まして文学党宣言にもあらず、か。え、と」

「なんか石松の〈三十石船〉みたいになってきたな、ま、呑みねえ」

「すまねえ。思い出した、これしかない。〈家族私有財産および国家の起源〉だ」

「やっと思い出してくれたか。〈1〉に俺が書いたやつだ」

「知ってたのか、ブン」

「アタボーよ」

「ならお前の、愛欲に対する実存主義的見解でも聞かせて貰おうか」

「よし。その前に、同じ〈⒈〉で〈狭き門〉を書いたのを憶えているか」

「おう」

「だが、皆が修道僧や修道尼になって聖徒の門を潜るとしたら人類の歴史は終わりだ」

「まあ、そうだな」

「だからニーチェは言った、禁欲主義倫理を強制するキリスト教は反自然道徳だ。性欲なるものは自然たる生にあり,善悪の彼岸にあるものだ。心の中で不義をしたものは女に石を投げる資格など無い、なんぞはナンセンスの極まりだ、と」

「ナンセンスってフランス語じゃないか。出典は?」

「すまん、俺のセリフだ、確か〈反自然としての道徳〉の中で似たような事を言っていると思う」

「思うは曖昧だな。じゃ、〈愛は自由を否定する点で矛盾だ〉と〈存在と無〉に書いたサルトルはどうだ」

「よく聞いてくれましたモモさん。一杯呑みねえ」

「すまねえ」

「彼は言った。結婚による一夫一婦の家庭制度は資本主義体制維持の陥穽(かんせい)だ。そこに安住するのは体制を支える小市民(プチブル)に成り下がる事だ。よって契約結婚しよう。キミと出会ったのは必然的恋愛だ、と口説いてボーボワールは女になった」

「女に生まれたのでなく、だな」

「解ってるなら黙って聴け。しかし、人生には偶然的恋愛もある、それも愉しみたい。作家のボクには刺激が必要なのだ、とのたまった。出典はボーボーワール〈別れの儀式〉ほか俺の要約」

「何だ、自由恋愛の正当化じゃないか」

「嘘をつかず互いが常に誠実でいようとする。そこに実存主義者としての唯一スタンスがある」

「ふん、そんなものだろうな、資本主義終末思想とは。ところでお前の実存ヒプノはどんな具合だ」

「ボチボチさ」

「どうだ、俺に催眠とやらをやってみる気はないか」

「何だ唐突に」

「いつも聞かされて一つやってみる気になったのよ。だが唯物論者の俺が過去世を信じる気は無いし、金を払う気も無い」

「友人から貰う気は無いね、でも今はやれない」

「何故だ」

「お前の魂が過去世に行ってる最中に、誘導してる俺が酔って寝込んだとしたらどうなる」

「どうなるんだ」

「お前の魂は別世界から戻れなくなる、永遠に」

「そんなアホを誰が信じるか。俺自身が催眠中に寝込んだらどうなる」

「気持ちよく目覚める、明日の朝に」

「だろうな」

「ではモモ。今、目を閉じてみろ。気持ちを楽にして。すると魂が前世に戻るぞ。ホラ前世だ、何が浮かぶ」

「何も」

「よし。目をあけろ。前世が簡単に想起できる訳じゃないと判っただろ」

「まあな」

「簡単にできたならお前は想像力豊かな作家だ、モモ」

「次回だな」目をトロンとさせてモモが言った

「俺の深層心理では、時は一七八九年七月十四日。バスチーユ牢獄を襲う民衆の中の一人が俺だな」。

 

「過去世とかに誘導するだけでいい、ブンタロ。お前との対話は要らん」

モモが催眠開始前に言った。

「どうしてだ」              

「対話は深層心理へのコントロールだ」        「解った。頃合いを見計らって覚醒させるとしよう」

 ――現生に一番関係深い過去世です。何をしているか、どこにいるか、が、はっきりみえてきます。

 催眠誘導した後、コーヒーを飲みながら離れて彼を観察する。発汗や咳込むなどの異変が顕れた時に覚醒させるのみだ。集団催眠で生徒達にやる時も同様に、一人一人を注意深く観察しながらやって来た。

 電話の受話器は外し、玄関には「来客中に付き、チャイムはご遠慮下さい」と張り紙をした静寂の中で、彼を観察する。時々口許を緩めてゆっくりした呼吸をする彼が、深い催眠に到達している事は観て取れる。

「そろそろ、現実世界に戻ります」

と声掛けをした時、明らかな拒否の様子は見え無かったので覚醒させた。

「面白かったわ。コーヒー貰おうか」

 モモはゆっくり語りだした。

「巣窟の前で周りや空を見張っていたよ。長閑(のどか)な景色なんてものじゃない、俺は警戒していたんだ」

「巣窟? 警戒だと? 山賊か、はたまた梁山泊か」

「まぁ聞け。俺は蛇だった。里から離れた奥山は木の実なども豊富にあって、鳥や狸に猿など多くの鳥や獣が棲んでいた」

「いいねぇ。故郷を思慕しながら海に眠った前作〈レクイム〉のポンタさんに聞かせたい話だな」

「黙って聞けって。寓話の世界じゃない、巣窟の周りには山ほどの天敵がいたんだ。厄介な熊の野郎に目を付けられた日には木穴は裂かれ、岩穴はひっくり返された挙句、卵まで持ち帰られる始末だし。熊が立ち去った後では狼藉の一部始終を見ていた鷹から、後始末に再び襲われるという悲惨さよ。だから俺は鷹のヤツを見張っていたのさ。あいつが上空に出張った時は、熊が下をうろついている。災難が通り過ぎるのを俺達は息を潜めて待つと言う訳だ」

「それで、現生との繋がりは」

「待て、慌てるな。俺はそこでお前の奥さんを見た」

「何、俺の嫁を、か」

「おう、一族の中の白蛇だった」

「どういう事だ」

「白蛇は目立つ。食い物も思うようには摂れん。そこで俺は時々丸のみした食い物を運んでやっていた」

「すまん」

「礼を言われる筋合いはない。これは過去世なんかじゃなく深層心理の催眠夢だと俺は思っているからな」

「どういう事かな」

「病床にいたお前の嫁さんを見舞っていたからじゃないか。

  蛇の話を続けるぞ。村に御触れが来た、材木貢納だった。話し合いの結果、先に毒蛇や毒蜂それに熊なんかを追い出してから伐採しようとなったらしい。松明等を手にした若い衆が山に登って来て,穴と言う穴を残らず燻し始めた。俺が最初に穴を出た。自分が先に追い回されれば他の仲間が逃げられるかもと疾走したよ。だが一撃された後に捕まえられ、若衆達が見ている中で一人の男に嬲り殺しにされた」

「嫁はどうなった?」

「急くな。白蛇が目当てだったらしい。白蛇は水神様の使いだと思われていたからな。丁寧に捕獲されて神社に奉納され、雨乞い祈願として奉られたとか」

「良かった」

「さっきから俺の深層心理の催眠夢だと言ってるじゃないか」

「どっちにせよ、とにかくいい話だ。で、モモ、その過去世からの課題メッセージは何だったのだ」

「それだ、ブンタロー。蛇の呪いって聞いた事は無いか」

「無い」

「蛇は殺した当人より拱手(きょうしゅ)を憎む、ってやつだ」

「拱手って何だ」

「腕組みしながら俺が殺(ヤ)られるのを見てたヤツらよ、傍観者達」

「何を言いたい」

「傍観者なるは加害者と同罪だ。戦争犯罪しかり、いじめもしかり」

「戦争は遠い他国の空の下だ。傍観は無いだろ、知りようが無い」

「否、知ろうとしていないだけで知らんフリしているのだ」

「過激になってきたね、で、結論は」

「傍観者にあらず一人一人が己の責任を自覚しろ。大衆とは虚偽である。大衆に潜む者よ、前に出て来いや」

「出てこいや、は高田延彦のパクリだ」

「あ」

「それに、大衆は虚偽だと? それって実存主義のスローガンだ」

「あ」

「大衆を敵に回す事無く、モモお前だったら、ブィナロード、人民の中へ、だろ。出て来いじゃ無く、自らが人民の中へと出向く、それが前衛たる者の課題と違うか」

「フン、お前に言われたくないね、ブン。という事は今回の催眠夢から俺が学んだものは何もない、という訳だ」

「それを言っちゃあおしまいよ。反面教師としてブィナロードを学んだとの結論にしようぜ。俺だってこの前、断言しすぎたわ」

「何だ」

「ニーチェのキリスト教批判をしただろ。だが俺達の市民運動にもキリスト教団や坊さん達が加わる事がある」

「そうだな」

「自業自得って語は聞いた事あるだろ、モモ」

「仏教用語だよな」

「そう。最近知ったんだが、自業には〈共業(ぐうごう)〉という語が対を成しているそうだ。社会的な出来事は皆で共に責任を負うべし、という意味らしい。社会的責任となる」

「そうか、現在の社会の責任は全ての人にあるという訳だな」

「そうだ。皆が社会的責任を果たす為にも連帯は求め続けようぜ」

「そうだな」

「老兵だからと去るには早いぜよ、モモ。弾は残しとこうぞ」

「なら、モモじゃなくショウゾウと呼んでくれや、〈仁義なき闘い〉の方だ」

「知らんでか。でもお前のオチで閉じるなら、実存ヒプノは奏功しなかったとなっちまう。心残りだわ」

「俺だって、大衆は虚偽である、なんて唯物史観とは逆の事を言ったんだからお互い様よ。

 発展は矛盾の中にこそ産まれるのさ。案ずるなかれだ、一歩後退の二歩前進で良しとしようぜ」

   白い歯を見せたヤツの後ろに開花し始めた紫の木蓮が二つ、続くように多くの蕾も春を待っている。  終わり

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